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種火
後継者④
しおりを挟む「そんなに驚くことではない。お前も鍛錬すれば、できる」
祖父さんが碧い目で俺を見つめている。
まっすぐ射抜くようなその視線に、俺は束の間、息をすることも忘れた。
「お前は神様に見込まれた」
祖父さんが静かに言った。
「お前は選ばれたんだ。高遠の血筋なら誰もが神に憑かれるわけではない……現に、お前の父親に神様が憑くことはなかった」
「あ……」
俺は先日見た父さんの顔を思い出した。
力なく笑った、あの表情を……。
「神の眼鏡に敵わなかった高遠の息子に、町の人間は冷たい。町の当主に足る器ではない、と宣告されたようなものだからな」
「もしかして、父さんがうちに寄りつかないのは……」
「儂がもっと庇ってやればよかったんだろうが……」
祖父さんが小さく呟いて、目を伏せた。
碧い瞳が色を失っていく。
「だが、神の力は諸刃の剣だ。良いことだけではない」
顔を上げた祖父さんの目が黒色に戻っている。
俺はほっとして、小さく息を吐いた。
祖父さんも力が抜けたように肩を落とした。
「お前に兆候がないのであれば、それはそれで構わないと……思っていた」
祖父さんが青筋の目立つ皺くちゃの手で顔を拭った。
「神は儂らに見えないものを見せてくださる」
「え……?」
「聞こえないものを聞かせてくださる」
「それは、」
どういうことだ、という俺の問いかけは珍しく饒舌な祖父さんの声によって遮られた。
「それは即ち、見たくないものを見せられ、聞きたくないことをも聞かされる……ということだ」
祖父さんは俯いて唇を噛みしめた。眉間に濃く苦し気な皺が寄る。
打ちひしがれたような祖父の姿を見るのは初めてだ……。
俺はどうしていいかわからず、ただただ口を噤んでいるしかなかった。
「……お前のように十代で魅入られるのは珍しい」
再び口を開いた祖父さんの言葉に、俺は姿勢を正して耳を傾ける。
「儂が初めてアレを経験したのは、二十歳を少し過ぎた頃だった。お前がこんなに早く神様に『呼ばれた』のは楠ノ瀬の娘が呼び水になったんではないか、と儂は思う。楠ノ瀬の当主もおそらくそう考えておるはずだ」
「楠ノ瀬が……?」
「ああ。高遠と楠ノ瀬の血や体液が混ざり合うこと……それは神の力を最大限に引き出すことであると同時に……禁じられたことだからだ」
「なんで力を引き出すのに、禁止されてるんだ?」
俺は一見矛盾した祖父の発言が理解できなかった。
「元々、神を御するには儂らだけでは力が足りん。楠ノ瀬の巫女の力が必要だ。今まさにお前が体験しているように」
祖父さんが同意を求めるように俺に視線を向けた。
俺は大きく一度頷いてみせた。
「古来、高遠と楠ノ瀬は一つの氏族だったと言われておる」
「え?」
「それが二つに分かれたのは、神の怒りを買ったためだ」
「神の怒り?」
俺が祖父の言葉を繰り返すと、
「その力を私利私欲のために悪用しようとした者がいた、と云われている」
「もう五百年以上前の話だが」と祖父さんが付け加えた。
――五百年というと、戦国時代? 室町時代だろうか……。昔の話すぎて、想像もつかない。
「それまでは山の向こう側もうちの土地だったらしい」
「現在は誰も住んでないよな? 荒地だった気がするけど……」
俺が地図を思い出しながら口にすると、祖父さんが首を縦に振る。
「もしかすると、お前も見たことがあるかもしれん」
「……何を?」
祖父さんの指すものがわからない俺が首を傾げていると、
「『跡』だ。まるで隕石でも落ちたような大きな穴がある。あそこには昔、湖があった」
「あ……」
俺は子供の頃に楠ノ瀬と一緒に見た、あの窪地を思い出した。
「村があって、大勢の人が住んでいた。湖は村の中心で、人々の生活を支えていたという。……それが一瞬で干からびた」
「えっ……?」
「雷が落ちたとも、大火事が出たとも云われている」
「それが……『神の怒り』?」
祖父さんが黙って頷いた。
「山の向こうは、数百年経った今でも枯れ地のままだ」
そう言った祖父さんの口元がわずかに震えている。
「そんな昔の話……みんな信じてるのか?」
俺が半信半疑で問いかけると、
「……その後も何回かあったんだ。高遠の家の者と楠ノ瀬の家の者が一緒になりたいという話が。その度に、町に災厄が起きた。日照りや地震……町の老人たちは自分の親や祖父母から話を聞いて、未だに信じている者も多い」
話し終えた祖父さんが瞼を震わせながら瞑目した。
「……みんなは、知ってたんだな……」
――楠ノ瀬も、あやちゃんも、徳堂も。
「いっ時の想いなら、はやく消してしまうことだ」
祖父さんが低く厳しい声で言った。
「周りから祝福されない恋というのはうまくいかんもんだ……若いうちはいいかもしれんが……長くは続かん」
そんなの、やってみないとわからないじゃないか……!
