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20. もちろん、俺もな

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 あっという間に時間が過ぎて、出張の日がやって来た。
 東京から新幹線でおよそ二時間、名古屋駅からほど近い場所に株式会社パウロの名古屋支社は在る。
 琴子ことこ鴻上こうがみが名古屋駅に到着したのは昼前だった。

「まだ時間あるな。せっかく名古屋に来たんだし、ひつまぶし食いに行こうぜ」

 腕時計を確認しながら、鴻上が言った。心なしかウキウキとしているように見える。

「……遠慮しときます。私はスガキヤラーメンが食べたいので」

 琴子が苦虫を噛みつぶしたよう顔で答えると、

咲坂さきさかさんてさ、専務令嬢のくせに庶民的だよね」

「え……?」

 何気なく発せられた鴻上のひと言に、一瞬、琴子の動きが止まる。

「それより、ひつまぶし行こうぜ、ひつまぶし! もちろん奢るからさ」

「奢ってくれるんなら、行ってもいいですけど……」

 鴻上の勢いに押されて、琴子もしぶしぶ頷いた。
 そんなにうなぎが好きなのだろうか。たしかにひつまぶしは美味しいけど。本音を言うと琴子も食べたかった。だからこそ、鴻上の誘いにうっかり首を縦に振ってしまったわけだけど。
 そういえば、「この人サクちゃんの好きな食べ物って何なんだろう」と、今さらながらに琴子は思う。聞いたことがない。そもそも気にしたことがなかった。

「店はもう調べてあるんだ。こっちの道から行こうぜ。どうせならナナちゃんの股の下もくぐっておきたいしな」

「……ナナちゃんって、『戦鎚せんついの巨人』みたいな白いマネキンですよね?」

 琴子が以前テレビか何かで得た情報を思い出しながらボソッと例えると、

「あー、ごめん。俺、ベルトルトが食われてから『進撃』見てないんだよ」

 鴻上が申し訳なさそうにそう言ったので、琴子は驚いた。
 ほとんど、ひとり言のつもりで呟いた言葉を聞かれていたことにも驚いたが、鴻上が『進撃の巨人』を見ていたのも、ベルトルト推しだったのも初めて知った。

 その後、ナナちゃんの股の下を無事くぐり抜け、目当ての鰻屋さん向かう道中、琴子はさっきから気になっていることを口にした。

「すみません、課長……さっき私のことを『専務令嬢』って言いましたけど、それって、どういう意味ですか?」

「どういうって……そのまんまの意味だよ。タワダフーズの咲坂専務の娘さん……だろ?」

 鴻上は足を止めることもなく、こともなげに答えた。

「ご存知だったんですか……父のこと」

 琴子は額に手をやって顔を覆った。

「この間、挨拶させてもらった。『うちの娘はどうですか』って聞かれたよ」

「……なんて答えたんですか?」

 琴子が聞くと、鴻上はニヤリと意味深な笑みを浮かべると、すました口調でこうのたまった。

「そうですね……娘さんはとても感じやすくて、ちょっとMっ気もあって、私との相性は抜群ですね。あ、相性というのはもちろん夜のほう……」

「ちょっ……! な、なんてことをっ……!?」

 顔色を失くした琴子が掴みかからんばかりの勢いで抗議の声を上げると、

「冗談だよ。言えるわけないだろ、そんなこと。すぐ近くに小田桐おだぎり父子おやこもいたっていうのに」

「えっ!? なんですか、それ! どういう状況ですか!?」

「そんなに心配すんなって。咲坂専務がうちにいらしたときに、ちょっと紹介してもらっただけだよ。社長室で社長と専務に囲まれたときは、居心地が悪すぎて、すぐにでも逃げ出そうかと思ったけど」

 そのときのことを思い出しのか、鴻上が苦笑する。

「うちの父親のこと、職場のみんなには言っていないので……課長にもできれば黙ってていただきたいんですが」

「それは全然構わないけど。なんで? やっぱりやりにくい?」

「そうですね……。ぶっちゃけコネ入社なんで」

 琴子が会社で必要以上に真面目に大人しく、そして地味に働いている理由はこれだった。本来なら乗り越えなければならないはずの入社試験を顔パスで通過させてもらったこと――これには未だに少し後ろめたさを感じている。

「まぁ入り方はどうであれ、今では立派な戦力なんだし、気にすることなんてないと思うぞ。咲坂さんのことは課のみんなも頼りにしてる。もちろん、俺もな」

 今度は晴れやかな顔をかべて、琴子の頭を軽くぽん、と叩いた。
 この男の手に触れられたことは何度もあるのに、こういう風に触られたのは初めてだ、たぶん。いつものような欲情とは違う何かが、ほんわかと琴子の心の裡に灯った……気がした。

「よし、着いたぞ」

 鴻上の嬉しそうな声が聞こえて、琴子が顔を上げると、とある鰻屋さんの暖簾が目の前にあった。鰻の皮が焼ける何ともいえない良い匂いが漂ってくる。琴子は迷うことなく鴻上の背中を追って店の中へと入っていった。


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