蒼昊の額縁

蒼乃悠生

文字の大きさ
上 下
7 / 14

海と鳥居と桜

しおりを挟む
海と鳥居と桜



 四月がまた来た。
 その度に、私はこの島に来る。
 赤いラインが入ったフェリーに乗って、海を渡る。
 外に出て新鮮な空気を吸うと、磯の香りが鼻をくすぐる。その度に私は帰ってきたと感じて、嬉しい。心が軽くなる。
 海の風は冷たくて、寒い。
 周りを見渡さなくても視界に入る観光客。最近は特に外国人の観光客も増えた。
 カメラを構える先には、島の象徴の大鳥居。
 私はそれを何度見たことか。数え切れないほど、私はこの島に来ている。
 あっという間に島に着いた。
 島に上陸すると、鹿がのんびりとした姿を見せてくれた。昔に比べると、鹿の性格は穏やかになっている気がする。そして、ずいぶん見かける頭数は減った。落ちているフンの数も。鹿せんべいを売らなくなったことも、一つの要因か。
 あの頃はどこを踏んでも靴の裏にフンが付くものだから、お気に入りではない靴を履いて来たものだ。何年前の話だか。
 早速向かう場所は神社。
 向かう途中、お土産屋が並ぶ商店街で甘い香りが漂っている。
 美味しそうな匂いに思わずお店を覗き込んでしまうが、ここは我慢。名物は帰りに買おう。
 商店街を抜けると、海に浮かぶ神社の姿が見えた。

「久しぶり」

 少し離れた場所から、そっと呟く。
 視界に映る桜色。
 見上げてみると、そこには春の色を添える桜があった。
 海風に揺られて、桜色の花びらが舞う。
 私はこの光景が見たかった。
 青い海に、朱色の鳥居。そして、5枚の花びらを持つ桜。
 海の香りを吸って、鳥居と桜を見て楽しむ。たったこれだけで、私の心が澄んだ気持ちになるのだから不思議だ。一年間溜まった黒いモヤモヤが吹き飛ばされていくのだから。今年も来てよかったと、笑顔になれる。

「おかえりなさい」

 声を掛けられて、初めて気がつく。
 若い女性がこちらを見て微笑んでいるのを。

「相変わらず、私が見えているのね」
「ふふっ。一人や二人くらい、見えている人がいると退屈しないでしょう?」
「生意気なことで」

 私は笑った。

「仕事は? もしかしてサボっているの?」
「そんなまさか! 仕事はもう終わりました」

 女性は、私を見て、ほんの僅かに切ないような、悲しいような、そんな色を帯びた目をした。

露子つゆこさん。今年も旦那様に逢いにいらしたんですか?」

 私の名前はそんな感じだったかしら。
 そんなことを考えていると、女性は苦笑する。

「今年こそ逢えると良いですね」

 一度も逢えていない。
 ここは私達と深い因縁がある場所でもなんでもない。住んでいたわけでも、死に場所だったわけでもない。それでも私が選んだこの場所は、私達が出会ってから初めて来た場所であり、それは新婚旅行先だった。

「逢えないわよ。もう70年は過ぎたのよ? 逢えるわけがないじゃない。それに……」
「それに?」
「どこで死んだか分からない人が、ここに来ることも、ましてや覚えているとは思えないもの」

 風が桜の花びらを運ぶ。
 周りを見渡せば、桜の木々があちらこちらに植えられている。

「露子さんは覚えているのに、寂しいですね」
「私もいつか忘れるわ」

 そう。
 私もいつかは忘れる。名前を忘れ始めたように、今覚えている記憶も少しずつ削り落とされていく。そして、最後は夫のことも、私自身のことも、大切な思い出も、全て消えてしまう。風化という言葉があるように、時間が経てば経つほど、生者も死者も忘れていくことが流れというもの。

