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第一章
第十七話 臣下との距離感
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レストランで食事を終えた二人は、結局夜まで行動を共にすることとなった。デニアはアンナを流行りの観劇へ連れ出し、それを初めて観たアンナは目の前で繰り広げられる非日常に感動。感想を言い合いながら軽い夕食を終え、帰城しようかとしていた矢先。
「なんだあれ」
人の流れに乗っていくと、辿り着いたのはカジノだった。入ってみたいとせがむアンナをなんとか説得し、デニアは彼女を城の手前に掛かる橋まで送り届けたところであった。
「悪かったな、こんな時間まで」
「……いいえ」
「また、誘ってもいいか? ……デニー」
くるりと振り返ったアンナの表情は、月光に照らされ年不相応に妖艶であった。照れて、ほんの少し赤らんだ頬を隠すように、彼女はサッと顔を伏せた。
「……楽しかった?」
デニアの適応力も見事なもので、時々ボロが出るものの、アンナが命令した通り敬語を取り払い友人のように接している。これからは公の場でこの態度が出ぬよう気を付けねばならない。
「楽しかった。あたしは何も……知らなかったんだな。世界中飛び回って仕事をして、沢山の物を見てきたつもりだった。だが……自国の街を……こんなにのんびりと歩いたのは初めてで、驚くことが多かった」
すらすらと本音を語るアンナに、デニアは驚きを隠せない。初見の印象とはまるで違う少女が、そこにはいた。
「なんだよその顔は」
「いや……」
普段は険しい表情を張り付けてはいるが、元来美しい顔立ちの少女である。たった半日共に過ごしただけであるにも関わらず、垣間見える女の顔に、デニアは釘付けになっていた。
(──わかっている)
この少女に、心を奪われるわけにはいかないことくらい、デニアにはわかっていた。恋人がいる、いないを関係なしに、アンナリリアンという女は自分とはかけ離れた存在。──騎士団長として多くのものを背負っているデニアとですら、その大きさが違いすぎるのだ。
(不用意に近づきすぎてはならない……わかっている)
「……デニー?」
「りりたんは可愛い所があるなーって、思っただけだよ」
「フッ……なんだそれ。友人同士はそういう冗談も言うのか」
「……そうだよ。それが、友人だ」
「勉強になるな」
別れ際、デニアはアンナにプライベート用、それに仕事用の通信機番号を手渡した。プライベート用は殆ど使っていないが、念のためであった。
一ヶ月後にデニアが部下のイダールを引き連れフィアスシュムート城へ襲撃事件の報告書を持参するまでの間、彼はアンナにもう一度、食事に誘われた。二人が友人として仲を深めていく契機となったのは、言うまでもない。
その後アンナはデニアと別れ、こっそりと帰城した。こんな夜更けに兄に見つかってしまえば何を言われるかわかったものではない──そう危惧をし、そろりそろりと気配を殺し、自室のある棟の外壁から飛びあがり、城内に入り込んだ矢先。
「おかえりなさいませ、姫」
「うっわ……、驚かすなよ」
「申し訳ありません」
スーツのジャケットは脱ぎ、ノーネクタイ。後ろ髪は普段通りの束ね髪だが、後頭部で団子のように一纏めにしている。オールバックが常の前髪は下ろして横に流し、一風すると誰だかわからぬ風貌のシナブルが、城内の廊下に佇んでいた。
「何やってんだお前」
「姫こそ、何故廊下の窓から帰って来られるのです?」
「兄上対策だ。出来たばかりの友人と出掛けていただなんて知ったら、あちらが殺されてしまう」
「……確かに」
アンナには友人と呼べる者がいなかった為、レンがそれについて口出しをしてきたことはなかった。が、出来たばかりの友人──それも男と、こんな時間まで出歩いていたと知れば、苦言を呈してくるであろうことは目に見えていた。
「それで、如何でしたか?」
「ああ、楽しかったぞ」
「それはよろしゅうございました」
目元を綻ばせたシナブルは、精一杯口角を上げて微笑んだ。彼もアンナと同様、顔立ちがきつい男であるので、このくらいしなければ喜んでいるということが主にすら伝わりにくいのである。
「それで、何処かへ行くのか?」
「はい。姫の帰って来られる気配がありましたのでこちらで待っておりました。少し、出かけて来ます」
「スナイプか?」
「はい」
何故アンナがシナブルの悪友の名前を知っているのか──それは過去にアンナがファイアランス軍を視察していた際、偶然シナブルとスナイプが仲睦まじげに会話をしている光景を目撃したからであった。まるで緊張した様子もなくアンナに挨拶をしたスナイプは、人懐こい笑顔が特徴的な、シナブルとは真逆のような男であった。
「一応フォードはおりますが……何かございましたら、すぐに連絡を下さい」
「こっちのことは気にすんな。ゆっくり出掛けてこい」
「ありがとうございます」
