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心のざわめきは、翌朝になってもおさまらなかった。
(もしかして、彼になにかあったのかしら?)
自分になにかあるのはいいけれど、王都にいる彼になにかあったらと思うと落ち着かない。
しかし、心のざわめきが違う原因であったことは、すぐに知れた。
姉のオードリーが尋ねてきたのだ。
しかも、たったひとりで。さらには、とんでもない姿になって。
彼女が身にまとうドレスは、破れたり裂けたりしているだけではなく、塵埃や得体の知れない汚れにまみれまくっている。それだけではない。ところどころ血らしき赤いシミもついている。
(ズタズタぼろぼろだわ)
彼女の姿を見れば、彼女の身になにがあったのかすぐにわかる。いえ。彼女の身だけではない。王族になにがあったのかを。
(ついに反乱が起こったのね)
美しく気高く誇り高い彼女のいまの姿は、わたしが嫁ぐ前に見たときよりすっかりかわりはててしまっている。
「やっとここまでやって来たわ」
彼女は、開口一番そう言った。
「こんにちは」とか「ひさしぶり」とか「元気そうね」とか「いいお天気ね」とか、いっさいの挨拶を省いて。
「ふたりきりにしてちょうだい。それから、わたしがここにいるということを、だれにも言わないで。いいわね?」
激しくも疲れを漂わせつつそう命じたのは、わたしにではなく侯爵家の使用人たちにだった。
使用人たちは、このただならぬ様子のお姉様からわたしへと視線を移した。
その彼らに無言で頷いた。
姉に従っておいた方がいい。
しばらくぶりに会う姉だからというわけではない。なにせ彼女は王太子妃なのだ。
みんなが居間から出て行くと、あらためて姉を見た。
あれだけ美しかった彼女の顔も汚れまくっているだけでなく、疲れがにじみまくっている。
彼女は、わたしが見守る中侍女が持ってきてくれたお茶をいっきに飲みほした。
「ミカ、あなたに王太子妃をやらせてあげる。わたしのかわりに王都に行きなさい。街道をウロウロしていれば、だれかが見つけて連れて行ってくれるわ。このドレスや装飾品をあげるから、いますぐここを出て街道を王都に向けて歩くのよ」
「ちょっ、お姉様。どういう意味なの? どうしてわたしが王太子妃に? お姉様のかわりをするの?」
意味がわからなさすぎる。
「やはり、あなたはバカな娘ね。空気を読みなさい。わたしの言葉の裏に気づきなさい」
彼女の甲高い怒鳴り声は、いつも静かな侯爵家の居間を震わせた。
使用人たちにも聞こえたに違いない。
「ええ、お姉様。わたしはバカですから、空気を読むことも言葉の裏に気づくことも出来ないのです」
姉は、昔からわたしにたいしてだけストレートな表現をした。いまのように。
しかし、彼女のいうことは間違ってはいない。そう信じている。
「バカなあなたでもわかるように詳しく説明している暇はないわ。事情は、だれかに王都に連れて行ってもらう最中にわかるはずよ。とにかく、たったいまからわたしがスタンフィールド侯爵夫人で、あなたが王太子妃。いいわね?」
有無を言わせぬ勢いである。
(なるほど。彼女は、王都から逃げてきたのね。わたしを身代わりにして反乱軍に差し出し、自分は生き残ろうという算段ね)
国王や王妃は、どうなっているのかしら。なにより、彼女の夫である王太子はどうなっているのかしら。
(というか、よくここまで逃げてこられたわね。いったいどうやって逃げてきたのかしら?)