「そんな風に言わないでくださいよ」

 海に向かっていく花びらを目で追っていると、女性の声が少し震えていたので視線を戻した。

「貴女が忘れてもわたしは覚えていますから。貴女が忘れてもわたしが教えますから。だから」

 泣きそうな面を見せている。私の為にそんな表情をしなくてもいい。

「教えてもらわなくて結構。記憶が無くなった時が、私がこの世から消える時よ」

 私は勝手に歩き出す。
 彼女の横を過ぎた時、彼女の顔はくしゃくしゃと歪めていた。今にでも泣き出しそうな表情に、私も来るものがあった。心にチクッとしたものが。

「シャンとしなさい。今を生きし者よ」

 すっと振り返る。

「私の為になにかをしようなんぞ、そんな考えは捨てなさい」

 そして、また歩き出す。

「生きし者は、生きし者の為に行きなさい」

 彼女は黙って私の後に付いて来る。
 それがちょっぴり嬉しくて、心地よい。だからこそ、私にとって毒なのだ。

「前を見て、足を前に出すの。振り返ってはダメよ。振り返っていいのは、私だけだから」

 そして、私は振り返る。

「あと、私とお話ししていると、周りの人から変な目で見られるわよ?」

 ニッコリ微笑むと、彼女は首を横に振った。これだからこの子は。 

「貴女は厄介な目を持ってしまったわね。可哀想に」

 伸ばした手が触れるのは、彼女の顔。
 彼女はまた首を横に振った。

「そんなことはありません。もちろん怖い思いもしたことがありますが、露子さんに逢えたことを感謝していますから」
「立派なお世辞も言えるようになっちゃって。こんなに小さかったのにね」

 私は彼女と初めて会った頃を思い出しながら、子供の背丈を手で再現してみる。大袈裟に低く表現する。

「そんなに小さくないですよっ」

 彼女はやっと笑った。
 やはり名前を思い出せない。
 こうやって思い出話に花が咲くのは、今年で最後になるかもしれない。
 そんな気がしてならなかった。

「私、もう行くわ」
「そうですか……」

 表情が曇る。

「途中まで、お供したらダメですか?」

 眼前で両手を合わせ、懇願する。
 私の何が良いんだか、理解不能な娘。 

「ごめんなさいね。夫がすぐそこまで来ているの」

 なんて、分かりやすい嘘をつく。
 それは彼女ももちろん見破っている。
 それでも、彼女は私のついた嘘に付き合ってくれる。
 私は彼女を背にして歩き出す。
 さようなら。
 とは、言わない。
 私はまたここに来たいと思っているから。
 彼の為に来ていたつもりが、回数を重ねすぎて、この場所に愛着を持ってしまった。
 吸えば吸うほど安心する、磯の香りを楽しみたい。
 堂々と立つ鳥居の姿を見たい。
 一年に限られた季節にしか見えない桜を、愛でたい。
 三ついっぺんに味わえるなんて、こんな贅沢はない。
 その時だった。
 遠くから〝音〟が聴こえてくる。
 音程が違う、複数の太鼓の音。
 力強い笛の音。
 そして、男性の掛け声。

「能、かしら」

 ゆったりとしたテンポに、芯のある音の掛け合い。

「ああ。良い時に来たわ」

 音が聞こえる方へ歩く。
 もしなんてないけれど、もし叶うのならば彼と共に能を見ることができたら、忘れられない思い出の一つになっていたことだろう。
 一緒に過ごす時間はたった僅かなものであっても、共に居られる幸せを感じたことは人生の宝です。

「あなた」

 時代が時代だっただけに、女として綺麗に着飾ることはできなかったけど、あなたとの思い出は胸の中でいつも輝いている。長い月日が経っても色褪せることなく、抱く想いだけは、忘れない。

「私は充分幸せよ」

 空を見ながら、にっこりと笑う。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この世に溶け込んだ少しズレてる人達

*黒猫このはw*(:草加:)
キャラ文芸
色んな変人たちの日常の短編集

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

孤独少女の願い事

双子烏丸
キャラ文芸
 ある理由のせいで、笑顔もなく暗い雰囲気の少女、浅倉裕羽。  そんな彼女が見つけたもの……それは、大昔に一匹の妖精が封印された、神秘的な壷だった。  妖精と少女の出会いは、互いの運命をどう変えるのか、そして二人の過去とは、ぜひ一読して確かめて下さい

