上 下
1 / 47

1、二十七歳・バリキャリです

しおりを挟む

 コンサルタント会社に勤めている、鎌本博美かまもとひろみ二十七歳。

 大学では経営学を学び、卒業後はコンサルタント会社に就職し、仕事一筋で突き進んでいた。  

 博美は誰もいない夜のオフィスでパソコンの電源を落とし、黒のビジネスバックを持ち、席を立つ。

 部屋のセキュリティゲートで社員証をピッとかざして、扉を開けて、廊下へ出た。

 ――今日も疲れた。だが、やっとここまで持ってこられた。

 博美は、明日の契約の段取りを浮かべながらエレベーターホールに向かう。
 
 エレベーター前で下のボタンを押した。

 扉が開くと、誰も乗っていないエレベーターに乗り込んだ。

 明日は大事な契約日で、段取りもすべて終えた。
 契約後のアフターフォローも万全だ。
 あとは明日が来るのを待てばいいだけ。

 ガラス張りのエレベーターの中で、下へ降りていく階数を見上げながら肩を揉んでいるうちに、一階へ着いた。

 広い玄関ホールからオフィスビルの一歩外へ足を踏み出すと、博美の顔つきが変わる。

 外に出てビル風に吹かれれば、使いすぎた頭が冷えて気持ちがいいと、感じていた。

 つやのあるダークブラウンの髪をなびかせ、黒のパンツスーツで、疲れなど微塵も見せないよう、背筋をスッと伸ばして歩く。

 コンサルタントである博美は、顧客から信頼を得るために日ごろから心がけていることだった。 

 服装だけでなく、身にまとう雰囲気や話し方ひとつでその人の印象を左右する。

 仕事に手を抜かず、気合も抜けない。

 すべては仕事のため……、いや、一人で生きていくためのお金のためだ。

 博美が高校生のとき、両親が事故にあって他界した。遠方に住む祖父母に頼ることもできず、母親の妹である叔母を頼るしか、高校生の博美に道はなかった。それから叔母家族の世話になることになった。しかし、叔母の夫の収入では考えられない、身分不相応な生活に疑いを持つようになった。

 案の定、勝手に博美の両親の保険金や事故の慰謝料などを使い込まれているのを大学のときに知った。

「おばさん、どうして勝手にお金をつかったの」

 博美が問い詰めると、叔母は開き直った。

「あなたばっかりズルいじゃない。私も姉の妹よ。貰える権利があるわ、だってあなたの面倒をこうして見ているじゃない」

「でも、お父さんとお母さんがわたしに残してくれたお金です」

「はあ? 残してくれたお金だって? ほとんどが事故の慰謝料でしょ。でもね、そのお金だってね、降って湧いてきたわけじゃないのよ。誰が、保険金や慰謝料の請求手続きをしたと思っているのよ。弁護士と打ち合わせして、時間とお金をかけてして私が段取りをしてあげたのよ。世間知らずのあなたなんて、何の手続きなんて出来なかったでしょ」

 叔母の言うとおりだった。当時、高校生の博美は突然の両親の事故で、深い悲しみで何も手が付けられなかった。しかも難しい書類の手続きや交渉事なんて、やり方もわからなかった。すべて叔母に任せっきりだった。

「けれど、黙ってお金を使うなんてひどい……」
「なにが酷いのよ。ちょっとお金を借りただけでしょ」
「借りたって……」

 どう考えても叔母がお金を返すようには見えない。

「あのね、あなたの世話だってお金がかかるのよ。食費に光熱費や学費、それに家賃だって。子供のあなたにはわからないでしょうけど、これから高齢の母や父の面倒まで、私一人で見ないといけないのよ。姉さんが急に死んでしまったから。私ばっかり面倒事を押し付けられて、お金ぐらい貰えるのは当然でしょ」

 博美は言いたいことはあったが、ぐっと飲み込み、深く息を吸い込んだ。

 叔母が、こういう人だとわかっただけ良かったのかもしれない。それに、すべて叔母に任せていた自分も甘かったのだ。

「わかりました。これまで使ったお金は返してもらわなくて結構です。ですが、もうここにはいられません。出て行きます」

 早く大人になりたかった。自立したかった。自分で部屋を借りた。そうして博美は大学の友人に手伝ってもらい、レンタカーを借り、引っ越しの荷物を出す日に叔母から言われた。

