37 / 100
種火
種火③
しおりを挟む
「はぁっ……はぁっ……はぁぁ」
俺は楠ノ瀬の手を握りしめたまま、山の中を走った。
靴を履いていない足の裏が痛い。
無我夢中で走っているうちに、眼前に楠神社の石段が現れた。
どうやら俺は無意識のうちに神社まで来てしまったらしい。
「はぁっ……高遠く、ん……ちょっと、待っ……て」
俺の後ろで楠ノ瀬が息も絶え絶えの様子で、石段に腰を下ろした。
「ぁ……ごめん」
靴下を履いている俺はともかく、楠ノ瀬は裸足だ。彼女の足を見ると、白い足が傷だらけになって血が滲んでいる。
「ごめんっ! 俺、楠ノ瀬のこと考えないで、無茶した……」
彼女の足元に膝をついて頭を下げる俺の頬に、楠ノ瀬のひんやりとした掌が触れた。
「はぁ……大丈夫……私は大丈夫だから。それより、」
楠ノ瀬が胸に手を当てて一拍置いて息を整える。
「……嬉しかった」
俺が頭を上げて視線をやると、彼女が目に涙を浮かべて笑っている。
「高遠くんが、私を連れ出してくれたこと……私の本心に気付いてくれたこと……本当に嬉しかった」
楠ノ瀬が瞬きをして、目に湛えていた涙がぽろっと一粒、零れ落ちた。
俺は自分の頬を撫でる楠ノ瀬のひんやりした掌の感触を感じながら、少しの間、目を閉じた。
「傷は大丈夫。あそこに行けば、ちょっと良くなると思うから」
少し休んで落ち着いた楠ノ瀬が、明るい声で言った。
「あそこ?」
「うん、神社の奥の泉。高遠くんは、知ってるよね?」
「ああ」
俺は楠ノ瀬の手を引いて神社の石段を登った。
石段の石は滑らかで、山道に比べれば足への負担は少ない。
……段数の多さは、どうしようもないけど。
俺は祖父さんに連れられて一度しか来たことはないが、楠ノ瀬は慣れているのか、まっすぐに目的地へと進んでいく。
「着いた……!」
目の前に、甘い芳香を漂わせる泉が静かに広がっていた。
前回来た時は朝の光を反射して翡翠色に輝いていた水面が、今は夕方の穏やかな光を受けて金色に煌めいていた。
「高遠くん、ハンカチ持ってる?」
泉のほとりに進み出た楠ノ瀬が、俺を振り返って言った。
俺はポケットに突っ込んであったチェックのハンカチを取り出して楠ノ瀬に差し出す。
「珍しいね。なかなかハンカチを常備してる男子っていないよ」
ハンカチを広げながら、関心したように楠ノ瀬が言う。
「あー……子供の頃からうるさく言われてきたからな。もう習慣になってる」
楠ノ瀬の誉め言葉(?)に、俺は照れくさくて頭を掻いた。
高遠家の長男として、最低限のマナーについては昔からしつこく注意されてきたのだ。
楠ノ瀬は俺の渡したハンカチをそっと泉に浸した。
しばらく浸けておいて泉の碧い水を染み込ませると、水面から引き上げて水分を絞る。
楠ノ瀬は泉の脇の草上に横座りすると、水を含ませたハンカチで自分の足を拭った。
「うっ……」
小石や枯れ枝でついた擦り傷に沁みるのか……楠ノ瀬が小さく呻いて顔を歪めた。
しかし何回か拭っているうちに――
「え……傷が減ってる?」
念のため目をこすってから、楠ノ瀬の足をもう一度見つめる。
「そう。これが、この泉の力だよ。『お清め』もここの水でやるの」
「ちょっといい?」と、楠ノ瀬が俺の泥だらけの靴下を脱がせた。それから立ち上がって泉の縁へ行くと、両手で水を掬った。掬った水を零さないようにそろりそろりと俺の元へ歩いてくる。
「ごめん、ちょっと沁みるかもしれないけど……」
楠ノ瀬は小さく謝ってから、俺の足に泉の水を振りかけた。
水の飛沫が飛び散って、甘い香りが鼻をつく。
濡れたところから、じんわりと温かさが広がっていく気がする。
楠ノ瀬が俺の足に手を伸ばして、ゆっくり撫でた。彼女がひと撫でするたびに、足の痛みが引いていく。
「……すごい、な」
思わず感嘆の声を漏らすと、
「こういう『治療』でいいなら、いくらでもやるんだけど……」
楠ノ瀬が俺の足を撫でながら、ぽつりと言った。
俺は楠ノ瀬の手を握りしめたまま、山の中を走った。
靴を履いていない足の裏が痛い。
無我夢中で走っているうちに、眼前に楠神社の石段が現れた。