臣下であれど自由な時間は必要だと考えているアンナは、あまりフォードとシナブルの行動に干渉しない。仕事さえしっかりしてくれれば、それ以外の時間は自由に使ってよい、と幼少より彼女も言ってここまできたので、彼ら二人も遠慮することは少なくなっていた。
アンナと別れたシナブルは、 人気のない廊下を進み、階下へと向かう。 城内で誰ともすれ違うことなく、彼はスナイプと待ち合わせをしている城下町の酒場へと向かった。
一方アンナはというと、慣れないドレスをさっさと脱いでしまおうと背中に編み上げられた紐を触りながら、自室へと続く執務室へと踏み込んだ。
「おかえりなさいませ、姫」
「ただいま」
扉を開けた直後、執務机で仕事をしていたフォードが立ち上がり頭を下げる。こんな時間までご苦労なものだと言葉をかけると、「キリが悪いのでもう少し」と言って書類に視線を落としてしまった。
「あ……姫」
「なんだ?」
「そのドレス、背中の紐が多少複雑なのですが大丈夫ですか? シナブルもおりませんから、メイドを呼びましょう」
「大丈夫だろ。やってみる……お前の手は煩わせないさ」
自室へと姿を消した主の背を、フォードは不安げに見つめる。既に絡まりかけている赤い紐を見て苦い笑みを浮かべた彼の元へ、アンナが戻ってきたのはおよそ一分後。
「すまん、フォード助けてくれ」
「人を呼びますか?」
「いい。面倒だ。お前がやってくれた方が早い」
これがシナブルであれば、アンナは間違いなく初めから頼んでいただろうが相手はフォードだ。一応、彼女なりの気遣いをしたつもりであったが、無意味であった。
「初めから言って下さればいいものを」
「……無駄にあたしの肌になど触れたくないだろう?」
「そのようなことは……ちょっと失礼しますよ」
アンナがあれこれ触ったせいで、紐が思っていたよりも絡まっている。彼女の背に少し触れてしまうことを懸念したフォードは、声をかけてから紐に指をかけた。
「どう?」
「もう少しで…………はい、解けました」
「助かった。ありがとう」
「あ、姫」
「なんだ」
「ドレスの前側を支えて下さい。開(はだ)けてしまいますので」
「……ああ」
紐が解け、剥き出しになったアンナの白い肩と背中。彼女が手を離してしまえば、上半身全体の素肌が晒されてしまう。
「姫、わかっていらっしゃるとは思いますが」
「なんだよ」
「こういったお姿を、人前では晒されませぬよう。女性として、もう少し恥じらいを持たれて下さい」
「またそれか」
「次期国王となられる御身なのですから。それに姫も年頃の女性なのですから──」
「恥じらいねえ……」
わかっているのかいないのか、アンナは鼻を鳴らしながら自室へと姿を消す。彼女なりにフォードにはあまり肌を晒さぬよう気を付けてきたつもりではあったのだが、まだまだなようだった。
「なんだあれ」
人の流れに乗っていくと、辿り着いたのはカジノだった。入ってみたいとせがむアンナをなんとか説得し、デニアは彼女を城の手前に掛かる橋まで送り届けたところであった。
「悪かったな、こんな時間まで」
「……いいえ」
「また、誘ってもいいか? ……デニー」
くるりと振り返ったアンナの表情は、月光に照らされ年不相応に妖艶であった。照れて、ほんの少し赤らんだ頬を隠すように、彼女はサッと顔を伏せた。
「……楽しかった?」
デニアの適応力も見事なもので、時々ボロが出るものの、アンナが命令した通り敬語を取り払い友人のように接している。これからは公の場でこの態度が出ぬよう気を付けねばならない。
「楽しかった。あたしは何も……知らなかったんだな。世界中飛び回って仕事をして、沢山の物を見てきたつもりだった。だが……自国の街を……こんなにのんびりと歩いたのは初めてで、驚くことが多かった」
すらすらと本音を語るアンナに、デニアは驚きを隠せない。初見の印象とはまるで違う少女が、そこにはいた。
「なんだよその顔は」
「いや……」
普段は険しい表情を張り付けてはいるが、元来美しい顔立ちの少女である。たった半日共に過ごしただけであるにも関わらず、垣間見える女の顔に、デニアは釘付けになっていた。
(──わかっている)
この少女に、心を奪われるわけにはいかないことくらい、デニアにはわかっていた。恋人がいる、いないを関係なしに、アンナリリアンという女は自分とはかけ離れた存在。──騎士団長として多くのものを背負っているデニアとですら、その大きさが違いすぎるのだ。
(不用意に近づきすぎてはならない……わかっている)
「……デニー?」
「りりたんは可愛い所があるなーって、思っただけだよ」
「フッ……なんだそれ。友人同士はそういう冗談も言うのか」
「……そうだよ。それが、友人だ」
「勉強になるな」
別れ際、デニアはアンナにプライベート用、それに仕事用の通信機番号を手渡した。プライベート用は殆ど使っていないが、念のためであった。
一ヶ月後にデニアが部下のイダールを引き連れフィアスシュムート城へ襲撃事件の報告書を持参するまでの間、彼はアンナにもう一度、食事に誘われた。二人が友人として仲を深めていく契機となったのは、言うまでもない。
