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33. やった
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鴻上は新堂に向かって語りかけた。
「先週の名古屋での打合せもその一環なんだけど、いま海外向けの商品を増やしたり、現地での取引先を増やしていこうという計画が進んでるんだけど……って、経営企画の人たちなら当然知ってるかな?」
鴻上に水を向けられた新堂が酸辣湯麺の汁を啜りながら頷いた。一応、鴻上は「課長」なのだが、相手の役職がなんであろうと、新堂のマイペースな態度は変わらないらしい。
「今後は直接やり取りする機会も増えると思うし、そういう仕事ができそうな若手を捜してるんだ。もし現地へ赴任してほしい、って言われたら……新堂くんは行ってくれるか?」
「…………」
鴻上からの話の内容が想定外だったのか、新堂は酸辣湯麺に目を落としたまま何度か大きく瞬きをした。
新堂を呼び出すための口実ではあるものの、丸っきり嘘というわけでもない。具体的な話が挙がっているわけではないから、多少、時期尚早ではあるけれど。
「そういえば、鴻上さんは前の会社でも海外向けの仕事されてたんですよね?」
黙りこんだまま口を開こうとしない新堂をフォローしようとしたのか、小田桐が鴻上に話を振った。
「はい。ただ、途中で予算が縮小されてしまって、中途半端な感じで撤退せざるを得なかったんですよね。だからこの会社では今度こそ納得いくまでやらせてもらいたいと思ってるんです」
ちなみにここまでの話のなかで、鴻上はひとつも嘘をついていない。
これなら小田桐さんも不審に思わないだろう。
必要のない嘘をつくと墓穴を掘る。嘘をつくのは本当に隠したいことに対してだけだ。
「……もしそういう話が本当にあるんなら、ちょっと考えさせてほしいです」
ずっと黙っていた新堂がようやく口を開いた。
「本当に」を強調したところ、もしかすると今日の誘いが彼を呼び出すための口実であることに気づいているのかもしれない、と鴻上は用心する。
新堂はいったん箸を置いて、軽く口元を拭うと、ゴクリと水を一口飲んでから続ける。
「それに、まだまだ小田桐さんの下で勉強させてもらいたいですし」
そう言って照れたように俯く新堂を見て、鴻上は「お?」と心のなかで声を上げた。めずらしく殊勝なことを言う新堂を鴻上は意外な思いで見つめる。
「僕の下にいたって大した勉強にはならないよ。鴻上さんについていった方がよっぽど成長できるんじゃないか」
小田桐は口元には笑みを浮かべながらも少し突き放すような言い方をした。つねに穏やかな物言いをする彼にしてはめずらしい、と鴻上は思った。
「ひど……。そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」
一方の新堂も小田桐のつれない態度に、唇を尖らせて拗ねてみせる。
普段は誰にでも穏やかで愛想がよく素を見せない小田桐と、誰にも媚びずマイペースを貫く新堂の意外なやりとりに、鴻上は驚いていた。やはり同じ部署で気ごころが知れているせいなのか――ふたりとも、いつもより表情が豊かな気がする。
「小田桐さん、それ食べないなら貰っていいですか?」
新堂が小田桐が頼んだ日替わり定食の盆の上に残っていた杏仁豆腐を指差した。
「いいよ」
「やった」
そっけない小田桐の返事に対して新堂が嬉しそうに……本当に嬉しそうに笑った。
このときの新堂の少しはにかんだ笑顔を見て、鴻上は不覚にもこう思った。
――かわいい、と。
不愛想で無表情がデフォルトの新堂が思わず見惚れてしまいそうな表情で笑ったのだ。もともと色白な頬を少し赤らませて……まるで百年に一度しか咲かない花が秘めやかに花開いたかのように。
ふと、いまの新堂が見せたような表情をどこかで見たことがある気がして、鴻上は古い記憶をたどった。そうして思い当たったのは、高校生のとき初めて付き合った彼女の顔だった。彼女は同じ高校の一年後輩で、向こうから告白してきてくれたのだった。鴻上がOKの返事をすると、彼女はさっきの新堂みたいな表情で嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべたのだった。
――え?
