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パパは迷子になっているんだよ

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 夕方になり、遥香は村内にある保育所へ息子の真哉のお迎えにやって来た。
  
 玄関の奥にある部屋から子供たちのはしゃぐ賑やかな声が聞こえてる。
    壁には折り紙やクレヨンのイラストが貼られ、靴箱にしまわれた小さな靴が並んでいる。
 サイズが小さいと言うだけで、可愛らしく、遥香は顔をほころばせた。

「お待たせ、シンちゃん。先生ありがとうございました」

「ママ~」と元気いっぱいに走り込んでくる真哉を抱きしめた。子供ならではの体温、汗の香りにホッと癒される。

 軽自動車の助手席に取り付けられたチャイルドシートにヨイショッと真哉を座らせ、ハンドルを握った。

「今日、保育所楽しかった?」

 問いかけた途端に真哉は頬をぷくぅっと膨らませ不貞腐れた顔になる。

「たのしくなかった。ヒロくんとケンカした」

「どうしてケンカしたの?」

「だって、ヒロくん……」

 そこまで言うと、真哉は口を固く結び、押し黙ってしまった。
 子供には子供なりの言い分があるし、意外なほど色々な事を考えている。

「シンちゃん、ママに教えてくれないとシンちゃんが良い子か悪い子がわからないよ」

「だって、ヒロくん、おまえんちパパいないって……」

 その言葉に遥香は思わず息を呑む。

「ようちゃんがいるよ。って、いったらパパじゃないって、パパはいっしょのいえにいるんだっていった」

「……ごめんね。うん、陽太はパパじゃないんだ。ごめん」

「うん、しってる……」

 大粒の涙を浮かべ鼻をすすり出す真哉に、なんて言ったらいいのか、掛ける言葉も見つけられず、遥香は自分がなんてダメな母親だと気持ちが沈む。

 この状況に遥香自身も泣きたくなってしまった。
 直哉が事故に遭い、共に過ごした時間を忘れてしまっていたなんて、考えた事もなかった。
 てっきり連絡が取れなくなった時点で、遊ばれて捨てられたものだと自分に言い聞かせ、直哉への想いを断ち切った。だから、この先、一生会う事もないんだと思い真哉を育てて来たのだ。
 

「ねえ、ママ。ボクのパパどこにいるの?」

 子供に嘘は吐きたくない。それなのに、本当の事も言えない。
 遥香は心の中で、ごめんね。ごめんね。と謝りつづける。

「パパね。……迷子になっちゃって帰ってこれなくなっちゃったんだ。ごめんね」

「うん……」

 真哉は、不機嫌なまま押し黙ってしまった。

 車は城間家の私道の砂利道に入り、タイヤが砂利を踏みしめる音を立てた。

 おばあの家の前を通り過ぎ、管理棟兼自宅の我が家に到着した。そのさらに奥には『城間別邸』がある。
 自宅前に車を停め、真哉を見るとまだ不貞腐れている。

「おうち着いたよ。シン、おやつ食べたらボール投げしようか」

 泣き止んだけれど、ご機嫌が直らない真哉に遥香は明るく声をかけた。

「うん」
 低めのテンションで返事をする真哉に遥香は申し訳ない気持ちになる。
 望んで片親にした訳ではないけれど、それは大人の事情だ。子供にしてみれば、パパとママがいる方が良いに決まっている。

「今日のおやつは、シンちゃんが食べたいって言っていたモケモンのドーナッツ買っておいたよ」

 おやつで釣るなんて姑息な手だと思う。でも、今は説明の仕様がない。

「えっ? ペカチューのドーナッツ⁉」

「そう、前に食べてみたいって言っていたでしょう?」

「やったー!ペカチューだ!!」

「手を洗ってからよー」

(はぁ、良かった。あのまま泣かれていたら罪悪感で胸がつぶれそう。)

