上 下
348 / 697
番外編・処罰の後

31 処罰の後(20-①)

しおりを挟む
 マーサに連れて行かれたのは、執務室より向こうの奥まった部屋だった。
 扉と壁の位置から広い部屋なのがわかる。
 
 そういえば、この部屋には入ったことがないな、とエミリーは思った。
 人手が足りなくなる以前から鍵が掛けられていて、入ることができなかったのだ。デミオンもエミリーやアンジュがこの部屋へ近づくのを嫌がっていたので自然と近づかない様になっていた。

 マーサが持っていた鍵で扉を開けて中へ入る。部屋の中は壁一面に男女の肖像画が並んでいた。

「これは…」

 並べられた絵に圧倒されていたエミリーは、その絵の中の共通点に気がついた。
 女性が豪華なルビーの首飾りをつけているのだ。

「この首飾り…。この前、お義姉様がつけていた…」

「その首飾りはキャンベル侯爵家の家宝です。歴代の侯爵夫人が受け継いできました」

 その首飾りをデミオンが売ろうとしていた、とは言わない。
 結局阻止されたことであり、エミリーが親の悪事をすべて知る必要はないのだ。
 エミリーはジェーンがデミオンに鞭で打たれたことは知っていても、その理由は知らなかった。それを止めようとしたアリシアが打たれたことも知らない。
 もし知っていたら、その重大さがわからないエミリーはどこかで気軽に口にしていたかもしれない。
 デミオンは学のないエミリーのその危うさを十分に理解していた。

「歴代の侯爵夫人?それじゃあこの絵は…」

「歴代の侯爵夫妻の肖像画です。こちらの一番左上の方々が初代の侯爵夫妻。そこから順番に続いています」

 絵は一面の壁だけでは足りずに隣の壁にも続いている。
 肖像画の数を見るだけでも、侯爵家が長く続いてきた名門の家系だとわかった。

 一番最後は綺麗な女性の絵だった。他の肖像画は夫婦なのに、この絵だけは女性しか描かれていない。
 エミリーは、デミオンがエミリーやアンジュがこの部屋に近づくのを嫌がった理由がわかった気がした。

「これは、お義姉様のお母様ね…?」

「そうです。前侯爵夫人のサンドラ様。ジェーンお嬢様のお母様です」

 エミリーはこの首飾りをアンジュがしているところを見たことがなかった。
 もしアンジュが持っていたら、侯爵夫人の証であるこの首飾りを自慢げに見せびらかしていたはずだ。
 首飾りはアンジュに与えられず、サンドラからジェーンへ受け継がれた。
 歴代侯爵夫妻の肖像画にデミオンの姿はない。

「アンジュ様とエミリー様がいらっしゃる前に、デミオン様はこの絵を捨てようとなさいました。家令の機転ですぐにルトビア公爵様が呼ばれ、デミオン様は公爵様と前公爵夫人に強い叱責を受けました。それ以来この部屋は鍵が掛けられ、家令の許可がなければ開けることができません。デミオン様もこの絵がアンジュ様の目に触れることを恐れて近づこうとはされませんでした」

「お父様は、そんな酷いことを…」

 以前のエミリーならそれが酷いことだとは思わなかった。大嫌いなジェーンの母親の絵があるなんて、きっと我慢できずに酷いことをしていたはずだ。そしてアンジュも、この絵の存在を知っていたらきっとズタズタに切り裂いていただろう。

「私たちから守ってくれてありがとう」

 エミリーがそう言うと、マーサは少し困ったような顔で微笑んだ。

 エミリーは並べられた沢山の絵を眺める。
 キャンベル侯爵家はこうして代々続いてきた。サンドラの絵の隣に、いつかジェーンと夫の絵が並べられる。
 それは、ジェーンとジョッシュの絵になるはずだった。いや、ジェーンもジョッシュを入れずに1人だけで描かれたかもしれない。
 それを見て、ジョッシュやエミリーはどう感じたのだろうか…。

「お義姉様はこの絵を?」

「デミオン様に知られたら大変なことになりますので、あまりご覧になることはありませんでした。ですが、学園の入学前や卒業時に、この部屋へ来てお母様へ報告をされていたようです」