――出かかった言葉を飲み込んだ。
きっと、祖父さんの言うことが正しいんだろうし、たくさんの前例があるんだと思う。
頭では理解した。
だけど――
納得は、していない。
「そろそろ飯の時間だ。……行くぞ」
のっそりと腰を上げた祖父さんが俺の肩に手を置いた。
左肩に少し汗ばんだ温かい感触を感じながら、俺は楠ノ瀬への想いはすぐに消せるものかどうかを……考えていた。
祖父さんが碧い目で俺を見つめている。
まっすぐ射抜くようなその視線に、俺は束の間、息をすることも忘れた。
「お前は神様に見込まれた」
祖父さんが静かに言った。
「お前は選ばれたんだ。高遠の血筋なら誰もが神に憑かれるわけではない……現に、お前の父親に神様が憑くことはなかった」
「あ……」
俺は先日見た父さんの顔を思い出した。
力なく笑った、あの表情を……。
「神の眼鏡に敵わなかった高遠の息子に、町の人間は冷たい。町の当主に足る器ではない、と宣告されたようなものだからな」
「もしかして、父さんがうちに寄りつかないのは……」
「儂がもっと庇ってやればよかったんだろうが……」
祖父さんが小さく呟いて、目を伏せた。
碧い瞳が色を失っていく。
「だが、神の力は諸刃の剣だ。良いことだけではない」
顔を上げた祖父さんの目が黒色に戻っている。
俺はほっとして、小さく息を吐いた。
祖父さんも力が抜けたように肩を落とした。
「お前に兆候がないのであれば、それはそれで構わないと……思っていた」
祖父さんが青筋の目立つ皺くちゃの手で顔を拭った。
「神は儂らに見えないものを見せてくださる」
「え……?」
「聞こえないものを聞かせてくださる」
「それは、」
どういうことだ、という俺の問いかけは珍しく饒舌な祖父さんの声によって遮られた。
「それは即ち、見たくないものを見せられ、聞きたくないことをも聞かされる……ということだ」
祖父さんは俯いて唇を噛みしめた。眉間に濃く苦し気な皺が寄る。
打ちひしがれたような祖父の姿を見るのは初めてだ……。
俺はどうしていいかわからず、ただただ口を噤んでいるしかなかった。
「……お前のように十代で魅入られるのは珍しい」
再び口を開いた祖父さんの言葉に、俺は姿勢を正して耳を傾ける。
「儂が初めてアレを経験したのは、二十歳を少し過ぎた頃だった。お前がこんなに早く神様に『呼ばれた』のは楠ノ瀬の娘が呼び水になったんではないか、と儂は思う。楠ノ瀬の当主もおそらくそう考えておるはずだ」
「楠ノ瀬が……?」
「ああ。高遠と楠ノ瀬の血や体液が混ざり合うこと……それは神の力を最大限に引き出すことであると同時に……禁じられたことだからだ」
「なんで力を引き出すのに、禁止されてるんだ?」
俺は一見矛盾した祖父の発言が理解できなかった。
「元々、神を御するには儂らだけでは力が足りん。楠ノ瀬の巫女の力が必要だ。今まさにお前が体験しているように」
祖父さんが同意を求めるように俺に視線を向けた。
俺は大きく一度頷いてみせた。
「古来、高遠と楠ノ瀬は一つの氏族だったと言われておる」
「え?」
「それが二つに分かれたのは、神の怒りを買ったためだ」
「神の怒り?」
俺が祖父の言葉を繰り返すと、
「その力を私利私欲のために悪用しようとした者がいた、と云われている」
「もう五百年以上前の話だが」と祖父さんが付け加えた。
――五百年というと、戦国時代? 室町時代だろうか……。昔の話すぎて、想像もつかない。
「それまでは山の向こう側もうちの土地だったらしい」
「現在は誰も住んでないよな? 荒地だった気がするけど……」
俺が地図を思い出しながら口にすると、祖父さんが首を縦に振る。
「もしかすると、お前も見たことがあるかもしれん」
「……何を?」
祖父さんの指すものがわからない俺が首を傾げていると、
「『跡』だ。まるで隕石でも落ちたような大きな穴がある。あそこには昔、湖があった」
「あ……」
俺は子供の頃に楠ノ瀬と一緒に見た、あの窪地を思い出した。
「村があって、大勢の人が住んでいた。湖は村の中心で、人々の生活を支えていたという。……それが一瞬で干からびた」
「えっ……?」
「雷が落ちたとも、大火事が出たとも云われている」
「それが……『神の怒り』?」
祖父さんが黙って頷いた。
「山の向こうは、数百年経った今でも枯れ地のままだ」
そう言った祖父さんの口元がわずかに震えている。
「そんな昔の話……みんな信じてるのか?」
俺が半信半疑で問いかけると、
「……その後も何回かあったんだ。高遠の家の者と楠ノ瀬の家の者が一緒になりたいという話が。その度に、町に災厄が起きた。日照りや地震……町の老人たちは自分の親や祖父母から話を聞いて、未だに信じている者も多い」
話し終えた祖父さんが瞼を震わせながら瞑目した。
「……みんなは、知ってたんだな……」
――楠ノ瀬も、あやちゃんも、徳堂も。
「いっ時の想いなら、はやく消してしまうことだ」
祖父さんが低く厳しい声で言った。
「周りから祝福されない恋というのはうまくいかんもんだ……若いうちはいいかもしれんが……長くは続かん」
そんなの、やってみないとわからないじゃないか……!
――出かかった言葉を飲み込んだ。
きっと、祖父さんの言うことが正しいんだろうし、たくさんの前例があるんだと思う。
頭では理解した。
だけど――
納得は、していない。
「そろそろ飯の時間だ。……行くぞ」
のっそりと腰を上げた祖父さんが俺の肩に手を置いた。
左肩に少し汗ばんだ温かい感触を感じながら、俺は楠ノ瀬への想いはすぐに消せるものかどうかを……考えていた。
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