鴻上は軽く目をこすってから、もう一度向かい側に座る男ふたりを見返した。
小田桐はわずかに残った麻婆豆腐を白ごはんに乗せてかき込もうとしているところだった。御曹司とは思えない庶民的な動作に鴻上は共感を覚えこそしたものの、特に違和感は感じない。
問題は新堂だ。
小田桐の残した杏仁豆腐をニコニコと嬉しそうに口に運んでいる。
普段の新堂からは考えられない子供っぽい仕草に、鴻上の違和感は膨らんでいく。
そもそもなぜ昔の彼女の顔が思い浮かんだのか。もう十年以上も会っていないというのに。鴻上は自分が感じた違和感の正体を懸命に探った。渇いた喉を潤すために水を飲んだ。空になったコップを置いて、もう一度、向かいのふたりに目を移す。
「おいしかったです」
杏仁豆腐を食べ終わった新堂が小田桐に向かって満面の笑みを浮かべてみせると、
「ん」
小田桐がひと言、ぶっきらぼうに答えた。誰の前でも愛想のよい小田桐に似つかわしくないその返事は、鴻上の胸をざわめかせた。
――おいおい、なんだこのやり取りは。この……付き合い始めの初心な高校生みたいなやり取りは。
鴻上は眉間に手を当てて目を閉じた。
『小田桐直人を解放しろ』
『小田桐直人と咲坂琴子を結婚させるな』
送られてきたメッセージを反芻する。
琴子はこのメールの送り主を「小田桐と付き合っている女性」からではないかと疑っていた。その予想はおそらく当たっている。ただし――半分だけだ。
鴻上はもう一度、小田桐と新堂を見つめた。
狭いテーブルに大の男がふたり並ぶと窮屈だろう。二人の間にはスーツを着込んだ肩がいまにも触れあってしまいそうなほどの距離しか空いていなかった。
「先週の名古屋での打合せもその一環なんだけど、いま海外向けの商品を増やしたり、現地での取引先を増やしていこうという計画が進んでるんだけど……って、経営企画の人たちなら当然知ってるかな?」
鴻上に水を向けられた新堂が酸辣湯麺の汁を啜りながら頷いた。一応、鴻上は「課長」なのだが、相手の役職がなんであろうと、新堂のマイペースな態度は変わらないらしい。
「今後は直接やり取りする機会も増えると思うし、そういう仕事ができそうな若手を捜してるんだ。もし現地へ赴任してほしい、って言われたら……新堂くんは行ってくれるか?」
「…………」
鴻上からの話の内容が想定外だったのか、新堂は酸辣湯麺に目を落としたまま何度か大きく瞬きをした。
新堂を呼び出すための口実ではあるものの、丸っきり嘘というわけでもない。具体的な話が挙がっているわけではないから、多少、時期尚早ではあるけれど。
「そういえば、鴻上さんは前の会社でも海外向けの仕事されてたんですよね?」
黙りこんだまま口を開こうとしない新堂をフォローしようとしたのか、小田桐が鴻上に話を振った。
「はい。ただ、途中で予算が縮小されてしまって、中途半端な感じで撤退せざるを得なかったんですよね。だからこの会社では今度こそ納得いくまでやらせてもらいたいと思ってるんです」
ちなみにここまでの話のなかで、鴻上はひとつも嘘をついていない。
これなら小田桐さんも不審に思わないだろう。
必要のない嘘をつくと墓穴を掘る。嘘をつくのは本当に隠したいことに対してだけだ。
「……もしそういう話が本当にあるんなら、ちょっと考えさせてほしいです」
ずっと黙っていた新堂がようやく口を開いた。
「本当に」を強調したところ、もしかすると今日の誘いが彼を呼び出すための口実であることに気づいているのかもしれない、と鴻上は用心する。
新堂はいったん箸を置いて、軽く口元を拭うと、ゴクリと水を一口飲んでから続ける。
「それに、まだまだ小田桐さんの下で勉強させてもらいたいですし」
