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「駄目だヨ、見ず知らずの怪しい男を部屋に連れ込んじゃあ……殺されても文句言えないヨ?」

 穏やかな口調なのに、向けられている視線と額に押し付けられているセイフティの外された銃口はとても冷え切っている……どうしてこんな状況になっているのか、考えるだけで朱兎は軽く頭痛を覚えた。

――――――

「お疲れ様でしたー」

 居酒屋でのアルバイトを終えた桃瀬朱兎ももせあやとは、いつものように他のアルバイト仲間へ声を掛けてから帰路へ着く。
 初夏の夜とは言え、まだ涼しさが残る夜。バイトで動き回った身体をクールダウンするには丁度良かった。いつもどおりの帰り道、バイト先から人通りの少ない細い裏路地を通れば自宅のあるアパートまでは徒歩で15分ほどだ。

「明日も朝午前中から講義あったな……早く帰ろ」

 時刻は深夜を回っている。これから帰って風呂を済ませて寝てしまえば、朝の講義の時間に遅れることはないだろう。夕飯はバイト先で済ませてあるので、自炊するのは精々朝食の支度くらいだ。仕事中に賄いが出る職場というのは、こういう時にありがたい。
 そんなことを考えながら道を歩けば、自宅まであと少しの距離まで進んでいた。裏路地というのはただでさえ街灯が少ないというのに、どうしてかその数少ない街灯の明かりすら電球が切れかかっていて危うい場所がある。
 朱兎がその場所に差し掛かったとき、不意に足元から小さな鳴き声が聞こえた。

「うに?」

 名前を呼べば、返事を返すように人なひと鳴きする。暗がりに現れたのは、茶色のふわふわとした毛を持つ顔なじみの野良猫だった。うにと言うのは食べ物の雲丹の色合いに似ていたから、朱兎が勝手にそう呼んでいるだけだ。

「こんな時間にどうしたんだお前」

 うにと会う時間が多いのは朝方で、深夜のこの時間帯に出会うのはこれが初めてだった。そんなうには朱兎に向かって小さく鳴くと、裏路地の更に狭いビルの隙間へと姿を消した。

「明日、朝早いんだけどな」

 きっとあれは付いてこいということなのだろうなと察した朱兎は、やれやれと肩をすくめてうにのあとを追い掛け暗がりを進む。

「うにー?」

 ビルとビルの隙間、灯りなどない暗闇。大凡人など入り込まないだろうそこに、うにと……人がいた。

「……は? え、ちょっ、大丈夫っすか!」

 酔っぱらいが寝ているのかと思ったが、駆け寄ってみてもアルコールの匂いはしない。バイト先で人を介抱することには慣れている朱兎は、壁に凭れながら倒れている男の様子を伺う。

「酒に潰れた酔っ払いじゃなさそうだけど……なんだってこんな場所に」
「にゃぁ」

 朱兎に同意でもしているのか、良いタイミングでうにが鳴く。そんなうにを撫でながら、男に声を掛けながら肩を揺する。

「おにーさん、こんなところで寝てたら風邪引く……」

 ぬるりとした感触が手についた。暗がりでよく見えはしないが、この感触は恐らく――

「血……? え、怪我してんじゃん!」

 途端に不穏な気配を感じた朱兎は、ポケットの中のスマホを握り締める。救急車を呼ぶべきか、警察を先に呼ぶべきか。他にも外傷があって出血していたら? 近くにこの男を襲った犯人がいたら?
 色々なことをが一度に脳裏を過ぎっていく。意識は失っているようだが幸い男の脈は安定しており、呼吸もある。怪我をしているのは肩だけなのだろう。

「救急車呼んでから警察」

 冷静に判断し、そっとスマホを取り出す。そんなとき辺りが騒がしくなった。

「――?」
「――、――――」

 複数の足音と聞こえてくる他国語。言葉のイントネーションと声からして中国人男性だろうか。朱兎の身体が緊張で強張る。
 この男との関係性はわからないが、ここで見つかったらきっとろくなことにはならないと直感が告げていた。

(ったく、なんでこんなことになってるんだよ!)

 一介の大学生に気配を消すなどという漫画の主人公のようなご大層な技は使えないので、音を立てないように全神経を集中させる。

「――――?」

 こちらが大人しくしていたところで、向こうから来られてしまえばひとたまりもない。段々と近づいてくる足音に朱兎は男を庇うように覆い被さる。その時に小さく物音を立ててしまい、しまったと焦る朱兎。
 それは男たちに聞こえていたかはわからないが、音を立ててしまった本人としては気が気ではない。ぶわっと一気に嫌な汗が噴き出し、ごくりと生唾を飲み込む。

「……っ」

 時間にしてほんの数十秒の出来事だったのだろうが、朱兎には今この瞬間時が止まっているのではないかという錯覚すら覚えた。

「……にゃあー」

 それを破ったのはうにだった。

(ちょっ、うに!)

 トコトコと男たちの方へ向かって歩いて行き、そのまま彼らの前に飛び出す。
 一言二言会話が聞こえた後、男たちはこちら側へ入ってくることはなくそのまま足音は遠ざかっていった。

「……はぁ」

 どうやら難を逃れたとわかると、途端に今まで張り詰めていた空気が和らぎ強張っていた身体の力が抜ける。その場にへたり込んだ朱兎はもう一度落ち着かせるように深く息を吐き出すと、改めて目の前にいる男へ視線を戻した。

「で、この人どうすりゃいいんだよ」


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