いろいろな疑問が浮かんでくる。
(彼女に尋ねたところで、わたしみたいなバカには答えてはくれないわね)
ささいな疑問は置いておくとして、最大の疑問、というよりか問題がある。
「お姉様のかわりになって王太子妃のふりをしたとして、バカなわたしにお姉様の身代わりが務まるとは思えないわ」
問題は、これである。
双子とはいえ、外見のまったく違うわたしに美しい姉の身代わりが務まるはずはない。
反乱を起こした人たちは、当然逃げた彼女を捜している。姉は、その人たちにわたしを連れて行かせたいのだ。しかし、その人たちも姉の美しさは知っている。なにせ彼女は「美貌の令嬢」で有名だったから。
このわたしがそんな彼女のドレスや装飾品を身にまとったところで、バレるという以前にムリがありすぎる。反乱軍の人たちは、遠くから見ても偽者だとわかるだろう。
「大丈夫よ。連中が欲しいのは、わたしではなくて王太子妃、なのだから。あなたが『わたしが王太子妃よ』と主張すればいいだけのこと。連中にとっては、王太子妃の中身はどうでもいいの」
「はい?」
(バカはあなたよ、お姉様)
そう口から出そうになったことはいうまでもない。
(いずれにせよ、とりあえずわたしは彼女の身代わりになるしかない。すぐにバレるけれど。だけど、お姉様の言うように、万が一にも反乱軍がお姉様自身ではなく王太子妃という肩書を断罪したいのなら、わたしを王都に連行するはず。そうすれば、お姉様がここに残って侯爵夫人になれる。ということは、彼の長年の想いがかなうということね)
いまのわたしは、ありえないことにでもいいように解釈するしかない。
どうせ姉の思いどおりにしなければならないのなら、わたしが実現するようがんばればいい。
彼の想いがかなうのなら、わたしはどんな困難だって乗り越えてみせる。無茶なことだってやりとげてみせる。
わたしは夫に愛されなかったばかりか顧みられず、物理的に視線を向けてさえもらえなかった。しかし、ここでの日々はそこまで悪くはなかった。
彼が近くにいるというだけで、心のどこかに安心感があった。平穏だった。
なぜかわからないけれど、いまそのことに気がついた。自分の気持ちに素直になれた。
もしかすると、もう二度と彼に会えないからそう思えたのかもしれない。
とにかく、これはある意味チャンスである。
姉を助けるつもりはないけれど、彼のしあわせを思えばいい。
「お姉様、わかったわ」
凛と答えた。
そのつもりだったけれど、実際はそう答えた声は震えていた。
恐怖と不安によって。
(もしかして、彼になにかあったのかしら?)
自分になにかあるのはいいけれど、王都にいる彼になにかあったらと思うと落ち着かない。
しかし、心のざわめきが違う原因であったことは、すぐに知れた。
姉のオードリーが尋ねてきたのだ。
しかも、たったひとりで。さらには、とんでもない姿になって。
彼女が身にまとうドレスは、破れたり裂けたりしているだけではなく、塵埃や得体の知れない汚れにまみれまくっている。それだけではない。ところどころ血らしき赤いシミもついている。
(ズタズタぼろぼろだわ)
彼女の姿を見れば、彼女の身になにがあったのかすぐにわかる。いえ。彼女の身だけではない。王族になにがあったのかを。
(ついに反乱が起こったのね)
美しく気高く誇り高い彼女のいまの姿は、わたしが嫁ぐ前に見たときよりすっかりかわりはててしまっている。
「やっとここまでやって来たわ」
彼女は、開口一番そう言った。
「こんにちは」とか「ひさしぶり」とか「元気そうね」とか「いいお天気ね」とか、いっさいの挨拶を省いて。
「ふたりきりにしてちょうだい。それから、わたしがここにいるということを、だれにも言わないで。いいわね?」
激しくも疲れを漂わせつつそう命じたのは、わたしにではなく侯爵家の使用人たちにだった。
使用人たちは、このただならぬ様子のお姉様からわたしへと視線を移した。
その彼らに無言で頷いた。
姉に従っておいた方がいい。
しばらくぶりに会う姉だからというわけではない。なにせ彼女は王太子妃なのだ。
みんなが居間から出て行くと、あらためて姉を見た。
あれだけ美しかった彼女の顔も汚れまくっているだけでなく、疲れがにじみまくっている。
