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第六章 君の一つ一つの言葉が

6 「クソッタレ」

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梶瑛かじあき
 彼女の右手を掴むそうくん。
「止めないでよ!」
「事情がちゃんとあったし、殴ったら駄目でしょ」
「知らないわよ! ……そんなことよりも! アンタはもっと自分のことを大切にしてあげて!」
「はいはい。わかってるから」
 二人にしかわからない物語がある。それを目の当たりにして、輪に入ることができない孤立感がじんわりと滲んだ。
「これだから大人は嫌いなのよッ」
 梶瑛かじあきさんは手を下ろした。それでもである私に嫌悪が隠せないようでいた。どうして大人が嫌いなのだろうかとは思う。
 大人、か。
 ワンピースの皺を伸ばしながら、彼女の言葉に心が反応する。
 私は本当に大人なのかな。体だけが時間と共に大人になっただけで、精神面では子供の頃から変わっていないような気がする。
 心が、痛い。
 いろんな言葉が突き刺さって。針のようなものが抜けなくて。抜こうと思った自分の指で、更に深く刺してしまう。
「もう、いやだな」
 小さな声で呟いた。もうなにもかも投げ出して、なにもかも考えずに過ごせたら良いのに。
 会社のことも、母の言葉も、奈良栄ならさか先輩のことも……。
 そんなことは無理だよと、もう一人の自分が呟く。私はそっと目を閉じた。
「話が脱線したけど、二次会ができるか先生に電話してみますね」
 そうくんの声が耳に入り、目を開けてみると、彼は私を見ていた。ニコッと笑うと、電話をする為に一旦喫茶店から外へ出る。
 そして、私は梶瑛かじあきさんと二人きり。気づけば、マスターとアルバイトのヒツさんの姿はなかった。
 トイレから掃除をする音がするので、一人はトイレにいるのだろうが、もう一人はどこへ。
「……」
「……」
 気まずい。
 どちらも口を固く閉じている。私の方が大人なのだから、気が紛れるような話題を提供しなければと決心した時だった。
そう、誰にでも優しいから」
 ちょうど曲が移り変わる無音の店内に、梶瑛かじあきさんの声が響く。視線は全く合わない。だが、そっぽを向く彼女の声に悪意は感じられない。
「だから勘違いしないで。年増が特別じゃないの」
 カウンターに頬杖をつき、ぶっきら棒な物言いで念を押す。
「うん、そうなんだろうなって思ってた」
 静かに答えた。
 きっとこの二人もいろいろあったのだろう。だから彼女はそうくんを心配して、不甲斐ない私に腹を立てているのだ。
そうくんと演奏できるのも、今日のコンサートが最初で最後だってわかってる。だから、ちゃんとお別れしようって思って、二次会を頼んだの」
「そう。それならいいけど」
そうくんは、羨ましいな」
「はあ?」
 二人の空間になって、初めて視線が交わる。訝しむ視線をしっかりと受け止めた。
「あなたみたいな心配してくれる人がいて……」
「……年増にはいないわけ?」
「結婚もしてない、彼氏もいない。良い感じになった会社の先輩には殴られて、私の大切な友達も傷つけられて……」
 カウンターに肘をつき、両手で顔を覆う。
「お父さんから貰った大切なフルートも、ぐちゃぐちゃに壊されちゃって。もう良いことなんてないよ」
「男を見る目がないのね」
「ふふ。そうかもしれないね」
 思わず吹いた。確かにそうだなって思ったから。
「だから、助けてもらったそうくんには感謝しても感謝しきれないよ」
そう、優しいから。本当にアンタだけじゃないから——ッ」
 二度も言わなくてもわかってるのに。
 不意に思い出した奈良栄ならさか先輩の存在に心が重くなる。
 今まで思い出さないようにしていたのに。どうしてこんな時に思い出しちゃうかな。
「もう……嫌になっちゃうなぁ」
「いつまでも後ろ向きな発言しないでくれる? あたしまで気持ちが暗くなるわ」
「……ごめん」
 それしか言えなかった。彼女には関係ないから。
 喉元まで込み上げてきた言葉を、必死に押し込むことくらいしかできない。
「意味不明」
 彼女は不愉快に顔を歪める。組んだ足を組み直し、ミックスジュースを一気に飲んだ。
 そこに、ドアが開いた鈴の音が聴こえた。
「先生、いいよって」
 そうくんが戻ってきたのを見計らったかのように、マスターは封の開いていない珈琲豆を持って、顔を覗き込んだ。
「あと、そういえば日野和ひのわ先生、五日後に退院だって。しほりさんのスマホにもメールが入ってません?」
「え?」
 そう言われて、慌ててスマートフォンを出した。確かに夏希なつきから『もう大丈夫。あとは退院するだけ!』という内容のメールが来ていた。
 梶瑛かじあきさんは「まさか傷つけられた友達って」と言って、呆れたように私を見る。
 その視線に私は空笑いをした。
「うん、私の方にも夏希なつきからメールが来てたよ。そっか。目処が立ってよかった」
 心底安心した。息をゆっくり吐いていると、そうくんのスマートフォンから音が鳴る。彼は「あ」と声を漏らし、暫く経った後から画面を私に見せてくれた。
「これ、もしかしたら、しほりさんが関係してるかもしれませんよ」
 それはそうくんの母親からのメールだった。
 その本文には、URLと共に『近場で不法侵入があったなんて怖いわね~。そうも戸締まりには気をつけなさいよ』と母親らしい言葉が綴られていた。
 そうくんはその英数字をタッチすると、元になった地方新聞のホームページに飛んだ。
「住所的にこの辺りの事件ですね。住居不法侵入をしたとして、奈良栄ならさかやなぎ容疑者を逮捕。余罪を追及……」
「住居、不法侵入?」
 その単語を聞いて、頭の中にある小さな記憶が掠める。しかし、それがどの記憶だったか、なかなか思い出せない。
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