暁のホザンナ

青柳ジュウゴ

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真秀に高く黎明 - 2 -

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 ふわふわと、泥の底を揺蕩うような意識。
 暖かく柔らかな空間は眩しい程に光に満ち溢れている。薄く布に遮られているのか直接瞼を焼くことはなかったがそれでも十分明るかった。ぎゅうと閉じた瞼をもう一度強く瞑って、そうと開いてみる。
 優しく甘い香りがすると思えば可憐な小さな花が見える。
 ここは、ルアード達に連れられてやってきた宿屋の一室だった。ふわふわの寝具、先程見えた花はベッドサイドに置かれた花瓶に飾られていたものらしい。ちょうどその花瓶の水を変えていたリリーとぱちりと。目が合った。

 ぶわ、と。
 瞬間リリーは目に涙をいっぱいにためて。

「ルーシェルさん! ルーシェルさんが目を覚ましました!」

 よかったですー! と何やら叫びながら、どたばたすべんびたんと凄まじい音を立てながらリリーが部屋から飛び出していった。だんだんだん! と階段でも降りたのか上ったのか転がる音が遠くからする。
 なにがどうなっているのか。
 飛び出していったリリーの後ろ姿、ばたんと乱暴に閉まった扉を呆気にとられたまま見つめる。もぞりと身体を起こす、痛みはない。のろ、と上げた手首には真白い包帯が巻かれていた。首元も違和感を覚えるので指でなぞる、ざらついた布の感触。頬にも何やら貼られている、唇の端にも。丁寧に治療されたのだと解ったが、昨夜のことは実のところよく覚えていなかった。
 闘技場で試合を見届けて、色々と面倒になったから外に出て、そうしたら人とは様子の違う二人組の男に攫われたらしく――そのあと天使がやってきて、酷く腹が立ったのだけははっきりしていた。だから、苛立ちのまま天使を殺そうと――そこまで思い出してはっとした。

「ナハシュ・ザハヴ……ッ」

 愛器の名を呼ぶ。
 周囲を見渡せばベッド脇の壁に立てかけられていた。黒い刀身、黒い柄には細かな金の装飾が施されている。意思ある武器。宿主を選ぶ刃。ほうと安堵が漏れ出た。あの時、己の霊力がナハシュを呼んだのだろう。どうして発現できたのかまでは解らないしまた霊力は使えなくなっているようだが、それでも心のよりどころにはなりえた。
 腕を伸ばして柄に触れる、ナハシュが僅かに振動音を返してくることが嬉しくてふ、と。口元が緩んだ。
 どたんばたん再び何やら騒がしい音がする、うるさい、と。ぼんやりと考えていたら。

「ルーシェルさん!」

 転がりながら入室してきたのはルアードだった。
 リリーと女将、アーネストと……ああ、やはり金髪の天使もいる。

「……なんだ」
 げんなりしながら問えば、なんだだ何だって! ルアードは吼えた。
 うおおよかったよお、言いながらリリーと手を取り合って喜んでいるらしい、何が嬉しいのかさっぱりなので訝しげに彼らを見やる。ルアードにアーネスト、リリーに女将と勢ぞろいである。天使は頬に大きなガーゼを張られて、少しばつが悪そうにこちらを見ていた。

「よかったよ、あんた三日も目を覚まさないから」

 女将がひょいとこちらの額に手をやる、熱はないようだねぇと言って笑った。
 されるがままに身を任せ、三日、思わず口にする。
 暴れたという自覚はまあ、なくはないが。
 それでも三日も眠り続けるとは思わなかった。その間この宿に運び込まれ、治療と着替えを済まされたわけだ。丁寧にまかれた包帯、ぼろぼろになってしまったワンピースは取り替えられ、またゆったりとした服へと変わっていた。

「何か食べられるかい」
「あ、パン粥、パン粥すぐ出来ますっ持ってきますね!」
「え、あ、おい!」

 ばたばたとリリーがまた慌ただしく部屋から飛び出していった。まだ食べるともいらないとも言っていないのに気の早いことである。

「騒がしい事だ……」
「みんなルーシェルさんを心配していたんだよ」

 ルアードがにこにこしながら語りかけてくる。

「別に……大したことない」
「相変わらず素っ気ないねぇ」

 そんなところも素敵だけども!
 くるくると陽気に踊りだす彼を前に、アーネストの溜息と共に。なんとなく、日常が戻ってきたのだと思えた。こんなものが日常になってしまったことに対する一抹の不安はあるものの、なんとなく、そこまで嫌だとも思わないのだった。先日の夜の事を思えば身の危険を覚えないのはありがたいとも言える。

「お待たせしました~」

 リリーが素早くパン粥を持ってくる。
 小さなお盆に乗せられた、先日よりもずっと小ぶりな椀の中にほかほかと湯気の立ちあがる白く柔らかなものが入っていた。まずは少しずつからですね、こちらも何が嬉しいのか満面の笑顔である。
 それを見届けて、女将はじゃあまた何かあれば呼びなさいなと一言残して階下へといってしまった。リリーも、冷めないうちにどうぞと言うと女将の後に続いた。宿である、仕事もあるだろうに暇な事だ。

 かたり、と。小さな音がした方をみやれば、天使が窓を小さく開けていた。そよ、と。ほんの少しだが入ってくる風の流れが心地よい。僅かに目を細めたのをルアードは目ざとく気付いた、顔色が良くなったようで安心したよと穏やかな表情で言われるが返答に困る。黙っていれば滔々と喋りかけられそうで、そうか、と。それだけ返す。

「ああ、そういえばね。衛兵が話を聞かせてほしいって言ってたよ」
「衛兵?」

 思い出したかのようにルアードが口にした。

「ええと、街の警護とかをしている役人さん。ルーシェルさんが捕まったのはどんな相手だったかとか、知ってることを教えてほしいってさ」

 何度か来てるんだよねぇ、まだ目が覚めないからってお帰りいただいてるんだけど。
 ……あの夜の事、か。正直な所面倒ではある。

「協力は義務ですよ」

 顔にでも出ていたのか、こちらの正直な感情を読み取ったらしい天使が小さく口にした。
 なんだお前、珍しくずっと黙っていると思ったらちゃんと喋れるんじゃないか。答えるのも癪で天使の言葉を無視した。ええー喧嘩? ルアードの声が煩わしい。
 その時ごんごん、と扉を叩かれた。

「邪魔をする、衛兵のマディムだ」

 ぬっと入ってきたのは、随分とくたびれた表情のけだるげな男だった。
 黒い服を着て、年のころは三十かそこかだろう。随分とかっちりとした黒い服を着た黒髪の男で、似たような服装の若い女を一人供に着けていた。

「ああ、来られたよ」

 どうぞどうぞとルアードが招き入れる。
 どうも、ぼそりと告げ入室した男がちらりとこちらを見る、入れ代わり立ち代わりご苦労な事である。面倒くさいと言わんばかりの表情を隠しもしないこちらに、けれど男は顔色一つ変えず。

「病み上がりで申し訳ない、食事は続けていただいて構わないので先日の夜の事を聞きたい」

 事務的な問いかけを投げかけてきた。
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