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地ならし野郎ガスロの災厄
しおりを挟むセグメント8区の開拓最前線を担う、8区土建労・整地組・前線番・第2組<桃二郎>組は、現在、未捕虫圏8区延長区域300m、235°付近の未開発地、いわゆる「圏外」に虫屯地を置き、土地の整地ノルマに服している。
「あほんだら!!虫がおらにゃ話にならんだろ!」桃二郎組の組長ガスロ・ブーンターンは、日々積み重なっていくノルマの遅滞による組合からの督促に、不機嫌に机の上のトラビを切った。「雑甲虫燃やして、ヘソで茶ァ沸かせいうんかい!」
今日も、ノルマの3割ほどしか整地できなかった。つねに虫不足なのに加え、辺りの平均クラック値も低い日が続いていた。
「仕方ねえ、天麩羅参りだ、支度しろい!」
虫に困ったときには神頼みならぬ、天プラ頼みだった。事務所に詰めていた10名ほどの組員たちは「へい」と口々に返事すると、副組長の指示で、車に虫を入れに出る者、車の外装みがきと除虫対策に出る者、手土産の用意にかかる者らが、それぞれ動き出した。
「残った連中はもうあがれ。明日は早朝から虫捕りだからそのつもりでいろい」ガスロは言って立ち上がると、一度はだけた労務ツナギの前のジッパーを首元まで引き上げた。「こっちァこれから、地ならし以上に骨の折れる労務じゃ」
ガスロは気難しいムシシ・テンプラーが苦手だった。普段、連合の上層部にさえ、いっさい気を使わない無遠慮な質だったが、ムシシにそれは通じなかった。
以前、同じような虫不足でノルマの大幅な遅滞を招き、組の担当する持ち場の権利没収の危機に陥りかけたとき、噂に聞いていた「虫乞いの術師ムシシ」とやらの下へ、当時ムシシの居住していた2区の圏外まで、虫乞いの依頼に出向いていった。
やっかいな爺さんだから気をつけろと、前もって土建労同志から忠告はされていたが、ガスロはそこで下手を打った。「ジイさん、頼むぜ」などと軽口を叩いたのがマズかった。そしたら「この若造が!虫唾が走る、生意気だ」ときたから、こっちも開拓最前線に番を張って組を受け持ち、親方と呼ばれる立場だ、子分の前でバカにされて黙っていられるかと「外労のジジイが生意気だ」とやり返したらあとの祭り。すぐに取っ組み合いのケンカになって交渉は決裂した。
が、そこまでは、どうということはなかった。破裂と喧嘩は前線の花。土建労にはよくあるもめ事。大変だったのはそのあとである。ムシシはわざわざ8区圏外まで引っ越してくると、こちらが不審に思うまもなく、その日以降、折からの虫不足に加え、さらに高い虫、中程度の虫まですっかりいなくなってしまった。あれは振り返ってみても、ガスロにとって土建労人生最悪の時期だった。まったく呪われたのだと思った。以来、それまでの不信心など棚に上げ、いままで省みもしなかった虫播きのウィキッドビューグルにまでお神酒をあげて棚の上に奉るようになった。けれど虫捕り専門の捕虫労どもの敬う魔女に頼んでも、にわかのせいか、いっこうに埒があかない。どうも、捕虫労どものあいだでよく聞く、虫運というやつに見放されたらしいのだ。
ムシシはやっかい者どころじゃない。実にアンタッチャブルな存在だ。あまりに危険すぎて捕虫圏を追放されたのに違いない。放浪の自由労、虫を呼ぶ男と呼ばれる一方で、奴があらわれると高い虫がいなくなる、という噂も本当らしい。どこかで虫を呼べるなら、こちらの虫がいなくなるのも道理だ。そんなとき、きまって隣で番を張る整地組の成績が、やけに順調なのだから。あのときガスロはムシシに、人生で初めて膝を屈して詫びを入れた。すると次の日から、不思議と高い虫が集まり出したのだった。その後も、虫不足でノルマの遅滞が続くと、ガスロは「天麩羅参り」に出向くようになった。
圏外を渡り歩き、ちょくちょく所在を変えるムシシが、幸か不幸か、ちょうど<桃二郎>組虫屯地の近くに滞在して、もう半年になる。そのせいなのかは知らない、ただ辺りでは虫不足が断続的に起こり、ガスロはこのところ、ひと月に一度のペースの「テンパー参り」が続いていた。
たびたび会うようになってみると、ムシシはそれほど悪い質の人間ではないことを知った。こちらの誠意次第で、呼ぶ虫の質と量が変わるらしいということも学んだ。