 ジェーンの母、サンドラは美しく優しそうな人だった。
 薄い金色の髪に茶色の瞳をしている。
 ルトビア公爵家の色を引き継いだジェーンは栗色の髪に緑色の目だ。だけど顔つきがどことなくサンドラに似ている。
 絵の中のサンドラは美しいだけではなく、並べられた他の侯爵夫人と同様に気品と威厳を感じさせた。


 エミリーは、アンジュがあの娼婦の様なドレスを好んだ理由がわかる気がした。
 侯爵夫人になったアンジュは、愛する人と正式に結ばれて意気揚々と社交界へ出たはずだ。だけど社交界でキャンベル侯爵夫人といえばサンドラだった。
 アンジュはサンドラが生きている時からの愛人として知られている。アンジュが貴婦人たちに温かく受け入れられることはなかった。

 どこへ行ってもサンドラと比べられる。
「サンドラ様ならもっと…」「サンドラ様ならきっと…」という人たちに、自分の存在を主張して認めさせたかったのだ。
 そして目立つ色のドレスを、人目を引く大胆に胸や足を見せるドレスを着るようになっていった。
 それが余計に評価を下げていると気づかずに。

「どうしてこの絵を見せてくれたの?」

 エミリーが振り返ると、マーサは穏やかな顔でエミリーを見ていた。
 こんな優しい目を向けてくれた大人を、エミリーは他に知らない。

「今のエミリー様ならこの絵をご覧になっても大丈夫だと思ったからです。元々侯爵家の方は慶事や弔事の際にこの部屋へ来て歴代の侯爵夫妻に報告をなさっていました」

「慶事や弔事の時に…?」

「今日は侯爵令嬢の結婚式です。慶事でしょう?」

「っ!!」

 侯爵家に残った人たちが今日の結婚式を祝っているとは思わない。
 苦々しく思いながらも、役目として支度をしてくれる。
 そう、思っていた。

「それにエミリー様は侯爵家のご令嬢です。先祖の方々を知らないまま家を出るのは如何なものかと思いましたので」

 マーサは口に出さないけれど、侯爵家の中に今日の結婚式を祝う者も、喜ぶ者もいない。
 だけどエミリーがいなくなることを寂しく感じる者はいる。
 マーサはその1人だ。

「ありがとう……っ」

 気がつけば涙が溢れていた。
 マーサがそっと拭いてくれる。「式の前に目が腫れてしまいますよ」とお小言をもらうのも嬉しい。

 エミリーは歴代の侯爵夫妻をもう一度じっくり見てから一礼して部屋を出た。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

👨一人声劇台本【日替わり彼氏シリーズ】(全7作)

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
月曜~日曜まで曜日のイメージから一話1分半ほどで読める短いシチュエーション台本を書いてみました。 あなたが付き合うならどんな男性がお好みですか? 月曜:人懐っこい 火曜:積極的 水曜:年上 木曜:優しい 金曜:俺様 土曜:年下、可愛い、あざとい 日曜:セクシー ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

物語のようにはいかない

わらびもち
恋愛
 転生したら「お前を愛することはない」と夫に向かって言ってしまった『妻』だった。  そう、言われる方ではなく『言う』方。  しかも言ってしまってから一年は経過している。  そして案の定、夫婦関係はもうキンキンに冷え切っていた。  え? これ、どうやって関係を修復したらいいの?  いや、そもそも修復可能なの?   発言直後ならまだしも、一年も経っているのに今更仲直りとか無理じゃない?  せめて失言『前』に転生していればよかったのに!  自分が言われた側なら、初夜でこんな阿呆な事を言う相手と夫婦関係を続けるなど無理だ。諦めて夫に離婚を申し出たのだが、彼は婚姻継続を望んだ。  夫が望むならと婚姻継続を受け入れたレイチェル。これから少しずつでも仲を改善出来たらいいなと希望を持つのだが、現実はそう上手くいかなかった……。

高嶺の花

鳫葉あん
BL
若く端正な恋人に童貞処女だとバレたくなかった受けが自己開発して経験ありますアピして面倒なことになった話。または年上の恋人に切り捨てられそうになった青年がキレて調教した話。