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

カフェひなたぼっこ

松田 詩依
キャラ文芸
 関東圏にある小さな町「日和町」  駅を降りると皆、大河川に架かる橋を渡り我が家へと帰ってゆく。そしてそんな彼らが必ず通るのが「ひより商店街」である。   日和町にデパートなくとも、ひより商店街で揃わぬ物はなし。とまで言わしめる程、多種多様な店舗が立ち並び、昼夜問わず人々で賑わっている昔ながらの商店街。  その中に、ひっそりと佇む十坪にも満たない小さな小さなカフェ「ひなたぼっこ」  店内は六つのカウンター席のみ。狭い店内には日中その名を表すように、ぽかぽかとした心地よい陽気が差し込む。  店先に置かれた小さな座布団の近くには「看板猫 虎次郎」と書かれた手作り感溢れる看板が置かれている。だが、その者が仕事を勤めているかはその日の気分次第。  「おまかせランチ」と「おまかせスイーツ」のたった二つのメニューを下げたその店を一人で営むのは--泣く子も黙る、般若のような強面を下げた男、瀬野弘太郎である。 ※2020.4.12 新装開店致しました 不定期更新※

Arachne ~君のために垂らす蜘蛛の糸~

キャラ文芸
貧乏学生・鳥辺野ソラは、条件の良さそうな求人に惹かれて『Arachne』のアルバイトに応募する。 『Arachne』はwebサイトとYouTubeを中心に活動する、中高生をターゲットにした学習支援メディアだった。 動画編集の仕事を任されることになった彼は、学歴や意識の高いメンバーたちと上手くやっていくことができるのか。そして、この仕事を通じて何を得るのか。 世間から求められる「賢い人」として生きてきたはずの彼らだが、それぞれ秘密や問題を抱えているようで……? これから受験を迎える人。かつて受験生だった人。あるいは、そうでなかった人。 全ての人に捧げたい、勉強系お仕事小説。 ※第8回キャラ文芸大賞にエントリー中。  締め切りに向けて、毎日1話ずつ投稿していく予定です。  原稿は完成済みですので、お気に入りボタンを押してお待ちいただけると嬉しいです! ⇒待ちきれない!またはPDFで一括で読みたい!という方はこちらからどうぞ https://ashikamosei.booth.pm/items/6426280

骨董品鑑定士ハリエットと「呪い」の指環

雲井咲穂(くもいさほ)
キャラ文芸
家族と共に小さな骨董品店を営むハリエット・マルグレーンの元に、「霊媒師」を自称する青年アルフレッドが訪れる。彼はハリエットの「とある能力」を見込んで一つの依頼を持ち掛けた。伯爵家の「ガーネットの指環」にかけられた「呪い」の正体を暴き出し、隠された真実を見つけ出して欲しいということなのだが…。 胡散臭い厄介ごとに関わりたくないと一度は断るものの、差し迫った事情――トラブルメーカーな兄が作った多額の「賠償金」の肩代わりを条件に、ハリエットはしぶしぶアルフレッドに協力することになるのだが…。次から次に押し寄せる、「不可解な現象」から逃げ出さず、依頼を完遂することはできるのだろうか――?

心に白い曼珠沙華

夜鳥すぱり
キャラ文芸
柔和な顔つきにひょろりとした体躯で、良くも悪くもあまり目立たない子供、藤原鷹雪(ふじわらのたかゆき)は十二になったばかり。 平安の都、長月半ばの早朝、都では大きな祭りが取り行われようとしていた。 鷹雪は遠くから聞こえる笛の音に誘われるように、六条の屋敷を抜けだし、お供も付けずに、徒歩で都の大通りへと向かった。あっちこっちと、もの珍しいものに足を止めては、キョロキョロ物色しながらゆっくりと大通りを歩いていると、路地裏でなにやら揉め事が。鷹雪と同い年くらいの、美しい可憐な少女が争いに巻き込まれている。助け逃げたは良いが、鷹雪は倒れてしまって……。

処理中です...