暁のホザンナ

青柳ジュウゴ

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暗夜の礫 - 2 -

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 冷たい床の感触で目が覚めた。
 のろ、と視線を動かすと薄暗い部屋の中なのだと解った。どこなのかは定かではないが、まあ真っ当な使われ方はしていないであろう小さな室内のようだ。黴臭くじめじめとした重く冷たい空気。小部屋というものでもないらしい、倉庫なのだろうか、生活に必要であろう物が何もない代わりに積まれた木箱や雑多なものであふれている。

 周囲を警戒しつつ少し腕を動かしてみる、違和感のある通り後ろ手にぎっちりと縛られていた。これでは立ち上がることが出来ない。履いていたサンダルも連れられてくる間にどこかへ落したのだろう、素足だった。抵抗を封じられ、むき出しの石で出来た床の上に転がされているのである。芯から冷えるような寒気が身を包む。

 周囲を窺うが人の気配はない。
 扉のようなものが見えた、その傍に置かれた布袋。何か入っているようだが中身までは見えない。
 何か、ここから脱出できるようなものでも入っていないだろうか。
 腕を縛られたロープは頑丈で抜け出すことは不可能のように思えた。ならば、袋の中身を確認してから対策を練るのも遅くはないのかもしれない、そんな事を考えていたらけたたましい音と共に扉が開いた。否、蹴り開けられた?

「―――、、、、、、、、、」

 頭上から響く男の声。
 声色から先程の、フードを目深に被った男だと気づく。口元しか見えず表情は解らないが何が可笑しいのかけたけたと笑っていた。陽気に歌っているかのようにリズムをつけた喋り方であるが、相変わらず何を言っているのか解らない。……この状態でまともな事を言っているとは思えないが。じり、と身構える。人買いか何かだろうか、攫われたらしいことだけははっきりとしていた。人間風情になんたる情けなさ……じろりと睨み上げると、けけ、と男は不快な声で笑った。そうしてしゃがみ込み、起き上がる事すら出来ないこちらの前髪を乱暴に掴み上げた。引き連れる皮膚の痛みに僅かに顔を歪める。

「――――――、、、、、」

 そうして頬に破裂音。
 こちらの反応が少ない事が面白くないのか、叩かれたのだとわかった。遅れ来るじんとした痛み、口の中が切れたのか血の味がじわりと広がった。

「、、、、、、、?」

 顔をのぞき込んでくる男から発される重低音。
 苛立っている、先程まで陽気だったのに随分と短気な。気に入りの玩具を手にしたのに思い通りに動かないと苛立つ子供のそれだ。ぎりぎりと髪を掴む手に力がこもる、放せと言いたかったが言葉が違う事を知られる方が厄介だと理性が告げていた。人買いにまともな者などいる筈もないだろうが、それでもこれ以上余計な騒動は御免である。出来る事と言えば歯を食いしばり睨みつける事くらいだったが、目の前の男は何やら思いついたのか、に、と。口角を上げた。
 キン、と空気がひりついたのが解った。何かしら力が発動したのだと気付く。
 にたりとこちらを見る男の目がきらりと光った。フードの下から覗く金色に輝く瞳。

「……これでわかるよなァ?」

 突然明瞭な言葉に息を飲んだ。
 目を見開くこちらを、人とは思えぬ輝く金の瞳をした男が実に愉快そうに見ている。
 言語変換。道具がなくても可能なのか。否、どこかに隠し持っていた?
 人なのか、人ならざるものなのか判断がつかない。人間は魔力がないと言っていたが、魔石が道具として生活に根差しているようならこういう事も出来るのだろうか。

「おい何をふざけている」

 思考が定まらぬ中に男がもう一人現れる。
 こちらは目の前の男と同じ外套を着ていたが、フードは被っておらず表情が良く見えた。黒に近い茶色の瞳をした浅黒い肌の男だ、先程こちらに何か嗅がせてきた男だろうか。こちらもやはりはっきりと言っている言葉が解った。

