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第四章
4-36
しおりを挟む「俺を信じられないのなら、これで刺してくれ」
男はそう言って脇差を雪の膝の前に置いた。
置かれた脇差を見て少女は青褪めながら、首を横に振り男の顔を見るが、その眼は真剣そのもので冗談を言っているようではない。
「そ、そ、そんなの、出来、るわけな、い」声を震わせ、瞳に涙を浮かべても、男の眼は変わらなかった。
「信じて貰えないなら、俺は生きていてもしょうがない」
「刺すのは"此処"だ」と己の胸の中央を男は拳を当てた。「左寄りに差せば確実に死ねる」と男は吐いた。
「い、や、そんなの、しない」
信じられないなら、刺せ——殺せと。
何故、そんな事を言うのか、雪には分からない。
信じて貰えないなら、生きていてもしょうがない、なんて……。
「信じて貰えず、俺から離れるつもりならば、生きていてもしょうがないだろう?」
あと一度、信じてもらえる機会をくれ、と頼み込めば良いだけだった。
でも、雪の中で俺への不信感が完全に拭えないままで機会を与えられても、今までと同じように、笑いかけて貰える保証はない。自信もない。
嫌われて生きて行くならば、どこかで、雪を攫い監禁してしまう自信ならある。そうなれば、心は二度と手に入らない。
俺を信じられないと言うのなら、雪に触れられないのなら、生きていても、死んだと同義ではないか。
自害するのではなく、雪に留めを刺して貰えばいい。
惚れた女に殺されるなら、本望だろ?
目の前で自害するよりも、少女の手で刺し殺せという方がよっぽど残酷である。
案の定、雪は唇まで青紫に変色させて小刻みに震えていた。
「さ、せ、ない」
「俺を、もう一度信じてくれるならば、刺さなくて良い。信じる事を不安に思うなら、刺し殺せ」
吐き捨てるように男は言う。
「ここで俺を刺さないと、雪を何処かへ連れ去り、監禁してしまう。そうなる前に刺し殺した方が身の為だ」
「雪の為だ」と言う。
久賀は雪の膝元に置いた脇差を手に取ると、鞘を抜いて見せた。
鈍い光が行灯の光に反射し、何故か刀が光っているように見える。その鈍い光を遠い過去に見た記憶があった。
「ここを持てば良い」と柄を持ち雪に差し出すが、首を振って拒否した。
「い、や、久賀さんが居なくなるのは、嫌——」
殺せる筈がない。
それ以前に、久賀さんが、どこを探しても居なくなるのは、嫌——…。
「な、なんでぇ、そういう事、いうのぉっ……」
「刺せる、わけ、ない、のにっ……!」ぼろぼろと流れる涙を袖で拭う。
「そんな、こと、いうの、嫌い! そんな事言うなら、本当に嫌いになる……!」
何が雪の為だ、と。
私の為だなんて、そんな馬鹿な話ない。
「監禁された方がまし――! 久賀さんとずっと、いられるもん!」
わんわん泣いて袖で顔を隠しているせいで、男の真剣だった眦が下がった様子を雪は見逃した。
「ゆ」
久賀が名前を呼ぼうとすれば、言葉が途切れた。
泣きじゃくりながら、雪から抱きつかれたからだ。
咄嗟に腕を上げて雪の前に差し出していた刀を雪から避難させ、首にしがみ付いた雪に当たらないように腕をそっと下ろして畳に刺した。
しがみ付かれて男は後ろに倒れ込み、膝を伸ばして尻を付いた。雪は久賀の太腿の上に座り込む必死になって男の首にしがみ付く。久賀はそんな雪の頭を恐る恐る触ると、さらっとした髪が男の指の隙間を擽り、その感触が堪らずに雪の頭を力強く抱き締めた。
細い首筋に顔を埋めると着物に付いた香りよりも、直に嗅ぐ方が断然良いと男は思った。
「私の事、分かってないのは久賀さんの方だもん! 嫌い! 大嫌い!!」
「雪、嫌いだなんて――…」
抱き締めて合っていた二人の身体の間に手を入れられて、男は胸を両手で押されてしまう。
先程あんなにくっついていた身体が離れて熱を感じなくなり切なさが襲うが、少女の胸元が開けてしまっていて小振りな双丘が見えてしまっていた。
男は思わずそちらに釘付けになりそうで、内心慌てて視線を雪に移した。
両手を突っぱねて男の胸を押す雪の顔はくちゃくちゃで、袖で目を擦りすぎたのか真っ赤に充血していた。
「みんな、みんな、可笑しいって、可笑しいって言うから、我慢したのに……! 恋人同士や夫婦じゃなきゃ、しないって、言うんだもん……! だから、しちゃいけないって――思って! 彼女が居るから遠慮しなきゃって……手も沢山繋ぎたかったし、髪の毛も拭いて欲しかったし、頭も撫で撫でして欲しかったし、抱っこもされたかったし、同じお布団で、寝たかったもん……! そういう顔したもん!」
大声で叫んでから、涙目で男を睨みつける。
「そういう顔――言わなきゃ分からないよ」
「今まで言わなくても、分かってくれたのに……!!」
分かったのは――閨だったからだ。
男は閨の中では女が何を求め、何を望んでいるのか手に取るように分かった。
しかし、それが日常となると発揮されなかったのだ。
わっと泣きながら、男の胸をドンドンと叩く。
男は叩かれているのにも関わらず、口元に笑みが受かんでいた。
「私以外にも優しいくせに……!