どうやら俺は無意識のうちに神社まで来てしまったらしい。
「はぁっ……高遠く、ん……ちょっと、待っ……て」
俺の後ろで楠ノ瀬が息も絶え絶えの様子で、石段に腰を下ろした。
「ぁ……ごめん」
靴下を履いている俺はともかく、楠ノ瀬は裸足だ。彼女の足を見ると、白い足が傷だらけになって血が滲んでいる。
「ごめんっ! 俺、楠ノ瀬のこと考えないで、無茶した……」
彼女の足元に膝をついて頭を下げる俺の頬に、楠ノ瀬のひんやりとした掌が触れた。
「はぁ……大丈夫……私は大丈夫だから。それより、」
楠ノ瀬が胸に手を当てて一拍置いて息を整える。
「……嬉しかった」
俺が頭を上げて視線をやると、彼女が目に涙を浮かべて笑っている。
「高遠くんが、私を連れ出してくれたこと……私の本心に気付いてくれたこと……本当に嬉しかった」
楠ノ瀬が瞬きをして、目に湛えていた涙がぽろっと一粒、零れ落ちた。
俺は自分の頬を撫でる楠ノ瀬のひんやりした掌の感触を感じながら、少しの間、目を閉じた。
「傷は大丈夫。あそこに行けば、ちょっと良くなると思うから」
少し休んで落ち着いた楠ノ瀬が、明るい声で言った。
「あそこ?」
「うん、神社の奥の泉。高遠くんは、知ってるよね?」
「ああ」
俺は楠ノ瀬の手を引いて神社の石段を登った。
石段の石は滑らかで、山道に比べれば足への負担は少ない。
……段数の多さは、どうしようもないけど。
俺は祖父さんに連れられて一度しか来たことはないが、楠ノ瀬は慣れているのか、まっすぐに目的地へと進んでいく。
「着いた……!」
目の前に、甘い芳香を漂わせる泉が静かに広がっていた。
前回来た時は朝の光を反射して翡翠色に輝いていた水面が、今は夕方の穏やかな光を受けて金色に煌めいていた。
「高遠くん、ハンカチ持ってる?」
泉のほとりに進み出た楠ノ瀬が、俺を振り返って言った。
俺はポケットに突っ込んであったチェックのハンカチを取り出して楠ノ瀬に差し出す。
「珍しいね。なかなかハンカチを常備してる男子っていないよ」
ハンカチを広げながら、関心したように楠ノ瀬が言う。
「あー……子供の頃からうるさく言われてきたからな。もう習慣になってる」
楠ノ瀬の誉め言葉(?)に、俺は照れくさくて頭を掻いた。
高遠家の長男として、最低限のマナーについては昔からしつこく注意されてきたのだ。
楠ノ瀬は俺の渡したハンカチをそっと泉に浸した。
しばらく浸けておいて泉の碧い水を染み込ませると、水面から引き上げて水分を絞る。
楠ノ瀬は泉の脇の草上に横座りすると、水を含ませたハンカチで自分の足を拭った。
「うっ……」
小石や枯れ枝でついた擦り傷に沁みるのか……楠ノ瀬が小さく呻いて顔を歪めた。
しかし何回か拭っているうちに――
「え……傷が減ってる?」
念のため目をこすってから、楠ノ瀬の足をもう一度見つめる。
「そう。これが、この泉の力だよ。『お清め』もここの水でやるの」
「ちょっといい?」と、楠ノ瀬が俺の泥だらけの靴下を脱がせた。それから立ち上がって泉の縁へ行くと、両手で水を掬った。掬った水を零さないようにそろりそろりと俺の元へ歩いてくる。
「ごめん、ちょっと沁みるかもしれないけど……」
楠ノ瀬は小さく謝ってから、俺の足に泉の水を振りかけた。
水の飛沫が飛び散って、甘い香りが鼻をつく。
濡れたところから、じんわりと温かさが広がっていく気がする。
楠ノ瀬が俺の足に手を伸ばして、ゆっくり撫でた。彼女がひと撫でするたびに、足の痛みが引いていく。
「……すごい、な」
思わず感嘆の声を漏らすと、
「こういう『治療』でいいなら、いくらでもやるんだけど……」
楠ノ瀬が俺の足を撫でながら、ぽつりと言った。
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
男女比の狂った世界で愛を振りまく
キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。
その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる