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第四章
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久賀からお願いと言われる事に弱い雪に、一か八かで「お願い」と懇願すると、ゆっくりと顔が上げられた。
恐る恐る上げられたその顔を見て、思わず息を飲んだ。
三カ月ぶりに見るその顔は、最後に見た顔よりも頬に丸みがあって女の子らしさがあった。
瞳は淡い茶色で澄んでいて、涙のせいで潤んでいた。長い睫毛に縁取られ、瞼がピクリと動けば微かに震え、唇は仄かな桃色で微かに覗く白い歯に舌がちろりと覗く————それは自分の記憶の雪と同じだったが、三カ月の空白で若干大人びた少女が目の前に居た。
何処が似ているのだろう。
身代わりとして置いた女達は似ても似つかなかった。
自分の想像力のなさに男は内心呆れを通り越して笑いが込み上げそうになったが寸での所で止めた。
雪の一秒一秒を見逃さないようにじっと見つめながら笑みを浮かべると、少女の瞳が揺れ、唇が震えた。
「————久賀、様…」
記憶の中よりも澄んだ声は、男の穴を埋めるのに充分だった。
「雪」
雪は名前を呼ばれ、くしゃりと歪んだ顔を歪める。
その表情は昔と変わらず、久賀はそっと手を伸ばすと雪の頬に触れると拒否はされず小指で雪の涙を拭うと擽ったいのか目を細めた。
「ごめんね」
優しい手つきで涙を拭いながら、久賀は雪に謝罪の言葉を吐いた。
何故謝るのか、そんなに苦しそうな表情を浮かべるのか分からずに戸惑いを隠せずに雪は真っ直ぐに久賀を見つめたまま目を見開いた。
「どうして、久賀様が謝るんですか…?」
「雪は何一つ悪くない。俺の日頃の行いのせいだ」
「日頃の…? でも久賀様はお優しいのに、そんな日頃の行いなんて」
久賀はふっと弱々しく笑い「俺が優しいのは雪だけだよ」と言った。信じられないような目で見てくる雪に男は笑みを深めると、頬から手を離し雪に右手を差し出した。
その表情は————ここで初めて見た時と同じだった。
「おいで」
その右手を無言のままじっと見つめる。
その手は、自分の為だけの手ではない。
それでも差し出される手を取りたいと思ってしまう。
「さっき、久賀様、女性と抱き合って…口付を」
「……後で説明するから。俺の手を取ってくれ」
「私、久賀様の幸せの為に、邪魔だって」
『私』————三カ月の間に言葉を戻したのか。
それに、誰にその着物を着せられ、男装を止めさせられたのだろう。
その空白が酷く久賀の心を掻き乱したが、今はそれよりも目の前の少女が優先だ。
「私、出て行くべきだって…久賀様はお優しいから、はっきり捨てるって告げられないだろうから、だから出ていかなきゃって」
「雪」
「私は役立たずで、金食い虫で、なんの、取り柄もなくて」
「雪」
「『貴女は間違えないように』ってあの女に言われたから…、だから出て行くのが正解なんだって」
「雪」
「私、間違えちゃいけないから、久賀様の為に会っちゃいけないって…」
それでも、思い出すのは、久賀様との事ばかりだった。
遠目で見て、もう一度見たくて窓から顔を覗かせたのは、会いたかったから。
決して、決して、見つけて欲しかった訳じゃ————
「雪」
少し強めに名前を呼ばれたが、声音に怒りは含まれておらず落ち着いた声だった。
「俺の瞳を見て」
差し伸べられた手から視線を外し、男の瞳を見る。
その黒い瞳は雪の顔を映し出すと真摯に雪だけを見つめた。
「誰かに言われたからじゃない、自分で決めるんだ」
「自分で…」
「雪はどうしたい?」
私は、どうしたい?
これは、私の意思だった、そうだよね…?