そう言って照れたように俯く新堂を見て、鴻上は「お?」と心のなかで声を上げた。めずらしく殊勝なことを言う新堂を鴻上は意外な思いで見つめる。
「僕の下にいたって大した勉強にはならないよ。鴻上さんについていった方がよっぽど成長できるんじゃないか」
小田桐は口元には笑みを浮かべながらも少し突き放すような言い方をした。つねに穏やかな物言いをする彼にしてはめずらしい、と鴻上は思った。
「ひど……。そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」
一方の新堂も小田桐のつれない態度に、唇を尖らせて拗ねてみせる。
普段は誰にでも穏やかで愛想がよく素を見せない小田桐と、誰にも媚びずマイペースを貫く新堂の意外なやりとりに、鴻上は驚いていた。やはり同じ部署で気ごころが知れているせいなのか――ふたりとも、いつもより表情が豊かな気がする。
「小田桐さん、それ食べないなら貰っていいですか?」
新堂が小田桐が頼んだ日替わり定食の盆の上に残っていた杏仁豆腐を指差した。
「いいよ」
「やった」
そっけない小田桐の返事に対して新堂が嬉しそうに……本当に嬉しそうに笑った。
このときの新堂の少しはにかんだ笑顔を見て、鴻上は不覚にもこう思った。
――かわいい、と。
不愛想で無表情がデフォルトの新堂が思わず見惚れてしまいそうな表情で笑ったのだ。もともと色白な頬を少し赤らませて……まるで百年に一度しか咲かない花が秘めやかに花開いたかのように。
ふと、いまの新堂が見せたような表情をどこかで見たことがある気がして、鴻上は古い記憶をたどった。そうして思い当たったのは、高校生のとき初めて付き合った彼女の顔だった。彼女は同じ高校の一年後輩で、向こうから告白してきてくれたのだった。鴻上がOKの返事をすると、彼女はさっきの新堂みたいな表情で嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべたのだった。
――え?
鴻上は軽く目をこすってから、もう一度向かい側に座る男ふたりを見返した。
小田桐はわずかに残った麻婆豆腐を白ごはんに乗せてかき込もうとしているところだった。御曹司とは思えない庶民的な動作に鴻上は共感を覚えこそしたものの、特に違和感は感じない。
問題は新堂だ。
小田桐の残した杏仁豆腐をニコニコと嬉しそうに口に運んでいる。
普段の新堂からは考えられない子供っぽい仕草に、鴻上の違和感は膨らんでいく。
そもそもなぜ昔の彼女の顔が思い浮かんだのか。もう十年以上も会っていないというのに。鴻上は自分が感じた違和感の正体を懸命に探った。渇いた喉を潤すために水を飲んだ。空になったコップを置いて、もう一度、向かいのふたりに目を移す。
「おいしかったです」
杏仁豆腐を食べ終わった新堂が小田桐に向かって満面の笑みを浮かべてみせると、
「ん」
小田桐がひと言、ぶっきらぼうに答えた。誰の前でも愛想のよい小田桐に似つかわしくないその返事は、鴻上の胸をざわめかせた。
――おいおい、なんだこのやり取りは。この……付き合い始めの初心な高校生みたいなやり取りは。
鴻上は眉間に手を当てて目を閉じた。
『小田桐直人を解放しろ』
『小田桐直人と咲坂琴子を結婚させるな』
送られてきたメッセージを反芻する。
琴子はこのメールの送り主を「小田桐と付き合っている女性」からではないかと疑っていた。その予想はおそらく当たっている。ただし――半分だけだ。
鴻上はもう一度、小田桐と新堂を見つめた。
狭いテーブルに大の男がふたり並ぶと窮屈だろう。二人の間にはスーツを着込んだ肩がいまにも触れあってしまいそうなほどの距離しか空いていなかった。
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