【完結】結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが

Rohdea
恋愛
結婚式の当日、花婿となる人は式には来ませんでした─── 伯爵家の次女のセアラは、結婚式を控えて幸せな気持ちで過ごしていた。 しかし結婚式当日、夫になるはずの婚約者マイルズは式には現れず、 さらに同時にセアラの二歳年上の姉、シビルも行方知れずに。 どうやら、二人は駆け落ちをしたらしい。 そんな婚約者と姉の二人に裏切られ惨めに捨てられたセアラの前に現れたのは、 シビルの婚約者で、冷酷だの薄情だのと聞かされていた侯爵令息ジョエル。 身勝手に消えた姉の代わりとして、 セアラはジョエルと新たに婚約を結ぶことになってしまう。 そして一方、駆け落ちしたというマイルズとシビル。 二人の思惑は───……

【完結】11私は愛されていなかったの?

華蓮
恋愛
アリシアはアルキロードの家に嫁ぐ予定だったけど、ある会話を聞いて、アルキロードを支える自信がなくなった。

夫と妹に裏切られて全てを失った私は、辺境地に住む優しい彼に出逢い、沢山の愛を貰いながら居場所を取り戻す

夏目萌
恋愛
レノアール地方にある海を隔てた二つの大国、ルビナとセネルは昔から敵対国家として存在していたけれど、この度、セネルの方から各国の繁栄の為に和平条約を結びたいと申し出があった。 それというのも、セネルの世継ぎであるシューベルトがルビナの第二王女、リリナに一目惚れした事がきっかけだった。 しかしリリナは母親に溺愛されている事、シューベルトは女好きのクズ王子と噂されている事から嫁がせたくない王妃は義理の娘で第一王女のエリスに嫁ぐよう命令する。 リリナには好きな時に会えるという条件付きで結婚に応じたシューベルトは当然エリスに見向きもせず、エリスは味方の居ない敵国で孤独な結婚生活を送る事になってしまう。 そして、結婚生活から半年程経ったある日、シューベルトとリリナが話をしている場に偶然居合わせ、実はこの結婚が自分を陥れるものだったと知ってしまい、殺されかける。 何とか逃げる事に成功したエリスはひたすら逃げ続け、力尽きて森の中で生き倒れているところを一人の男に助けられた。 その男――ギルバートとの出逢いがエリスの運命を大きく変え、全てを奪われたエリスの幸せを取り戻す為に全面協力を誓うのだけど、そんなギルバートには誰にも言えない秘密があった。 果たして、その秘密とは? そして、エリスとの出逢いは偶然だったのか、それとも……。 これは全てを奪われた姫が辺境地に住む謎の男に溺愛されながら自分を陥れた者たちに復讐をして居場所を取り戻す、成り上がりラブストーリー。 ※ ファンタジーは苦手分野なので練習で書いてます。設定等受け入れられない場合はすみません。 ※他サイト様にも掲載中。

あなたへの初恋は胸に秘めます…だから、これ以上嫌いにならないで欲しいのです──。

櫻坂 真紀
BL
幼い頃は、天使の様に可愛らしかった俺。 でも成長した今の俺に、その面影はない。 そのせいで、初恋の人にあの時の俺だと分かって貰えず……それどころか、彼は他の男を傍に置き……? あなたへの初恋は、この胸に秘めます。 だから、これ以上嫌いにならないで欲しいのです──。 ※このお話はタグにもあるように、攻め以外との行為があります。それが苦手な方はご注意下さい(その回には!を付けてあります)。 ※24話で本編完結しました(※が二人のR18回です)。 ※番外編として、メインCP以外(金子さんと東さん)の話があり、こちらは13話完結です。R18回には※が付いてます。

男子校的教師と生徒の恋愛事情

蒼月さわ
BL
男子校教師副島一成は、入学して一ヶ月しか経っていない教え子の桐枝伝馬から告白される。 それに対する返答はストレートパンチだった…… 男子校を舞台に、個性的な教師や生徒たちがわちゃわちゃと入り乱れ、毎日が賑やかに展開する。 その中で、告白し告白された伝馬と一成はどうなっていくのか。 体育系の猪突猛進な生徒×男前な三白眼の教師。

処理中です...