「怪我をさせるなと言ってるだろう」
「こんだけ美人なら少々傷付いたって買う変態はいるさ」

 訳が分からない状態でいるこちらなぞお構いなしに男達は言葉を交わしている。髪を掴んだまま放されない手、無理矢理に上を向かされて苦しい。
 買う、と。言ったか。
 発言が理解できるという事は、理解できないよりもより一層恐怖心を煽った。

「少々楽しんだって、なァ?」

 下卑た笑い声と共にぱっと手を放された。どしゃ、と無様に床の上に叩きつけられる。
 打たれた頬は相変わらず痛みを訴えており口内は鉄臭く。薄暗い室内。黴と埃に溢れ視界は狭隘。石造りの床は冷たくて痛い。ぴた、ぴた、とどこからか滴り落ちる雫の音が小さく反響している。

 ――他に、仲間はいるのだろうか。

 冷静な部分がそう考えるものの、己の置かれた環境その全てが警鐘を鳴らしていた。
 どくどくと早鐘を打つ胸、反撃も出来ない。
 魔界は弱肉強食、強ければ生き弱ければ死ぬ。強者が弱者を蹂躙するなど当然の権利だ。弱いのが悪いのである。力こそ、霊力こそすべて。だから今、私は。力のない私は。抵抗する術を持たない私は。

 こちらを見下ろしてくる男達の眼差しにあからさまな色が混じる。

 にやにやと醜悪な笑みを張り付けて、向けられる欲に塗れた気配にぞっとした。後ずさろうとしようとも転がった体で何が出来るだろう。ずりずりと僅かだが距離を取ろうとするものの男達はこちらを見て笑っている。何をされるのか、己がこの後どうなるのか。弱者は強者に弄ばれる、逆らう事など出来る筈もない。ではただ受け入れるべきなのか? そうだ、それこそが己が生きてきた世界の秩序だった筈だ。唯一の法であり真理だった筈だ。唯々諾々と従うべきだ。

 ずいと無遠慮に伸ばされてくる手、顔に落ちる影にぞわりと覚える感情は本能。

 弱者は強者の玩具でしかない――身に染みて理解していたのに男の手に反射的に噛みついていた。悲鳴のような声が上がると同時に蹴り飛ばされたらしい、勢いをつけて部屋のいたるところに積まれた木箱へと叩きつけられる。箱が壊れて中から細々としたものが転がり落ちる、当然受け身など取れるはずもない。強かに背中を打ち付け一瞬息が止まった。

「とんだじゃじゃ馬だなァ」

 咳き込む此方をに向かって、噛みついた手をひらひら振りながらフードの男が低く小さく。淡々と口にした次の瞬間胸ぐらを掴まれ再び床に叩きつけられた。後頭部を強かにぶつける、ぎりぎりと床の上へと押し付けられて縛られた腕が背中を圧迫する。冷たさと痛みに荒い息が喉の奥から漏れ出た、呻き声に気を良くしたのか、にやにやと再びうすら寒い笑みを浮かべたまま首に手を回された。そのままぎちぎちと両手で力を込められる。

「…………ッ、!」

 苦しい。息が出来ない。
 首を折らんばかりの力に頭を振って抵抗するも然したるものにはなりえなかった。

「おい、そっちは飯じゃないんだ殺すな」
「落としといた方がやりやすいだろうがよォ」

 見開いた視界がぼやける、言葉が輪郭をなくし飽和して聞こえ始める。このまま意識を失えばどうなるのかなど、考えるまでもなかった。薄れゆく視界の中、男の淫猥な眼差しが、口元がすべてを物語っている。
 いやだ、唇は言葉を刻むも音は発せられない。
 必死に繋ぎ止めるも遠くなっていく意識の中で、縛られた手が何かに触れた。何が出来るでもない、それでも咄嗟にそれをきつく握りしめた瞬間。
 己の内側から迸り、炸裂する力を確かに感じたのである。
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