「あんたみたいな可愛げのない子、はやく出て行ってくれて、せいせいするわ。お金を独り占めして満足でしょうね」

 それが叔母の家を出て行くとき、玄関で靴を履く博美に掛けた叔母の最後の言葉だった。

 そうして博美は、一人暮らしを始めた。

 当初は、絶対的な信頼を寄せていた叔母に裏切られたことのショックもあったが、残っていたお金で大学卒業までの生活などは心配ないことにひとまず安心した。

 就職活動では、叔母にすべての手続きを任せ、お金を着服された苦い経験から、難しい書類や誰にも騙されない様に経験を積もうと、コンサルタント会社に就職することを決めた。無事入社することができた。新入社員のときは、無理して会社の飲み会にも付き合っていた。しかし有意義な会話や情報などなく、同期は顧客や上司の悪口で盛り上がり、次に自慢話、そして帰り際に口説いてくる男もいた。

 無駄な時間に思えた。コスパが悪すぎる。

 博美は、がむしゃらに仕事に打ち込み、同期たちとも距離を置くようになった。付き合うのは自分に仕事を回してくれる上司や顧客先だけ。いつしか高校や大学の友人たちとも疎遠になっていた。

 そうして社内では成績をあげ、博美は注目を受ける存在となっていた。すると、社内で同僚や男性社員からの風当たりが強くなった。『仕事一筋で可愛げがない』『気の強い女は無理』などと、男目線で勝手に女としての評価までされていた。

 そのような陰口が博美の耳に筒抜けだったのは、わざわざ「鎌本さん、こんなこと言われていますよ」と言いに来る男がいたからだった。

「ご親切にありがとうございます」

 ニッコリと笑いながら、ったく、そんな暇があったら仕事をしろよ――と、博美は心のなかで、毒づくのだった。

 誰かに頼ると騙される、隙を見せると付け込まれる。高校のときに、博美が叔母から教わったことだ。

 二十七歳になっても仕事一筋に打ち込む博美は、ややきつい顔立ちにハッキリとした物言いから、女性らしさがないのは自分でもわかっていた。

 それでも二十七歳の女が経営コンサルタントとして、男ばかりの世界で仕事をしていると、舐められることばかりだった。

 相手にするのは中小企業の役員たちばかりで、総じて年齢は高い。
 博美からすれば父親か、祖父ぐらいの年齢ばかりだ。

 そんな男性たちからも「女のくせに生意気だ」「小娘が」などと、聞こえるように言われこともある。しかも「女の武器を使っている」などと、有りもしないことを言われたこともあった。

 だが、博美にとっては、どこ吹く風だ。

 相手の役職や立場、性別によって態度を変える男社会で女が仕事をしていると、そんな嫌みや、嫌がらせも当たり前だ。
 それも仕事の内と割り切っている。契約が上手く行けば、報奨金が手に入る。

 博美はコンサルタントとしてM&Aの仲介も行っていた。M&Aとは企業の合併や買収のことで、博美は売りたい企業と、買いたい企業をマッチングし、その間に入ってスムーズに譲渡契約までサポートする。ただ、そうやすやすとM&Aが上手く行くことはない。話だけで終わることがほとんどだ。金額の折り合いがつかない場合やその他の交渉事がとん挫することも多々ある。それでも博美は手間を惜しまず、その問題をひとつひとつ解決するように働きかけ、定期的に連絡は取るようにしていた。

 カバンに入れている博美の携帯が鳴った。

 スマホを見れば、今川部長の名前が画面に表示されていた。

 コンサルタント会社の上司であり、年齢や性別を関係なく仕事を回してくれる部長は、博美が尊敬する数少ない男性の上司だった。

 博美は歩きながら電話に出る。

「はい、鎌本です」

 タクシーを捕まえるために交差点の向こう側へ渡るつもりだった。

「カマもっちゃん、家?」

「会社から出たところです」

「あ、今まで会社にいたの? 珍しいね、カマもっちゃんがこんな時間まで会社にいたなんて」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

拝啓。聖女召喚で得た加護がハズレらしくダンジョンに置いてきぼりにされた私ですが元気です。って、そんな訳ないでしょうが!責任者出て来いやオラ!

