遊び人の恋

猫原

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第四章

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 さて。
 
 俺、那須なす りょうは孤児だった。
 俺の生い立ちを話してしまうと、長くなるから省いてしまおう。本当は喋りたいんだけれど、短気な男と待ち合わせをしているから今回は省くね。


 師匠と呼んだ男はこの国の男にしては珍しいのか、髪は茶髪だった。
 鼻は高く、彫りの深い顔は美丈夫で髪と同じような淡い茶色の瞳を持っていた。笑うと笑窪が出来て白い歯が眩しく幼く見える。師匠の背は高い。脚も腕も長く、体付きも男らしく上腕二頭筋と上腕三頭筋に腹筋は男の俺でも見惚れる程だった。女性からはもてる筈の外見だったのに波状毛の癖っ毛だった師匠は、自分の容姿に無頓着なのか常にぼさぼさの髪で跳ねに跳ねていた。鳥の巣のような頭はフケがありそうで、その髪型のせいか不潔に見えてしまい女性からは遠巻きにされていた。

「髪を綺麗にまとめるだけで、女はほっとかないと思うんだけどなぁ」

 薪を燃え盛る炎の中に放り投げて、バチバチと炎が鳴る暗闇の中、火を挟んで真向かいに座る師匠に俺は呟いた。

「どんなに容姿が良くてもな。好きな女に振り向いてもらわなければ、意味はねぇんだよ」

 諦めきったような声音だった。
 炎の先に居る師匠の表情は読めず、あの時、師匠がどんな顔をしているか良く見ていれば良かった。きっと俺が長い間師匠の傍に居たし、異変に気付く事が出来たのに。
 あの頃、両目とも見えたのに、俺の瞳は何一つ見えちゃいなかった。





※ ※ ※




「おっせぇーよ!」

 綺麗な顔を歪ませて、待ち合わせ場所である、誰にも使われていない長屋に現れた俺を弟弟子の久賀くが きょうは俺の腹を長い脚で蹴りを入れた。
 蹴られた腹を両腕で抱き締めながら、性格さえ良ければ良いのにと思うが、この腐れ切った性格が良いという女は腐る程居るのだ。世の中不公平だ。
 こめかみに血管が浮いて苛々している様子の京を見た。つい先日に彼と会った時は、この男が大事にしている女の子と仲直りをして、浮かれていた筈だ。それから両想いになって巣籠りしていた。その京に手紙で呼ばれて来てみたら、これだ。二人は喧嘩でもしたのか。

「ごめんよぉ~。朝からさぁ、傷が痛んでさぁ」

 前髪で隠れた左目の傷に触れて擦った。縦一文字に伸びた刀傷は塞がっているものの、突然と痛みが起きる時がある。そういう日は限って夢見が良くない時だった。今日、見た夢は最悪だ。師匠から左目を斬られる夢だった。あの時彼は、俺を、責めた——。

「そうか」

 そう呟いた京を見た。気のせいか、思い悩んでいるような表情に見える。重い空気を纏った男の横顔が、何故か……師匠と重なってしまい、その途端に左目に鈍痛が走った。今日は調子が良くないようだ。

「大丈夫か?」
「心配してくれるなんて、どぉしたの? びょう」

「きぃっ!?」と京から後頭部を叩かれた。こいつ本当に容赦ない。でも、そういう所嫌いじゃないんだよな。分かりやすくて好き。

「いてて……。呼び出してどうしたの? 俺はてっきり部屋から出てこないと思ってた」

 数日前に「雪の様子を見てくる」と暴れた伊織を宥めて、雪ちゃんの親友の女の子に代わりに様子を見てきて貰ったばかりだ。あの子は「しばらくしたら出てくるから。心配しないで」とだけ言って伊織を宥めたのだった。

「雪を怒らせて相手にされてねぇんだよ」とムスッとして答えた京を俺は呆れて見た。子供っぽい表情だ。

「俺に話って?」
「あぁ、そうだったな」

 京から何かを投げられて俺は慌ててその二本を受け取った。それは京の愛刀である。

「これは?」
「預けていたやつを回収してきた。当分の間、お前が預かっていてくれ」

「なんで?」と眉を顰めて京を見る。先日、何故刀を替えたのか訊ねたが、雪ちゃんが戻ってきて話はその場で終わってしまっていた。
いくら血で汚れても、一切刃こぼれを起こさない、本当に血を吸っているかのような刀を好んで使っていた筈なのに。それを俺に預けるとはどうした事だろう。

「詳しい話はまた今度って言ってたけど」

 その話を、すると言うのか。……隠れて?
 誰に対して、隠れて、なのか……?

