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第三章 凄惨

1 純情な男

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 お互いに謝り、心を入れ替えてからは、夏希なつきと衝突することはなくなった。喧嘩のしこりが全くなくなったわけではないが、音楽をするのに支障はない。
 本番まで一週間がきった。
 福岡ふくおかくんを見かける時もあった。でも、一度も話しかけることはなかった。
 そして彼もまた全く知らない人のように、私へ目を向けることもなかった。
 賀翔がしょう高校の全ての部活動が終了し、校舎に生徒の影はない。職員室と音楽室以外は真っ暗だ。
 音楽室には、私一人。
 暗闇に包まれる中、音楽室は窓から光を漏らす。周りに気配がない中の広い音楽室は、少し不気味な雰囲気が漂っていた。
 グランドピアノに置きっぱなしのフルート。
 その近くで、トートバッグからいくつかの紙を取り出していく。
 夏希なつきは用事があると言って、職員室に篭っている。終わったら音楽室に来るそうだが、いつになることやら。
 九月になったとはいえ、残暑は続く。一人の為に、勝手に音楽室のクーラーをつけるわけにはいかず、音楽室に籠る熱が暑くて、流れ落ちる汗をタオルで拭いた。
 開けた窓から入ってくる風がとても気持ち良い。虫の鳴き声が聴こえる。鈴虫やコオロギ。他にも名前を知らない虫の声もする。
「よいしょっと」
 数枚の紙を持って、パイプ椅子にどしんと座った。天井に掲げるように紙を持って、目を通す。
『カルメン幻想曲』
 ビゼーの歌劇『カルメン』だ。
 スペイン南部が舞台。
 タバコ工場で働くカルメンという名の女性が酒場で歌を歌い、踊っていた。その歌に魅了されていく男達の中で、唯一、竜騎兵隊の伍長ドン・ホセだけが関心がない態度。そんな彼にカルメンは花を投げつけて去ってしまう。
 実は、ここでホセは、彼女の態度に怒りながらも惹かれてしまっているのだ。
 そんなカルメンが原因で、タバコ工場で働く女工達が喧嘩をしてしまう。
 兵隊達に捕えられた彼女は、ちょうど見張り役だったホセを誘惑して脱出。
 カルメンを逃がしたことで牢に入っていたホセだったが、自由の身になる。
 それからいろいろあって、一度はホセを好きになったものの、気の変わりが早いカルメンは闘牛士のエスカミーリョに恋をしていた。
 出所したホセはカルメンとよりを戻そうとするが、彼女は彼から贈られた指輪を投げ捨てる。
 嫉妬に狂い、逆上したホセはカルメンを刺殺。『ああ、カルメン』倒れた彼女を抱え、泣いた。
 純情な男の悲劇。
 恋が叶わないなら殺すことを選んだ彼の気持ちが、私にはあまり理解できない。殺したら、自分だけのものみたいな思考? 男が考えてることって、よくわからないなぁ。
 そもそも最後が死で終わるなんて残酷だと思うが、ただそう思うだけでは演奏には繋がらない。
 それに、
「そもそもホセには許嫁のミカエラがいるんだよなぁ」
 ミカエラは健気にホセを連れ戻そうとしている。一番可哀想だと思うのだが。
 曲のイメージを作るべく、印刷した歌劇『カルメン』の物語を繰り返し読む。だが、なんだかしっくりこない。なにが足りないのだろうかと頭を捻ってみるが、やはりピンと来ない。
 酒場で歌い、カルメンはホセに投げつけた花だが、この紙に書かれているのはアカシアだ。ちなみに、花は諸説ある。オペラだと、よく赤い薔薇とかを投げてたりする。たぶん見栄えがいいのだろう。
 黄色い花、アカシアとはなんだろう。すかさずスマートフォンで調べた。なんとまあ便利な時代になったものだ。
「花言葉は『秘密の恋』『気まぐれな恋』……ねぇ……」
 数ある花の中で、どうしてこの花を投げつけたのだろう。
 自分に興味を持たなかった男が、今までにいなかったから珍しい、みたいな?
 カルメンはホセになにを見て、どう感じたのだろう。そこに純真な愛が見えたのだろうか。
 私なら危ない遊びはしない。遊びの恋もしない。求めるのは、ただ純真の愛だけ。
「『秘密の恋』と『気まぐれの恋』って、結構どちらを選ぶかで意味が変わってくるような……。カルメンなら『気まぐれの恋』なのかな」
 もしも、の話だ。
 私を純粋に愛してくれそうな人が、もし目の前にいたら。カルメンのように花を投げつけなくても、もっと別の形で彼を求めるのだろうか。それともなにもできずにいるのだろうか。
「……いないなぁ」
 愛している人。
 そう思ってるのに、頭の隅でチラチラと見える福岡ふくおかくんの顔。そして思い出す度に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、心が苦しかった。もう思い出したくないのに。
 スマートフォンが鳴る。メールだ。メールと言うことは、きっと彼だ。
 嫌々ながら画面を見ると、その嫌な予感は的中する。困惑しながら読み進めていくと、思わず目を疑った。
「えっ⁉︎ 今日アパートに来るの⁉︎」
 美味しいケーキを買ったから一緒に食べよう。
 こちらの都合を聞かずに誘う言葉が、ずらずらと並んでいた。
「ハア……」
 思わず、溜息が出た。頭を抱えるほどの案件に、顔を紙で覆い、呟く。
「こっちの都合はお構いなし……練習が終わった後なら別に来てもいいけど、全然掃除してないし……急すぎる……」
 ホセのように先輩が私に興味がなかったら、私もカルメンの気持ちがわかっていたのかな。
 ……無理だな。
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