それでも短気なガスロにとって、毎回ムシシとの面会前には、心の準備が必要だった。お布施も怠りないよう、いろいろな気配りも合わせて用意は万全にする。しかしなるべくなら頼りたくはないのが本音だった。土産という名目のお布施もバカにならない。配給缶詰もこたえないわけではないが、なにより痛いのが、連合から支給される「裏ポイント」の積み立てが尽きかけていることだ。しかしここまで来て、背に腹は代えられない。
――そんなことよりこっちの神経じゃ――いまガスロの気をもむのは、空き腹でも腹の虫の心配でもない。ガスロは他人に気をつかうことが、なにより苦手なのだ。常日頃、虫並みの無神経をもって自任していたほどだ。それがムシシの前だと、なにか心の中まで見透かされるようで、怖ろしいのだ。
しかし、ちょっとの間の辛抱だ。こちらにはなんの負い目もない。実際、窮地なのだ。向こうも困った人間の頼みを無下にする男ではない。それは確かだった。
ムシシにいなくなって欲しいなどとは、考えるだけも厳禁である。ムシシのせいで高い虫がいなくなっているなど、まるで根拠のないことだ。
そして間違えても、ムシシが自分で高い虫を追い払っておいて、報酬目当てで、虫を呼び返している、などという疑いはいっさい抱かないことだ。顔に出やすいガスロは要注意なのである。
それから、自由労だからといって、下に見ないことは無論である。なにより相手に敬意を持つことだ。「テンパー」などと呼ぶのはもってのほか。アタマにものぼらせないよう、意識を徹底しなければ。普段トランスビジョンモニターにさえ神経を使わないガスロには、それなりの苦行だ。しかし開拓事業のため、ノルマのため、なにより組員のため。そして土建労整地組のプライドのため。こんな石頭でいいなら、いくらでも下げてくれる、と気を引き締め、いつか思いついた土建労の安全標語をもじった言葉を呪文のように口中で呟いた。「気をつけよう!ムシシの癇癪、むしろ無心でご挨拶!無神経こそ安全の敵!・・」
気持ちを整えたガスロは、机の上に寄りかかり、胸ポケットから取り出した蟲煙草をくわえ、配給のマッチを擦ると、しけた1本目を投げ捨て、2本目は折っかいた。それでも3本目で火がついたのは、配給物にしては上々だった。とにかく、短気を起こしてノルマが速やかに捗ることはない。つまらないイヤミは来るだろうが、そこは聞き流すことだ。根が悪い人間でないのは、わかっている。ただの冗談がほとんどである。悪気はない。本当に虫不足がムシシのせいだとしても、それでどうなるというものでもないのだ。にっちもさっちもいかないこの組の現状は変わらない。ここは忍耐と寛容な精神である。ガスロはゆっくり落ちつき、蟲煙草を深く吸い込んだ。
いま若い衆のひとりが、事務所の棚に積み上がった配給缶詰の山から、ムシシへの手土産に、いちいち選り分けて箱に詰めている。それを見ていると、ガスロの中で、押さえつけたはずの腹の虫がムクムクと騒ぎだした。先方の喜びそうな物を選んでいるならまだわかるが、ピクルス詰けだの、煮豆だの、甘ったるいフルーツジャムだのと、どうも、ここで好まれないようなものばかり選びだしているようにガスロの目には映ったのだ。これは他の整地組への陣中見舞いとは違うのだ。
ムシシは、他人のそういう細かな誤魔化しを見逃さない。ガスロはタメ息に紛らせ煙を吐いた。子分のケチのせいで組長が恥をかかされては、たまらない。なにより、こんなことでムシシの機嫌を損ねては、こんな気苦労も台無しである。ガスロは怒鳴り付けたい衝動をこらえ、よき指導を与える前に、蟲煙草をもう一度深く吸い入れ、吐き出した。ここは忍耐と寛容な精神である。
「ケチケチしねえで、そこらのもの全部詰めちまえ」
結局、若い者のつまらない吝嗇も、半分は自分の甲斐性のせいなのだ。そしてもう半分は連合であり、組合である。それにこいつはムシシを直接知らないのだから無理もない。
とは言ったものの、親の投げた、あえて言葉に出さない大事なことを、拾って読み取るのも子分の務めというものだ。そこらのもの、には入らないモノ、土産物には持ち出さない禁制品があることくらい、組員なら覚えておくべきである。いま棚の最上段に並べられた缶詰に手を出したのに、さすがにガスロの腹の虫は破裂した。
「バカヤロー、酒は残しとんかい!」
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