 車から大喜びで玄関に向かう真哉の様子に胸をなでおろした。
 妊娠がわかって、悩んで悩んで、それでもシングルマザーとして頑張ると覚悟をしていたけれど、実際に「パパは?」と聞かれるのは辛かった。
 それもパパである柏木直哉がすぐそばにいるにもかかわらず。直哉にも真哉にも言えないこの状況。

「ホント、無理」

 お目当てのドーナッツを喜んで食べている真哉を見ていると、出来ればパパに会わせてあげたいと思ってしまう。
 でも、万が一それがきっかけで親権争いにでもなら、真哉との別れに繋がるかもしれないと思うと勇気が出ない。
 本当の事を言ったとしても柏木直哉は覚えていないのだから。

「もういらないの? ママが食べちゃうよ」

「いーよー」

 真哉の関心は既におもちゃ箱に向いていた。
 お皿上には、息子にかじられ痛々しい姿になったペカチューが哀れな姿になって転がっている。
 それをつまんで口の中に放り込む。

「甘っ」

「ママー。ボールなげしよ」

 もぐもぐと口を動かす遥香へと真哉が笑顔を向けた。
 おもちゃ箱からボールを見つけ、頭の上に自慢げに掲げている。
 その笑顔にホッとして、遥香は重たい腰を上げた。

「暗くなる前にお終いだからね」

「うん」

 玄関先に出て、ハンドボールぐらいの大きさの黄色いゴムボールをゆるーく投げてあげる。
 上手くチャッチできたとはしゃぐ真哉。少し強めに投げたり、上にあげたり、と飽きさせないように変化を出し取れたら大げさに褒める。
 遥香は、子育てについては手探りをしながら、やっと前に進んでいる状態だ。

 でも、子育てなんて一生手探りのまま終わる気がする。
 愛情はかけるけど、依存せず依存されず、その微妙な匙加減を間違えないようにするのが難しい。
 きっと、自分が今わの際に立った時、子育てが成功したのか、失敗したのか、答え合わせをするのだろう。

 そんな余計な事を考えていたせいか、遥香はボールを後ろにそらしてしまう。
 振りかえるとコロコロと私道の方へ転がって行ってしまっていた。私道へ出たボールは石に跳ね砂利で方向を変えたのが見える。
 草むらの中に入ったら蛇とか居そうだし取るのが大変だ。
 ボールを追いかけ、真哉に声をかけながら遥香は私道へ飛び出した。

「あ、ごめん、取ってくるね」

「ママのへたくそー」

 真哉の方へ振り返り苦笑いを浮かべた。

 突然、クラクションが鳴り響く。
 まさか、このタイミングで直哉の車が来ていたなんて、遥香は思いもしなかった!

「あっ!」

 ザッザリザリとタイヤが砂利を踏んだ。

 さほどスピードが出ていなかったおかげか、車はギリギリところで停まった。
 目の前、僅か5センチぐらいに迫るバンパーを見て、ドキドキと心臓がうるさく響く。
 遥香はハッと顔をあげた。

「柏木様、脅かせてしまってすみません。お怪我ございませんか?」

 いくらスピードが出ていなかったとはいえ、人がいきなり飛び出して来たのだから、どれだけ驚いたことだろう。

 慌てて運転席を覗き込んだ遥香の目に、痛みを堪えるように頭を抱える直哉が映る。
 昼間言っていた事故の後遺症の頭痛の症状だ。きっと、フラッシュバックを起こしたのかもしれない。

「柏木様、すみません。ドアを開けて頂けますか? せめて車のロックだけでも外してください!」

 直哉が声に反応して頭を抱えながらドアロックに手をかける。
 カチッ。
 ロックが外れる音が聞こえ、遥香は運転席のドアを開けた。

「柏木様!大丈夫ですか?」

「はる……か」


 次の瞬間、「ママー」と、声が聞こえ、足元に真哉が縋り付く。

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