彼女は、わたしが見守る中侍女が持ってきてくれたお茶をいっきに飲みほした。
「ミカ、あなたに王太子妃をやらせてあげる。わたしのかわりに王都に行きなさい。街道をウロウロしていれば、だれかが見つけて連れて行ってくれるわ。このドレスや装飾品をあげるから、いますぐここを出て街道を王都に向けて歩くのよ」
「ちょっ、お姉様。どういう意味なの? どうしてわたしが王太子妃に? お姉様のかわりをするの?」
意味がわからなさすぎる。
「やはり、あなたはバカな娘ね。空気を読みなさい。わたしの言葉の裏に気づきなさい」
彼女の甲高い怒鳴り声は、いつも静かな侯爵家の居間を震わせた。
使用人たちにも聞こえたに違いない。
「ええ、お姉様。わたしはバカですから、空気を読むことも言葉の裏に気づくことも出来ないのです」
姉は、昔からわたしにたいしてだけストレートな表現をした。いまのように。
しかし、彼女のいうことは間違ってはいない。そう信じている。
「バカなあなたでもわかるように詳しく説明している暇はないわ。事情は、だれかに王都に連れて行ってもらう最中にわかるはずよ。とにかく、たったいまからわたしがスタンフィールド侯爵夫人で、あなたが王太子妃。いいわね?」
有無を言わせぬ勢いである。
(なるほど。彼女は、王都から逃げてきたのね。わたしを身代わりにして反乱軍に差し出し、自分は生き残ろうという算段ね)
国王や王妃は、どうなっているのかしら。なにより、彼女の夫である王太子はどうなっているのかしら。
(というか、よくここまで逃げてこられたわね。いったいどうやって逃げてきたのかしら?)
いろいろな疑問が浮かんでくる。
(彼女に尋ねたところで、わたしみたいなバカには答えてはくれないわね)
ささいな疑問は置いておくとして、最大の疑問、というよりか問題がある。
「お姉様のかわりになって王太子妃のふりをしたとして、バカなわたしにお姉様の身代わりが務まるとは思えないわ」
問題は、これである。
双子とはいえ、外見のまったく違うわたしに美しい姉の身代わりが務まるはずはない。
反乱を起こした人たちは、当然逃げた彼女を捜している。姉は、その人たちにわたしを連れて行かせたいのだ。しかし、その人たちも姉の美しさは知っている。なにせ彼女は「美貌の令嬢」で有名だったから。
このわたしがそんな彼女のドレスや装飾品を身にまとったところで、バレるという以前にムリがありすぎる。反乱軍の人たちは、遠くから見ても偽者だとわかるだろう。
「大丈夫よ。連中が欲しいのは、わたしではなくて王太子妃、なのだから。あなたが『わたしが王太子妃よ』と主張すればいいだけのこと。連中にとっては、王太子妃の中身はどうでもいいの」
「はい?」
(バカはあなたよ、お姉様)
そう口から出そうになったことはいうまでもない。
(いずれにせよ、とりあえずわたしは彼女の身代わりになるしかない。すぐにバレるけれど。だけど、お姉様の言うように、万が一にも反乱軍がお姉様自身ではなく王太子妃という肩書を断罪したいのなら、わたしを王都に連行するはず。そうすれば、お姉様がここに残って侯爵夫人になれる。ということは、彼の長年の想いがかなうということね)
いまのわたしは、ありえないことにでもいいように解釈するしかない。
どうせ姉の思いどおりにしなければならないのなら、わたしが実現するようがんばればいい。
彼の想いがかなうのなら、わたしはどんな困難だって乗り越えてみせる。無茶なことだってやりとげてみせる。
わたしは夫に愛されなかったばかりか顧みられず、物理的に視線を向けてさえもらえなかった。しかし、ここでの日々はそこまで悪くはなかった。
彼が近くにいるというだけで、心のどこかに安心感があった。平穏だった。
なぜかわからないけれど、いまそのことに気がついた。自分の気持ちに素直になれた。
もしかすると、もう二度と彼に会えないからそう思えたのかもしれない。
とにかく、これはある意味チャンスである。
姉を助けるつもりはないけれど、彼のしあわせを思えばいい。
「お姉様、わかったわ」
凛と答えた。
そのつもりだったけれど、実際はそう答えた声は震えていた。
恐怖と不安によって。
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