私は久賀さんのなのに! 久賀さんはそうじゃない! 嫌い!」
「雪は、俺の? 本当にそう思ってくれている?」
「俺だって、雪のだよ」と久賀が呟くと目に涙を溜められて睨まれた。
「私が、淫乱だから! 分からなくなったんですかっ!?」
久賀は顔を顰めて「どういう事?」と訊ねる。
「話しかけられたから、話して、笑顔を向けられたから、笑顔を返せば、淫乱ではしたないんでしょ……久賀さんの評判下げちゃうんでしょ……久賀さんと人前で喋っちゃ駄目で同じ空気を吸うのも駄目で友達になっても駄目なんでしょ……」
「誰がそんな馬鹿な事を言ったの?」
「誰とでも喋る淫乱で、誰にでも愛想を振り撒くから、駄目って」
「何なら、良いの――…」雪は下唇を噛もうとして下唇を引込めたが、咄嗟に気付いて寸前で上唇とくっつけた。
先程の勢いが嘘のように声が尻すぼみ、俯く。
ぐすっと鼻を啜る音だけがして、そんな雪を男は抱き締めた。
拒絶はされなかった。
黙って抱き締められると左耳が男の胸に当たって心臓の音が響いた。この男はこれを刺せと言ったのだ。
「刺さない、もん……」
「ごめん」
「――あの刀、嫌い」
雪は男の背に腕を回して畳に刺さった脇差から目を逸らし、額を男の胸に当てた。
「本差も嫌い」
「ごめん……」
久賀は雪の背中を宥めるように撫でた。
グスグスと泣き続ける雪の背中を撫でながら、やり過ぎたとは思うが――雪がこうして腕の中に戻っているなら、刺し殺せと吐いたのは良かったのかもしれない。恐らく――いや、確実に雪の心に傷はつけてしまったが。
「父上と同じ刀だから、嫌い」
雪の発言に撫でていた手をピタリと止めた。
男の顔が一瞬だけ強張ったように見えたが、すぐに雪を見つめる時の優しい表情に戻った。
心地よく感じていたのに止められて不満に思ったがすぐに再開してその不満は解消される。
「刺し合いたくない」
「しないよ……俺には雪を刺せないもの」
「私も刺せない」
「ごめん、本当にごめん」と久賀は雪の背中をひたすら撫で続けた。
「俺の事、もう一度信じてくれる?」
返事はされなかったが――小さく頷かれて男は胸を撫で下ろした。
久賀は雪の名前を呼び、両手で雪の顔を挟むとそっと上を向かせて自分の目と合わせた。
「俺の事、どう思っている?」
普段は敬語なのに言葉を崩してまで興奮して喋ったのだ。普段は我慢して何も言わない子が喋った。自分の想いを。
「――久賀さんの事、尊敬してます」という答えに男は脱力すると、苦笑しながら頭を横に振った。
まだ、想われていないのかと思ったが「大嫌い」と言われるよりも良い。
「他人なんてどうでも良い。他人は他人だ。二人の事をとやかくいう筋合いはないだろう?」
「忠告ではない、ただの指摘だ。そんなのに気にしては傷つくだけだ」と雪の旋毛にそっと唇を落とした。雪が小さく頷くのに男は気付いた。
「雪と沢山手を繋いだりしても良いの?」
「……うん」
「抱っこは?」
「良い」
「髪の毛も拭いて良い?」
「ん」
頬に触れた掌に雪は頬擦りをすると、久賀は目を細め口元を緩ませた。
「俺がまぐわっても口付をしても雪だけ捨てないと信じてくれる?」
その問いだけ、雪は言葉を濁し視線を逸らした。
「これだけは最初に信じて欲しいけど――じゃあ、試そう」
逸らした視線を戻せば、妖しく微笑む男の目とかち合った。
男の掌が非常に熱を持っている気がして顔が熱くなる。
「俺が今から雪とまぐわって口付をしても、捨てないと証明しよう」
「これが信じてもらう為に出来る一番だよ」と久賀は呟くと同時に雪の世界が回転した。
気付けば畳の上に寝転がり、久賀がその上に覆い被さった。
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