「わたし、」
声が震え、その瞳をじっと見つめ、また右手を見る。
変わらずに手は差し出されたままだった。
「どうしたい? 全ては雪の意思に任せるよ」
————『貴女は間違えないように』
私は、分かっているの? 何が間違いで、正解かなんて…
ずっとずっと、あの女の言葉が頭の中で響き続け、血まみれで囁き続ける。
『間違えないように』
『間違えないように』
『間違えないように』
「わたし、わたし…」
『間違えないように』
『間違えないように』
『間違えないように』
その幻影を掻き消すように雪は頭を振った。
涙は止め処もなく流れ、右手が涙のせいで歪んで見えてしまう。
しゃくりあげながら、息苦しくなっていき、呼吸が定まらなかった。
でも、これだけは、はっきりと告げなければならなかった。
「私、久賀様と一緒に居たい、帰りたいっ…!」
力一杯叫んで、はっきりと告げた。
そうすれば、不思議と、あの声は聞こえなくなっていた。
雪の指先は久賀の右手に触れて、ぎゅっと掴むと、久賀はその手をしっかりと握り返した。
今度は、今度こそは離さないように。
恐る恐る上げられたその顔を見て、思わず息を飲んだ。
三カ月ぶりに見るその顔は、最後に見た顔よりも頬に丸みがあって女の子らしさがあった。
瞳は淡い茶色で澄んでいて、涙のせいで潤んでいた。長い睫毛に縁取られ、瞼がピクリと動けば微かに震え、唇は仄かな桃色で微かに覗く白い歯に舌がちろりと覗く————それは自分の記憶の雪と同じだったが、三カ月の空白で若干大人びた少女が目の前に居た。
何処が似ているのだろう。
身代わりとして置いた女達は似ても似つかなかった。
自分の想像力のなさに男は内心呆れを通り越して笑いが込み上げそうになったが寸での所で止めた。
雪の一秒一秒を見逃さないようにじっと見つめながら笑みを浮かべると、少女の瞳が揺れ、唇が震えた。
「————久賀、様…」
記憶の中よりも澄んだ声は、男の穴を埋めるのに充分だった。
「雪」
雪は名前を呼ばれ、くしゃりと歪んだ顔を歪める。
その表情は昔と変わらず、久賀はそっと手を伸ばすと雪の頬に触れると拒否はされず小指で雪の涙を拭うと擽ったいのか目を細めた。
「ごめんね」
優しい手つきで涙を拭いながら、久賀は雪に謝罪の言葉を吐いた。
何故謝るのか、そんなに苦しそうな表情を浮かべるのか分からずに戸惑いを隠せずに雪は真っ直ぐに久賀を見つめたまま目を見開いた。
「どうして、久賀様が謝るんですか…?」
「雪は何一つ悪くない。俺の日頃の行いのせいだ」
「日頃の…? でも久賀様はお優しいのに、そんな日頃の行いなんて」
久賀はふっと弱々しく笑い「俺が優しいのは雪だけだよ」と言った。信じられないような目で見てくる雪に男は笑みを深めると、頬から手を離し雪に右手を差し出した。
その表情は————ここで初めて見た時と同じだった。
「おいで」
その右手を無言のままじっと見つめる。
その手は、自分の為だけの手ではない。
それでも差し出される手を取りたいと思ってしまう。
「さっき、久賀様、女性と抱き合って…口付を」
「……後で説明するから。俺の手を取ってくれ」
「私、久賀様の幸せの為に、邪魔だって」
『私』————三カ月の間に言葉を戻したのか。
それに、誰にその着物を着せられ、男装を止めさせられたのだろう。
その空白が酷く久賀の心を掻き乱したが、今はそれよりも目の前の少女が優先だ。
「私、出て行くべきだって…久賀様はお優しいから、はっきり捨てるって告げられないだろうから、だから出ていかなきゃって」
「雪」
「私は役立たずで、金食い虫で、なんの、取り柄もなくて」
「雪」
「『貴女は間違えないように』ってあの女に言われたから…、だから出て行くのが正解なんだって」
「雪」
「私、間違えちゃいけないから、久賀様の為に会っちゃいけないって…」
それでも、思い出すのは、久賀様との事ばかりだった。
遠目で見て、もう一度見たくて窓から顔を覗かせたのは、会いたかったから。
決して、決して、見つけて欲しかった訳じゃ————
「雪」
少し強めに名前を呼ばれたが、声音に怒りは含まれておらず落ち着いた声だった。
「俺の瞳を見て」
差し伸べられた手から視線を外し、男の瞳を見る。
その黒い瞳は雪の顔を映し出すと真摯に雪だけを見つめた。
「誰かに言われたからじゃない、自分で決めるんだ」
「自分で…」
「雪はどうしたい?」
私は、どうしたい?
これは、私の意思だった、そうだよね…?
「わたし、」
声が震え、その瞳をじっと見つめ、また右手を見る。
変わらずに手は差し出されたままだった。
「どうしたい? 全ては雪の意思に任せるよ」
————『貴女は間違えないように』
私は、分かっているの? 何が間違いで、正解かなんて…
ずっとずっと、あの女の言葉が頭の中で響き続け、血まみれで囁き続ける。
『間違えないように』
『間違えないように』
『間違えないように』
「わたし、わたし…」
『間違えないように』
『間違えないように』
『間違えないように』
その幻影を掻き消すように雪は頭を振った。
涙は止め処もなく流れ、右手が涙のせいで歪んで見えてしまう。
しゃくりあげながら、息苦しくなっていき、呼吸が定まらなかった。
でも、これだけは、はっきりと告げなければならなかった。
「私、久賀様と一緒に居たい、帰りたいっ…!」
力一杯叫んで、はっきりと告げた。
そうすれば、不思議と、あの声は聞こえなくなっていた。
雪の指先は久賀の右手に触れて、ぎゅっと掴むと、久賀はその手をしっかりと握り返した。
今度は、今度こそは離さないように。
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