遊び人の恋

第四章

4-27

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「ところで、雪はなんで久賀さんに怒ってるの？」

うどんを食べ終え「ごちそうさまでした」と手を合わて呟いたところで自分より先に食べ終えていた薫に訊ねられ雪はバツが悪そうな表情を浮かべた。

「怒ってないもん」
「嘘よ。顔に書いてある」

そう言われて雪は自分の顔をペタペタと触ってみせた。

「で、でも本当に怒ってないもん」

隣に座る薫を見て雪はぎゅっと顔を顰めてみせた。

怒ってはいない。
久賀さんが「別れた」って嘘を吐いた事は怒った事より悲しかっただけ。
久賀さんに思ってもいない事を吐いて自己嫌悪に陥っているだけ…。

「ふ～ん。今朝久賀さんが『話すように仕向けて欲しい』って訪ねて来たけど」

雪は目が点になる。しかし、その後にじわじわと雪の心が歓喜に震え、無意識に口角が上がりニヤついた。
実際、毎朝毎晩戸を隔てて話し掛けられ心配をされているのを身で感じているが、他人の口からそう聞かされると、本気で心配をされているのだと現実味を帯びてくる。わざわざ薫の自宅まで足を運んだ男の姿を雪は思い浮かべていた。

「なんだか嬉しそうね」

そう指摘されて、雪は口元を締める。
そんな雪を薫はじっと見つめてから肩を竦めて見せた。

「手紙だけじゃなくて声だけ聞かせてあげたら？　それだけで満足すると思うわよ」

緩めた口元を硬く締めて頬を微かに染めながら俯いた雪を見て小さく息を吐くと薫は頬杖を突いた。

「でも良い気味よ。今までの日頃の行いが今になって露見されてるんでしょ」
「久賀さんも言ってたけど、日頃の行いのせいって、久賀さんは何をしちゃったの？」

雪は首を傾げる。

「うーん…。遊びすぎちゃったのね」
「何をして？」

うーん、と言うべきか言わざるべきかを悩む薫を見て、雪は口を尖らせて、拗ねて見せた。

「どうして皆、そこを濁そうとするの？」

久賀さんも、具体的に何が悪いのか言ってくれないし、由希さんも濁す。薫だって現に言ってくれないのだ。

拗ねた雪を見て薫は意を決したように深呼吸を繰り返した。
男に話をして貰えるように仕向けて欲しいと言われていて、これを言ってしまえば余計泥沼に嵌りそうではあったが、避けて通れない道だ。そろそろ教えてあげても良い。

「女遊びよ」
「女遊び」
　
どんな遊びなのだろう…？　と雪が首を傾げた時点で薫は「そこから説明なの？」と呆れたように声を搾り出すようにして吐いた。

「恋人でもない女性を取っ替え引っ替えで、不特定多数とまぐわうのよ」
「取っ替え引っ替えで、不特定多数とまぐわう」

おうむ返しに喋る雪の様子を気にせず薫は続けた。

「一人に絞らず何人もの女性とまぐわうの」
「口説いて手を出すってやつ」
「そうそう。それが一人じゃなくて沢山」

「なるほど」と呟いた雪の顔が無表情になっていて、薫は慌てて付け足した。

「でも、雪と関係持ってからしてないようだし。今は潔白よ。雪一筋よ」
「でも久賀さん、彼女いるもん」

今度は薫が目が点になる番だった。

「美人でおっとりした、清楚な人と口付してたもん」

私一筋なんて、絶対にない。
たとえ、本当に私一筋なら、離れている三ヶ月の間に彼女を作る筈がない。

これを聞いて、男が雪を必死になって探していた理由が分からなくなっていく。生活に支障をきたしながらも、彼女を作りながらも、何故自分を心配して探していたのか？　

フト、その理由を雪は知らない事に気付いた。

嫌だと言っても俺は離れない、これだけは信じて欲しい、事実だと言われたが、それは理由にはならない。

不特定多数の一人だと自分でも自負している。
その中の一人を探したのは、久賀さんは子供好きで、久賀さんを慕っている姿が可愛かったから…？　そんな理由？

「あ、愛人として囲う…？」

唐突に愛人なんて単語が雪から出てきて薫は眉間に皺を寄せた。

「な、中出ししても妊娠する事ないし、やり放題だから、いずれ私を愛人として囲って恋人が妊娠したら、産まれるまでの間、私と遊ぶ？」
「突然なんの話に飛ぶの？」

訳がわからず薫は雪を見つめると、雪は呆然としながら話を進めていく。

「中出ししても妊娠する事はない。だったら浮気するのにもってこいで、締め付けも良いし、最近までは処女で、自分がそれを奪ったとなれば離れ難い…」
「誰、そんな事言ったの」

「久賀さんのお兄さん」と雪から聞いて薫は頭を抱えた。言っている姿が簡単に想像が付く。

「今はしなくても何年後かには妊娠できる体になるわよ」

と薫は雪に言ったものの、どうやら聞こえていないらしく雪はぼうっと前だけを見ている。

「でも、久賀さんからまぐあわなくて良いって言われたんでしょ？」

雪は小さく頷いた。

「でも、私を探す理由も手元に置いておく理由も思い浮かばなくて…」

恋人でもない、友人でもない、ただ久賀さんを慕っているだけだ。理由としては弱い気がする。

「話をしなさいよ。言わなきゃわからないって言われてるでしょ」
「し」

ガタッ、と音がした。
離れた席に座った男が席を立った音を聞いて雪は喋りかけた口を閉じた。ぼさぼさ髪の、前髪で顔が隠れた男が店主に勘定を払い店を出ていく。
その背中が暖簾を潜って行くのをじっと見つめていた雪は、その背中が見えなくなってから、閉じられた口を雪はゆっくりと開いた。

「喋らない」

雪ははっきりとそう告げて口を閉ざした。
さっきまでの、男が雪を心配している姿を想像して思わず浮ついていた心が今では嘘のように引いてしまっている。
もしこの状態で久賀と話をしてしまえば、自分の口から何が飛び出すか分かったものではなかった。
喋らない事が得策だと、雪は思った。

それに————喋るな、同じ空気を吸うなって言われた

「雪は久賀さんに怒ってるんでしょ？　はっきり告げなさいよ」
「怒ってないもん。悲しいだけ」

そう呟いた雪を見て薫は長い溜息を吐いた。

「雪はもう少し怒った方が良いよ」

「怒る事なんて、ないもん」と雪が告げれば薫は渋い顔を浮かべた。

「怒った事、ないでしょ」
「ある」
「例えば？　最近何に怒った？」

雪は視線を左上に動かして暫く動かないでいると、ゆっくりと薫に視線を向けた。
黙りこくった雪を見て薫は

「私を見てみなさいよ！　いつも怒ってばかりよ」

薫は大げさに手を広げて見せる。

「すぐカッとなっちゃうの。考えるより先に手や口がでちゃうのよね。この間、おにぎり作って肇に食べさせたら、咳き込みながら吐いたのよ。それ見てついカッとなって叩いちゃったんだけど」
「肇くん…？」

二人が友達とは初耳で、雪は首を傾げる。「言ってなかったっけ」と薫は頬を掻いた。

「雪が家出してる間に、お友達になったの。雪とみたいにしょっちゅう会ったりはしないけど、軽口叩けるほどの仲よ」

「へぇ」と雪は目の前の親友を見た。何故か耳朶が若干赤く染まっている気がしたが薫が両手を叩いて耳朶から視線が逸れた。