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迫り来る悪魔

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「ずっと一緒だった親友なんです」

「辛いでしょうね。珈琲しか用意できませんが、少々待ってください」

 桐原教論が、手早く二人分のマグカップを机に置く。インスタント珈琲の袋をカップ縁に乗せて、お湯を注ぎ込む。黒板を一瞥すると、相変わらず適当に引いたとしか思えない矢先が乱雑していた。
 渡されたマグカップを両手で掴むと、急激に熱湯の温度が手のひらに伝わる。だが、手離しはしない。
 一口啜ると、この世の絶望を込めた苦味が風味とともに全身へと巡る。油断していたためか、涙腺から水玉が溢れた。マグカップの珈琲に落ちると、津波のごとく波打つ。
 ブラック珈琲の香りと、時計の針が秒を刻む音。マグカップの底まで飲み干すと、葵は食いしばっていた歯を緩める。吐息が漏れる。

「……自分の気持ちを相手に伝えること。その行為に、意味はあるんですか?」
 
「その質問を私にぶつけられても、答えられませんよ。なんの権利すら持ち合わせていないんですから」

 くすり、と葵が不意に喉元から笑いをこぼしてしまう。

「桐原先生らしい回答ですね」

「さて、どうでしょうか」

 肩をすくめる桐原教論。
 のしかかっていた物質が、ほつれるような感覚。葵は、細く息を呑む。

「……少し質問変えても良いですか? 桐原先生は、好きな人とか居るんですか」

「過去に一人だけ、ね。今は独り身ですよ。案外孤独も楽しいものです」

 視線を窓に向けた桐原教論は、柔らかな微笑みを浮かべた。
 この気持ちを打ち明けてしまえば、と葵は一瞬脳裏に巡る。しかし、意味もなく首を横に振る。
 なぜだか、桐原教論の笑みが眩しい。同時に、胸にちくりと針が刺される感覚が襲う。
 元気を出そう、と葵が意識的に笑みを貼り付けた。
 
「お代わり持って来ますね」
 
 マグカップを手に取り立ち上がった桐原教論。だが、ふらりと身体が揺れる。次いで、金属の破裂音。ガラスが自由散乱。
 桐原教論が床に倒れ落ちる。葵は、動かなかった。否、動けなかった。瞳孔が見開く。上唇を舌でなぞる。乾燥したざらつき。声を出そうとするも、上擦り発音ができない。

「っ、桐原先生!?」

 一瞬置いて、葵は叫び声を上げていた。
 

 
 ■□■□



 消毒液の刺激臭が鼻筋をなぞる。白に染められた廊下が遠目まで続く。沿うように朱色の手すりが壁から均一に伸びている。
 長椅子に腰掛けた葵は、一方の手で携帯を弄っている。だが、反対の腕は首筋を押さえて、薄く上下に擦っていた。
 目の前の扉が開くと、数人の大人が現れる。見知った顔。教師集団は、葵を一瞥して挨拶を交わす。
 教師らの背中が角を曲がり、後ろ姿が途絶える。
 
「桐原先生っ、ご無事ですか!?」
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