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第四章
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雪は頭に鈍い痛みを感じて後頭部を押さえながら起き上がるとコブが出来ている。手が触れると激痛が走り顔を顰めた。
クラクラする頭を落ち着かせる為に両目をギュッと閉じてゆっくり瞼を開いた瞬間に突然冷水を頭に被り、再度瞼を閉じて咳き込んだ。
すると二度目、三度目と冷水を頭から被せられ、水を飲み込まないように必死に口を閉じた。
どうやら四度目はないようだと悟った雪はゆっくりと瞼を開くと、目の前に仁王立ちで立つ優花とその隣に影のように立つ寛太の姿があった。
目を細めて微笑みながら優花は雪を見おろした。男の方は前髪のせいで表情が見えない。
確かに優花の目元は笑っていないが——そんな美しい一輪の花のように笑う優花は紅い口紅が似合うように美しかった。色白の肌に良く似合うのだ。
雪は居間に転がされていた。
静かに周りを見渡すと、部屋の襖が全て閉じられていて窮屈に感じられ、外の世界から遮断されているようだった。
まるでその壁が雪に迫ってくる感覚に陥ってしまう。
「ここはね、私と母上と寛太としか住んでないのよ。母上は今留守にしてるわ」
「私達だけよ」と笑顔を向けられた。
その言葉が異様に雪の中に響いてキュッと口元を締めた。
「そんなに緊張しないで? 取って食べたりはしないわ」
雪は優花を睨みつけた。
自分も犬に目掛けて短刀を投げつけた身だから言う身ではないけれど——あのように動物を傷つけるなんぞ信じられなかった。
あれから、時間はどれだけ立ったのだろう。
息がまだあった慶ちゃんはどうなったの?
今にも消えそうだった命は、あのままでは——…
「あんた、そんな目出来るのね」
と優花は言った。「大人しそうな顔をしてあんなに動けるなんて思わなかったわ」と続ける。
「帰して」と声を振り絞り雪は呟いた。水を頭から被り着物も全てずぶ濡で春の暖かさが未だ訪れていない気候にはこの状態はキツイものがあった。寒さで震える顎のせいでガタガタと歯が震え上手く言えたか分からなかった。
「あら? 帰せないわよ。だってお話がまだ終わっていないもの」
優花はそう答えた。どうやら聞こえていたようだ。
「は、話なんて、ない」
「あるわよ。京さんは私と別れたがっているようなんだけど、私は別れるつもりはないわ」
男は別れると言っていたが——それを雪が言うのは間違いだと思い言えなかった。
これは本人同士の問題だ。しかし——
「京さんから離れていただけない?」「嫌です」
優花の台詞と被り雪は拒否をした。
「私は出て行きます」——いつもの雪ならばそう言っていた。恋人でもないなんでもない雪は恋人からしては邪魔な存在だ。しかし雪は首を縦に振らず、はっきりと優花の眼を見て答えた。
「私は離れません。それに、貴女じゃ久賀さんと不釣り合いです」
笑みを浮かべていた優花の仮面が剥がれ、顔を歪め雪を見下ろした。
その目はまるで——蛇のようだった。
「貴女のような、ただ美しい人では久賀さんの隣りに立つのに相応しくありません——いっ!」
目の前に立っていた寛太が雪の髪の毛を後ろに引張り「訂正しろ!」と雪の右耳で大声で叫んだ。キンキンと耳の奥で耳鳴りがし、コブが出来た後頭部は髪の毛を引っ張らているせいで痛みが増し、雪は痛みに悲鳴を上げた。それでも、真っ直ぐに優花を睨みつける。
「美しい男の隣りに立つのは美しい女が立つ方が絵になるわ」
それが例え、猫を被り、ただ美しいだけだとしても。
世の中全て外見ではないか。可愛ければ男たちは平伏したように近付いてくる。女もまた畏怖を持つ。
「訂正しません……! 久賀さんはお優しい方です! そんな方の隣りに立つ女性は、同じように優しい方でなければ——! 動物や人間をいたぶる様な人では成り立たないっ!」
雪は吠えた。こうやって人を否定した事なんぞ雪には初めてだった。
それでも、心の底から思ったのだ。どんなに美しく、一輪の花のように凛としていようが、この女には久賀を渡したくないと雪は心の底から思ったのだ。
「優しいだなんて——優しいだけじゃあ、世の中渡っていけないわ。京さんは——強いわ。あんなに強い男が私欲しかったの。私の隣りに立つのに相応しいでしょ。美しくて強くて——自慢できるわ」
「自慢できるからと、恋人になるものじゃないです。久賀さんは確かにかっこいいけれど、優しいし強いけれど——笑った顔が、可愛いんです。大きく口を開けて笑う時が私と同じ歳に見えて、可愛い」
突然久賀を可愛いと言い出した雪は、男の顔を思い浮かべた。
柔らかく笑う顔や蕩けるような顔も凄く素敵だけど、稀に子供のようにはしゃぐ男の姿が酷く幼く見えて雪は好きだった。
慶ちゃんを飼う時も口では駄目だと言っていたのに——本当は動物好きで、こっそり隠れて撫でていたのを知っている。
「久賀さんの、表面しか見ていない貴女に——他人を傷つけてまで久賀さんを手に入れようとする貴女には、久賀さんは手に入らない」
髪を力一杯引っ張られても弱音を吐かず啖呵を切った雪は再度力強く優花を睨みつけた。
もし身に危険が生じたら、生きる事だけを考えろ、と雪は過去に男に言われた。必ず助けに行くから、何があっても生き延びろ——…。
今その危険が起きていて、きっとこうして言い争うのは自分の生命の危機を脅かしている行為だ。
それでも雪は目の目の優花を許せなかった。
自分の可愛がっている鷹を傷つけられたから。
久賀 京という男を表面しか見ていないから——…。
久賀が助けに現れると、雪は信じていた。
それがいつになっても、時間がかかっても必ず助けに現れる。
久賀さんは私に嘘は吐かないのだから——…。
「——寒いようね。熱いお茶は如何?」
唐突に優花から自分の身の心配をされ、雪は思わず目を見開いた。
確かに、冷水を桶一杯に三回浴びせられたのだから寒いに決まっているし、熱いお茶というのは魅力的な単語だった。しかし、何故いきなり慈愛のような表情を浮かべているというのか。
机に置かれた湯飲みを優花は手に取ると湯気が立つそれを雪の前にしゃがみ込むと雪の前に差し出した。
お茶の水面に映る自分を見てから雪は首を横に振った。
「いりません」と短く拒否をした。
久賀から——他所から出されたものは飲んではいけないと言われているのだ。
それに、この状況でお茶を勧められるのは明らかに不自然だった。
お茶を勧めた時の優花の目が妖しく光ったのを雪は見逃さなかった。その推測は正しかった。
「飲みなさい」と優花は感情を消した顔で雪の口元に運ぶと、それを拒否するように雪は身体を二つ折りにして額を畳に付けて飲ませられないようにした。髪を思い切り寛太に引張られるが雪は必死になって抵抗を示す。
パラパラと真っ直ぐの抜けてしまった髪の毛が畳に落ちる。雪は必死に抵抗をして、こうして引っ張られる事はないから髪はやはり短い方が良いと雪は思った。
「顔を上げろ——!」と優花からからも髪を掴まれ、二人から引っ張られると、抵抗出来るのは此処までだと雪は悟った。体を二つ折りにしたまま、雪は大声で男の名前を叫んだ。
「——久賀さん——!!」
同時に襖が蹴破られ、そこから姿を現したのは前髪を乱しに乱しまくった、久賀 京だった。
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