バナナマヨネーズ
恋愛
私、武蔵野千夜、十八歳。どこにでもいる普通の女の子。ある日突然、クラスメイトと一緒に異世界に召喚されちゃったの。クラスのみんなは、聖女らしい加護を持っていたんだけど、どうしてか、私だけよくわからない【応援】って加護で……。使い道の分からないハズレ加護だって……。はい。厄介者確定~。 結局、私は捨てられてしまうの……って、ふっざけんな!! 勝手に呼び出して勝手言ってんな! な~んて、荒ぶってた時期もありましたが、ダンジョンの中で拾った子狼と幸せになれる安住の地を求めて旅をすることにしたんですよ。 はぁ、こんな世界で幸せになれる場所なんてあるのかしら? 全19話 ※小説家になろう様にも掲載しています。

聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件

バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。 そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。 志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。 そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。 「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」 「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」 「お…重い……」 「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」 「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」 過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。 二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。 全31話

婚約破棄されて幽閉された毒王子に嫁ぐことになりました。

氷雨そら
恋愛
聖女としての力を王国のために全て捧げたミシェルは、王太子から婚約破棄を言い渡される。 そして、告げられる第一王子との婚約。 いつも祈りを捧げていた祭壇の奥。立ち入りを禁止されていたその場所に、長い階段は存在した。 その奥には、豪華な部屋と生気を感じられない黒い瞳の第一王子。そして、毒の香り。  力のほとんどを失ったお人好しで世間知らずな聖女と、呪われた力のせいで幽閉されている第一王子が出会い、幸せを見つけていく物語。  前半重め。もちろん溺愛。最終的にはハッピーエンドの予定です。 小説家になろう様にも投稿しています。

誰も信じてくれないので、森の獣達と暮らすことにしました。その結果、国が大変なことになっているようですが、私には関係ありません。

木山楽斗
恋愛
エルドー王国の聖女ミレイナは、予知夢で王国が龍に襲われるという事実を知った。 それを国の人々に伝えるものの、誰にも信じられず、それ所か虚言癖と避難されることになってしまう。 誰にも信じてもらえず、罵倒される。 そんな状況に疲弊した彼女は、国から出て行くことを決意した。 実はミレイナはエルドー王国で生まれ育ったという訳ではなかった。 彼女は、精霊の森という森で生まれ育ったのである。 故郷に戻った彼女は、兄弟のような関係の狼シャルピードと再会した。 彼はミレイナを快く受け入れてくれた。 こうして、彼女はシャルピードを含む森の獣達と平和に暮らすようになった。 そんな彼女の元に、ある時知らせが入ってくる。エルドー王国が、予知夢の通りに龍に襲われていると。 しかし、彼女は王国を助けようという気にはならなかった。 むしろ、散々忠告したのに、何も準備をしていなかった王国への失望が、強まるばかりだったのだ。

二周目聖女は恋愛小説家! ~探されてますが、前世で断罪されたのでもう名乗り出ません~

今川幸乃
恋愛
下級貴族令嬢のイリスは聖女として国のために祈りを捧げていたが、陰謀により婚約者でもあった王子アレクセイに偽聖女であると断罪されて死んだ。 こんなことなら聖女に名乗り出なければ良かった、と思ったイリスは突如、聖女に名乗り出る直前に巻き戻ってしまう。 「絶対に名乗り出ない」と思うイリスは部屋に籠り、怪しまれないよう恋愛小説を書いているという嘘をついてしまう。 が、嘘をごまかすために仕方なく書き始めた恋愛小説はなぜかどんどん人気になっていく。 「恥ずかしいからむしろ誰にも読まれないで欲しいんだけど……」 一方そのころ、本物の聖女が現れないため王子アレクセイらは必死で聖女を探していた。 ※序盤の断罪以外はギャグ寄り。だいぶ前に書いたもののリメイク版です

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23

異世界でも、とりあえず生きておく

波間柏
恋愛
 大学の図書室で友達を待っていたのにどうやら寝てしまったようで。目を覚ました時、何故か私は戦いの渦中に座っていた。 いや、何処よここは? どうした私?

悪役令嬢と呼ばれて追放されましたが、先祖返りの精霊種だったので、神殿で崇められる立場になりました。母国は加護を失いましたが仕方ないですね。

蒼衣翼
恋愛
古くから続く名家の娘、アレリは、古い盟約に従って、王太子の妻となるさだめだった。 しかし、古臭い伝統に反発した王太子によって、ありもしない罪をでっち上げられた挙げ句、国外追放となってしまう。 自分の意思とは関係ないところで、運命を翻弄されたアレリは、憧れだった精霊信仰がさかんな国を目指すことに。 そこで、自然のエネルギーそのものである精霊と語り合うことの出来るアレリは、神殿で聖女と崇められ、優しい青年と巡り合った。 一方、古い盟約を破った故国は、精霊の加護を失い、衰退していくのだった。 ※カクヨムさまにも掲載しています。

処理中です...