「馴染みの刀屋に預けていたんだが。いい加減取りに行こうと思って先日取りに行った。こっそり屋根裏にでも隠そうと思ったんだが」

 この男が隠すのは一人しかいない。
 何故、隠すのかを問い質そうと口を開いたが「まぁ、待て」と言われて口を閉ざした。俺にしては珍しい。

「刀屋へ行くと、刀鍛冶が興奮していてな。話を聞くと『同じ刀に出会った』って言うんだよ。それを部屋の奥から運んできて、俺に見せてきた」

 京はそう言うと、俺が受け取った刀を指差した。

「青の柄巻、青の鞘——俺らの持つ刀の一本目が、そこにあった」

 唾なんぞ出ていないのに、ゴクリと飲み込む動きをしてしまう。
 自分でも血の気が引いて行くのが分かった。全身に血が回らないせいか、左目の傷が酷く疼くのだ。
 
「浪人風情が売りに来たらしい。あの刀を買いとろうしたが、刀屋が手放さんくてな」
「ま、まさか」

「それはない」と京はきっぱりと否定をした。自信有り気な瞳に思わず叫んでしまった。

「死体がない!」
「ない理由は分からんが、生きてはいない」
「下に落ちて奇跡的に助かったんじゃないのか!? 樹の枝に引っかかって!」
 
 死んだ証拠もなければ生きている証拠もない。ただ確かなのは、二人は師匠の死体を見てはいないのだ。
 
 師匠は生きているとすれば——俺を、恨んでいる筈だ。
 俺は、師匠を止められなかった。
 俺の左目を斬った彼は、俺を見下ろしてこう言ったのだ。

『早く気付いてくれたら、俺はこうはならんかった』

 ただの、擦り付けだ——でも、その通りだった。
 俺は、両目で師匠が壊れて行く様を、十年前から——気付いて、いたのではないか?

 出会った当初の、笑窪を見せて笑う彼の姿がいつか戻ってくると俺は

「——糞みたいな考えは止めろ。悪ぃのは全部あの男だ」

 京の低い声で、俺の思考は深い闇から引き摺り出され。
 
「てめぇが思い悩む必要はない。そんなの後付けだろ」
  
 呆然としつつ、京の顔を眼見すると、ばつが悪そうな顔をされて目を逸らされた。男なりに慰めてくれたのだろうか。
 目の前の男は苦々しい表情を浮かべて続きを話した。

 京は長い溜息を吐くと、

「生きてねぇのは確かだよ。断言できる」
「死体を見たのか?」
見ていない」
「俺は——?」

 京は一旦口を閉ざしたが、ゆっくりと口を開いて俺を見た。

「雪が見てる」と久賀は静かに声に出した。
「目の前で、自分の母親とあの刀で刺し合って心中したんだと」
「……そう」
「確かに心臓は刺したんだけどな。真ん中より少し左に刺した筈だが、しぶとかったらしい。てめぇの言う通り途中樹に引っかかって助かったんだろう。その脚で自宅に帰ったが、結局女と心中をした。雪からは父親と同じ刀だから、その刀が嫌いだと言われた。だから隠そうと思ったが自分が持つよりもてめぇに預かってもらった方が安全で確実だからな」

「安全で確実?」震える声を抑えて、普通を保とうとした。じっと見てくる京から目を逸らさないようにする。背筋が凍りそうだ。
「確実って、何」
「——お前、雪が師匠の娘って気付いていたな?」

 しんと、静まり返り。
 
 断念するように、深く、長く息を吐いて俺は京から目を逸らして脱力した。
 その、全部見通したような瞳から嘘を隠すのは無理だ。

「確信は、なかったんだ。ただ、あの小さな穴から覗き込んだ女と、そっくり、だったんだよ」

 色白で、長い髪を軽く結った女性と雪ちゃんは瓜二つだった。彼女の年齢に至ってはいないけど、もう少し成長すると彼女のようになるだろう。雪ちゃんを見ているとその片鱗が見える。
 長い睫毛に縁取られた、濡れたような瞳に、小さな鼻。ふっくらと膨らんだ唇。小さな穴からしか見えなかったあの女性の外見と今の少女はそっくりで、最初に見た時に息を飲む程だった。

「師匠の娘とは知らなかったよ。あの女性の娘かとは思っただけだし、関係性も知らなかった。ただ、あの場にいた牛蒡の方だって言うのには気付いた」

 俺は目頭を押さえた。
 俺の勘は当たっていたのか。
 当たっていたのなら、十年前から師匠の異変にも俺は気付いていたのではないか? そう言えないだろうか。

「牛蒡って?」
「ああ。穴から覗いたら四本の足が見えたんだけど、そのうちの二本が発育悪くて。逃がして欲しかったのはきっと雪ちゃんだったんだろうね」

 俺がそう言うと、京は舌打ちをした。

「俺の雪を痛めつけた奴だ。死んで当然だったんだよ」

 そう吐き捨てた京を俺はじっと見つめた。
 色恋に狂った男は此処にもいる。彼はまだ人間を保てているが、師匠のように、なってしまわないだろうか。
 
 俺の——こういう勘は、当たるのだ。

「雪ちゃんは、知ってるの?」
「雪は俺らの師匠が父親だったとは知らない。昔は父親の夢を見て魘されていたくらいだ。父親に対して畏怖しか抱いていないし、普通の家族じゃなかったんだよ」

