俺とタロと小さな家

鳴神楓

文字の大きさ
上 下
2 / 65
第1章 子犬編

2 新生活設計

しおりを挟む
光が出て行ってから、あっという間に3日が過ぎた。
俺は案の定、光のことを忘れられず、彼のことばかり考えて何も手につかずにいた。
銀行口座は空っぽなのだから、とりあえず日払いのバイトでも探さないと家賃も払えなくなってしまう。
それがわかっていながら、俺はいまだに動けずにいた。

俺が部屋で膝を抱えてぼーっとしていると、 ふいにチャイムがなった。
のっそり立ち上がってドアを開けると、元橋さんが弁当屋のビニール袋を持って立っていた。

「どうせろくに食ってないんだろ。
 ほら、食え」

そう言いながら元橋さん自ら弁当のフタを開けて割り箸を渡されたら、さすがに食べないわけにはいかない。
俺は元橋さんに礼を言うと、もそもそと焼肉弁当を食べ始めた。

「銀行の方、手続き終わったから通帳返すな。
  新しいキャッシュカードは書留で送ってくるそうだ」
「はい、ありがとうございます。
 すみません、手続き任せてしまって」

光が俺のキャッシュカードで預金を引き出した銀行で新しくキャッシュカードを作ったりする手続きが必要だったのだが、俺がこんな状態で使い物にならなかったので、元橋さんが俺の委任状を持って代わりに手続きをやってくれたのだ。

「おう、気にすんな。
 それよりお前、生活費の方は大丈夫なのか」
「いえ……財布にいくらかは入ってたんで食費くらいはありますけど、今月は副業の方の振り込みもないし、月末までに家賃と光熱費をなんとかしないとまずいです。
 とりあえず単発のバイトでもやるつもりでいますが」
「そうか。まあ、それならそれでもいいんだが……。
 もしよければ、いくらか前貸ししてやろうか?」
「え? いいんですか?」

元橋さんは、俺たち画家が生活に困っていても、差し入れくらいはしてくれるが、金を貸してくれることはなかったはずだ。
それはいちいち金を貸していてはキリがないということもあるが、若いアーティストはちょっとくらい苦労しておいた方がいいという考えもあるらしい。

「まあ、今回は特別な。
 その代わりと言っちゃなんだが、担保にここに残ってる絵はもらってくぞ」
「ああ、あれですか?」

元橋さんの言葉に、俺は壁にかかった絵を見上げる。
あれは俺が学生時代に描いたもので、小さいとはいえ初めて賞をもらった作品だ。
自分でも気に入っていたので、こうして手元に置いて飾っていたのだが、こんなことになってしまったからには、あれも元橋さんに売ってもらった方がいいだろう。

「いや、あれでもいいんだが、それよりもお前、あいつを描いた絵を何枚もため込んでただろう」
「え? あれですか?
 いや、さすがにあれを本人の許可をもらわずに売るのはちょっと……」

元橋さんが言っているのは、俺が光のヌードを描いたものだ。
光の裸体は華奢なのにバランスがよくて美しく、創作意欲を刺激されて何枚も描いたが、1枚も売りに出してはいなかった。

「お前な。
 金を持ち逃げしたやつに許可も何もないだろう。
 それにあいつ、この絵は売れないのかって自分から俺に見せてきたじゃないか。
 お前が売りたがらなかっただけで」
「そうでしたね……」

光のヌードの絵を描いたものの、誰の目にもふれさせたくなくて、売りに出すどころか元橋さんに見せることすらせず、俺はそれらの絵をこっそり部屋に隠していた。
そのことは光も知っていたはずなのだが、それにもかかわらず、光は勝手にあの絵を出してきて元橋さんに見せたのだ。
今にして思えばあのころすでに、光は俺との恋愛関係よりも金の方が大事だと思っていたのかもしれない。

俺がまた光のことを思い出して暗くなっているのがわかったのだろう。
元橋さんは露骨にあきれた様子でため息をついた。

「お前な。
 いいかげん、あいつのことは吹っ切れよ。
 そうだ、どうせならいっそのこと引っ越しでもしたらどうだ。
 この部屋にいたら、いつまでもあいつのことを忘れられないだろう」
「引っ越しか……。
 それもいいかもしれませんね」

元橋さんに引っ越しを勧められ、俺はぼんやりと新しい部屋での生活を思い浮かべてみる。

「せっかくだから、犬でも飼おうかな……。
 一人はさみしいし」

ふと、子どもの頃に実家で飼っていた雑種犬のポチのことを思い出す。
俺が毎日小学校から帰ってくるたびに、尻尾をぶんぶん振って喜んでくれたポチ。
嫌なことがあってしょんぼりしていると、俺の顔をぺろぺろ舐めてなぐさめてくれたポチ。

ポチはもうずいぶんと前に老衰で死んでしまったけど、あんなふうに健気で優しく、光のように俺のことを裏切ったりしないかわいい犬と一緒暮らせたら、きっとすぐに立ち直れそうな気がする。

「そうだ、犬を飼おう。
 それで、犬が思いっきり走り回れるような、広い庭のある家を借りて引っ越すんだ。
 過疎の村だったら、自治体が若者に安く家を貸していたりするから、そういうところを探して、絵を描きながら畑でもやって……」
「おい、ちょっと待て!」

犬を飼うと決めた途端に次々と浮かんできた俺の新生活設計に、元橋さんが口を挟んできた。  

「お前、過疎の村なんかに引っ越したら、俺が行くのが大変になるだろ!
 犬なんか、わざわざ田舎に行かなくても、都内のペット可のアパートで飼えばいいだろう」
「でも、狭い部屋の中で飼うのはかわいそうだし。
 最低でも、庭付きの家じゃないと」
「じゃあ、都内で庭付きの家を探せよ。
 下町で空き家になってる古い家とか、なくはないはずだ」
「いやでも、さすがに都内だと家賃が厳しいと……」
「とにかく、一戸建てにせよアパートにせよ、23区内かその周辺にしろ。
 金を貸すんだから、それくらいは口を出させてもらうぞ」
「うっ」

確かにそれを言われると、反論のしようがない。

「わかりました。
 じゃあそれで探してみます」

俺が仕方なくそう答えると、元橋さんは満足そうにうなずいて「飯、ちゃんと食えよ」と念を押してから帰って行った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

助けの来ない状況で少年は壊れるまで嬲られる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

処理中です...