朱に交われば蒼くなる

スケキヨ

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第二章:朱莉、かまぼこで餌付けされる

16. モモちゃんとしーちゃん

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 しぶしぶ振り返ると、そこには草履ぞうりを鳴らして駆け寄ってくるゲンさんの姿があった。

「なぁんだ、ゲンさんか」

 あぁ、蒼士そうしじゃなくてよかった、と息を切らしているゲンさんを見て胸をなでおろす。

 それにしても、ゲンさん……何の用?

「あのさ、もしかして朱莉あかりちゃんってさ……海斗かいとくんと付き合ってんの?」

 少しだけ息を乱したゲンさんが、私の顔色をうかがうような視線を投げかけてくる。

「いやぁ、そういうわけでも……あるんだか、ないんだか」

 ゲンさんは完全に”大将側のひと”だから迂闊に答えるわけにもいかず……私は斜め上を見ながら頭を掻くしかなかった。
 なんとも要領を得ない返事に自分でも呆れてしまう……けど、まぁ仕方ないよね。

 見上げた先にはまだまだ宵越しの空が広がっていて、白ずんだ星がぽつりぽつりと数粒だけ浮かんでいる。

 あ~あ、飲み足りないなぁ!
 夜はこれからだと言うのに!

「……じゃあ、モモちゃんは?」

 私が空を見上げて嘆いている隣で、ゲンさんは下を向いたまま言いづらそうに口を開いた。

「ん? モモちゃん……?」

 唐突に登場した固有名詞に首を傾げていると、

「モモちゃんのことは知ってるのかい?」

 おもむろに顔を上げたゲンさんが痛ましそうに私を見つめる。その眉間には深い皺が浮かび上がっていて、爪楊枝を三本くらい挟んでも落ちなさそうだ。

 いやいやいや。
 ゲンさん……なんでそんなに深刻そうな表情してるのよ!?

「モモちゃんだよ、モモちゃん。あと、しーちゃんも」

 なになになに?
 モモちゃんの次は「しーちゃん」だって?

 次から次に飛び出す知らない女の名前に、私は首を傾げるしかない。

 誰&誰?

 あ、もしかして鮫島さめじまさんの愛人?
 ……って、何人いるんだよ!?

 まぁ、専務だしね。イケメンだし。人気ユーチューバーだし。

 そりゃモテるか。そうか。

 得心した私が「ふむふむ」と無言で頷いていると、

「あれ、もしかして知らない? そうか、知らないんだな……海斗くん、まだ話してないのか……」

 ゲンさんが思いつめたように口の中で何やらぶつぶつと呟いている。

「その『モモちゃん』と『しーちゃん』って、誰? よかったら教えてもらえませんか? 大丈夫、私……心の準備できてるから」

 吹き出しそうになるのを何とか堪えて、できるかぎり神妙そうな表情を作って頼みこんでみた。
 自分で言っといてアレだけど、「心の準備」って何だ?
 別に鮫島さんに女の一人や二人や十人や二十人いたところで、大してショックでもないけどねー。

 すいません、完全に単なる興味本位です!
 だって、鮫島さんのプライベート……ちょっと気になるんだもん!

「でも……海斗くんが言ってないことを、俺が勝手に教えるわけにもいかないし。こういうのはちゃんと本人の口から聞いた方がいいと思うし……」

 さすがゲンさん。口が固いわ。
 そうだよね、そんな告げ口みたいなこと、ゲンさんがするわけないよねぇ。

 ーーでも知りたい。

「そこを何とか! 海斗さんのこと……もっと知りたいんです」

 私は顔の前でパチンと両手を合わせて、頭を下げた。

「うーん、どうしたものか……」

 困ったように腕を組んで空を仰ぐゲンさん。
 そんなに悩むことなの?
 ますます気になる。

「ゲンさん……お願い」

 胸の前で指を組んで頭ひとつ分ほど上にあるゲンさんの目を見つめる。イメージとしては「神に祈りを捧げる敬虔なクリスチャン」だ。会ったことないけど。

「……そこまで言われたらしょうがないなぁ。俺から聞いたって言わないでよ」

 キョロキョロと周囲に目を配りながら、ゲンさんは私の耳の高さに合わせるように少しだけ身をかがめた。

 よしっ!

 しばらく唸っていたゲンさんが重い口を開きかけたその時ーー

「あ、いたいた! 店長~! 店長~っ!」

『魚貴族』のハッピを着た若者が、右手をぶんぶんと振りながら小走りに駆けよってくるのが見えた。

「あ、しまった。もう店開ける時間か」

 腕時計に目を落としたゲンさんが独りごちる。

「朱莉ちゃん、ごめん。この話はまた今度」

 背筋を伸ばしたゲンさんはすっかり店長の顔に戻っていた。愛想が良くて頼もしくて一部の隙もない、しっかり者の店長さん。
 ムム、この様子ではもう続きを聞き出すのは難しいぞ。

 ゲンさんは私に向かって軽く頭を下げてから、バイトくんに向かって「悪い! いま行く!」と声を張り上げた。

 くそぅ、あとちょっとだったのに……!
 あんなに意味ありげに引っ張っといて、かい!?

 私は思わず、なんの罪もないバイトくんに恨めしげな視線を送ってしまったのだった。

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