 普通の家族とは何だろう?
 俺は孤児で家族を知らない。家族のように育ったと言えば京と師匠だ。京の奴もまた、家族を知らないのではないだろうか。京から聞いた事はないが。
 しかし、普通ならば、屋敷をあのように外から板を打ち込まないし、監禁なんぞしない、か……。

「なぁ。本当に、刀を売りに来た男はただの浪人だったのか?」

 もし生きていたのなら。
 雪ちゃんは無事に過ごせないのではないだろうか。

「刀を売りに来た男は髪が真っ黒だったとさ。という事は師匠が売りに来たんじゃねぇよ」

「死んだんだよ」京はきっぱりと言った。
「遺品として残っていた奴を誰かに拾われ、それが回り回って、この町に売られてきた。ただそれだけだよ」
「そんな偶然ある?」
「あるから、俺と雪が出会ったんだろ。そして、てめぇんとこの男娼が拾って、雪とお前は会った。まぁ、俺の場合は運命だけどな」

 フフ、と京が笑うのを俺見て、なんだか幸せそうで悩むのも馬鹿らしくなった。
 俺の良い所は、悩みはするが……すぐ忘れる所だ。いくら夢で見ても、その後は気持ちを切り替える事が出来る。
 
「俺がお前を呼び出したのは、俺の刀を預かって欲しいのともう一つ理由があるんだが」
「なんだろう?」
「確実って言っただろ。さっき」
「うん」
「俺が……万が一頭が可笑しくなったら、俺を確実に殺せるのはお前しかいねぇから、預けとくよ」

 思わず刀を落としそうになり、寸での所で腕に抱き締めた。

「なに、それ」と顔を顰めて弟弟子を睨む。言葉にしたら、言霊として本当の事になるんだぞ。

「確実に、俺を殺してくれ」
「は」
「手元にその刀を持っていると、師匠と同じようになり兼ねない。俺は雪を傷つける事はないが、頭が可笑しくなったらそれこそ分からない。その時はお前で終わらせてくれ」

「何言ってんだよ」と俺は弟弟子を見た。その瞳は真剣で冗談を言っているようには見えなかった。
確かに、雪ちゃんに惚れ込んでいる京を見て師匠のようにならないだろうかと心配したし、忠告もした。しかし、この男は『妖刀』なんて信じてはおらずまして笑い飛ばすような男だったのに。

「俺は雪の前では冷静になろうと努力はしているが、裏では雪にちょっかいを出す男を殺した。しかし後悔はしてない。俺の雪を犯そうとした奴らだ。罰は当然だろ」

 真正面に立った俺の弟弟子は俺の肩を両手で掴んだ。

「俺は今では正気を保っているが……正直自信はねぇんだよ。今、雪から相手にされていないし、それだけで頭が可笑しくなりそうでな」
「お前は、関係ない奴らを殺さないよ」

 既に、雪ちゃんにちょっかいを出す男を斬ってはいるが……。

「お前に頼みたい。俺が少しでも様子が可笑しかったら、お前だからこそ気付くだろ」

「亮」と名前を呼ばれた。名前を呼ばれるのは、初めてだった。
「俺は、お前を信頼して頼んでいるんだよ」

 俺の名前、知ってたんだな……と俺は変な事に安心した。

「頼む」
 
 俺の事を真っ直ぐに見据え。
 京は俺に頭を下げて、その様子を見て刀を持つ手が震えた。
 俺だって人を斬った数なんぞ、指で足りない程だ。今更怖がるような男でもない。しかし、自分の身内を斬った事は一度たりともなかった。
 
 京はゆっくりと、俺の肩から手を反して最後に「頼む」とだけ言った。そして京は俺に背を向けてこの場を後にした。
 京が居なくなってから、ぼんやりと立ち尽くし。
 あまり悩んだ事のない俺は、この状況に頭が破裂しそうだった。こんなの師匠が辻斬りをしているのを見た時と師匠に斬られた時以来だ。あまり考え込むと熱が出てしまう。
 左目が疼き、本当に熱が出そうだった。

 この刀は俺んとこの屋根裏に隠そう。
 そして、俺の刀もそろそろ——出した方が良いのかもしれない。

 俺は京から預かった刀を俺は腕に抱き込んだ。
 
 どうか——弟弟子を斬らなくて済みますように……。

 あの二人が、ずっと笑っていられますように。
 願わずにはいられなかった。
 
 ただ、もし。
 本当に京が頭のネジを一本何処かに落としてしまったのなら、今回こそは俺が終わらせるべきなんだろう。それが、兄弟子の役目だと言うのなら——…

 片目だけでそれを、見極めなければ——。





--------------


ーー篠 桜編に続く

『朱唇皓歯は野望を抱く』へ続きます。



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