その後アンナはデニアと別れ、こっそりと帰城した。こんな夜更けに兄に見つかってしまえば何を言われるかわかったものではない──そう危惧をし、そろりそろりと気配を殺し、自室のある棟の外壁から飛びあがり、城内に入り込んだ矢先。
「おかえりなさいませ、姫」
「うっわ……、驚かすなよ」
「申し訳ありません」
スーツのジャケットは脱ぎ、ノーネクタイ。後ろ髪は普段通りの束ね髪だが、後頭部で団子のように一纏めにしている。オールバックが常の前髪は下ろして横に流し、一風すると誰だかわからぬ風貌のシナブルが、城内の廊下に佇んでいた。
「何やってんだお前」
「姫こそ、何故廊下の窓から帰って来られるのです?」
「兄上対策だ。出来たばかりの友人と出掛けていただなんて知ったら、あちらが殺されてしまう」
「……確かに」
アンナには友人と呼べる者がいなかった為、レンがそれについて口出しをしてきたことはなかった。が、出来たばかりの友人──それも男と、こんな時間まで出歩いていたと知れば、苦言を呈してくるであろうことは目に見えていた。
「それで、如何でしたか?」
「ああ、楽しかったぞ」
「それはよろしゅうございました」
目元を綻ばせたシナブルは、精一杯口角を上げて微笑んだ。彼もアンナと同様、顔立ちがきつい男であるので、このくらいしなければ喜んでいるということが主にすら伝わりにくいのである。
「それで、何処かへ行くのか?」
「はい。姫の帰って来られる気配がありましたのでこちらで待っておりました。少し、出かけて来ます」
「スナイプか?」
「はい」
何故アンナがシナブルの悪友の名前を知っているのか──それは過去にアンナがファイアランス軍を視察していた際、偶然シナブルとスナイプが仲睦まじげに会話をしている光景を目撃したからであった。まるで緊張した様子もなくアンナに挨拶をしたスナイプは、人懐こい笑顔が特徴的な、シナブルとは真逆のような男であった。
「一応フォードはおりますが……何かございましたら、すぐに連絡を下さい」
「こっちのことは気にすんな。ゆっくり出掛けてこい」
「ありがとうございます」
臣下であれど自由な時間は必要だと考えているアンナは、あまりフォードとシナブルの行動に干渉しない。仕事さえしっかりしてくれれば、それ以外の時間は自由に使ってよい、と幼少より彼女も言ってここまできたので、彼ら二人も遠慮することは少なくなっていた。
アンナと別れたシナブルは、 人気のない廊下を進み、階下へと向かう。 城内で誰ともすれ違うことなく、彼はスナイプと待ち合わせをしている城下町の酒場へと向かった。
一方アンナはというと、慣れないドレスをさっさと脱いでしまおうと背中に編み上げられた紐を触りながら、自室へと続く執務室へと踏み込んだ。
「おかえりなさいませ、姫」
「ただいま」
扉を開けた直後、執務机で仕事をしていたフォードが立ち上がり頭を下げる。こんな時間までご苦労なものだと言葉をかけると、「キリが悪いのでもう少し」と言って書類に視線を落としてしまった。
「あ……姫」
「なんだ?」
「そのドレス、背中の紐が多少複雑なのですが大丈夫ですか? シナブルもおりませんから、メイドを呼びましょう」
「大丈夫だろ。やってみる……お前の手は煩わせないさ」
自室へと姿を消した主の背を、フォードは不安げに見つめる。既に絡まりかけている赤い紐を見て苦い笑みを浮かべた彼の元へ、アンナが戻ってきたのはおよそ一分後。
「すまん、フォード助けてくれ」
「人を呼びますか?」
「いい。面倒だ。お前がやってくれた方が早い」
これがシナブルであれば、アンナは間違いなく初めから頼んでいただろうが相手はフォードだ。一応、彼女なりの気遣いをしたつもりであったが、無意味であった。
「初めから言って下さればいいものを」
「……無駄にあたしの肌になど触れたくないだろう?」
「そのようなことは……ちょっと失礼しますよ」
アンナがあれこれ触ったせいで、紐が思っていたよりも絡まっている。彼女の背に少し触れてしまうことを懸念したフォードは、声をかけてから紐に指をかけた。
「どう?」
「もう少しで…………はい、解けました」
「助かった。ありがとう」
「あ、姫」
「なんだ」
「ドレスの前側を支えて下さい。開(はだ)けてしまいますので」
「……ああ」
紐が解け、剥き出しになったアンナの白い肩と背中。彼女が手を離してしまえば、上半身全体の素肌が晒されてしまう。
「姫、わかっていらっしゃるとは思いますが」
「なんだよ」
「こういったお姿を、人前では晒されませぬよう。女性として、もう少し恥じらいを持たれて下さい」
「またそれか」
「次期国王となられる御身なのですから。それに姫も年頃の女性なのですから──」
「恥じらいねえ……」
わかっているのかいないのか、アンナは鼻を鳴らしながら自室へと姿を消す。彼女なりにフォードにはあまり肌を晒さぬよう気を付けてきたつもりではあったのだが、まだまだなようだった。
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