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3章

96 夜会へ

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 クラーク伯爵の邸へ向けて馬車が走っていく。
 アリシアの隣に座ったレイヴンは、上機嫌でアリシアの手を握っている。

 出発する前にひと悶着あった。
 美しく着飾ったアリシアに見惚れていたレイヴンが、「行きたくない」と言い出したのだ。


「レイヴン様?」

「こんな美しいアリシアを見たら、男は絶対アリシアを好きになる。誰にも見せたくない」

 そう言ってアリシアの肩口に顔を埋めたレイヴンは「イヤイヤ」と首を振る。
 だけどレイヴンは、紅が乱れるからと唇に口づけをしない。
 ドレスが皴になるからぎゅっと抱き締めることもない。
 この夜会に出ることの重要性を知っているレイヴンが、本当に出席を取りやめることなどないのだ。

 以前のアリシアであれば、本当に欠席するつもりもないのに何故そんな意味のないことを言うのだろうと、理解できなかったはずだ。
 だけど今は少しわかる気がしている。

 レイヴンを想っているキャロルが、レイヴンに会いに来ていた。
 キャロルの一方的な想いだと知っているのに、アリシアはもやもやした嫌な気持ちを止めることが出来なかった。
 あの時の気持ちをまだ鮮明に覚えているアリシアは、好意を持つ者を近づけたくないというレイヴンの気持ちを想像できるのだ。

「誰かが私を好きになったとしても、私はレイヴン様のものですわ」

 レイヴンの背を宥める様に撫でながらアリシアがそう言うと、レイヴンが弾かれた様に顔を上げた。
 レイヴンは何度もそう言ってきたけれど、アリシアが自身をレイヴンのものだと口にするのは初めてだ。

「レイヴン様?」

 顔を上げたまま動きを止めたレイヴンの顔をアリシアが窺う。

 そんなことを言われたら、本当にこのままどこへも行かずに寝室へ閉じ込めたい。
 夜の時間を一緒に過ごすのは久しぶりなのだ。
 だけど今日はどうしてもそうする訳にはいかない。

 レイヴンは低く唸った後、アリシアの額に額を合わせた。

「会場ではずっと僕の傍にいて。絶対1人になっちゃ駄目だよ」

「…わかりましたわ」

 アリシアが答えると、レイヴンは渋々体を離した。
 唇に口づけることはできないので頬に口づける。

 馬車までの道は手を繋いで歩いた。
 レイヴンはその時からずっと幸せそうな顔をしている。



 伯爵邸に着き、2人が広間へ入ると一瞬の静寂の後ざわめきが起きた。
 レイヴンはアリシアへ集まる男性の視線にすぐに気がつく。
 アリシアは自分の容姿に無頓着だが、贔屓目でなくとも美しい。幼い頃からアリシアに想いを寄せいている男は大勢いたのだ。

 「レイヴン様?」

 内心苛立つレイヴンにアリシアが声を掛ける。
 馬車を降りた時から2人は完璧な王太子と王太子妃の顔になっているが、アリシアは随分とレイヴンの表情が読めるようになってきた。
 レイヴンはそれを嬉しく思うけれど、アリシアに心配を掛けたくはない。

 小声で「大丈夫だよ」と囁くと、蕩けるような笑顔を見せた。公の場であっても夫婦なのだから、これくらいは許容範囲だ。
 アリシアへ向けられたレイヴンの笑顔に、黄色い悲鳴と息を飲む音が聞こえる。 
 レイヴンに応えるアリシアも、以前に比べて随分と視線が柔らかく、優しくなっている。

 その様子を見ていた者たちは、最近商人を通じて入ってきた噂が正しかったのだと頷いた。
 表面的な夫婦だったはずの2人は、いつの間にか想い合うようになっているのだ。

 勿論その光景を苦々しく見ている者たちもいる。
 娘をレイヴンの側妃にすることを諦めていない者たちだ。
 ただ彼らは同じく娘を側妃にしようと目論んでいた者たちが、少しずつ潰されていることに気がついている。
 今は大人しくしているべきだと、眼を逸らした。


 レイヴンとアリシアが挨拶を受けながら広間を進んでいくと、すぐに主催者であるクラーク伯爵が夫人を連れて現れた。
 2人を囲んでいた者たちが伯爵夫妻の為に道を空ける。

 レイヴンとアリシアは笑顔で伯爵夫妻から歓迎の挨拶を受けた。
 クラーク伯爵はこれまで目立った働きのある人物ではない。
 だけどこれからはレイヴンの望みを叶える為に、重要な役割を担ってもらわなければならない。

 レイヴンが緊張した面持ちの伯爵夫妻とにこやかに言葉を交わしていると、それだけで参加者たちが伯爵へ向ける眼差しが変っていく。
 これでここへ来た一番の目的は果たしたことになる。
 夜会には他にも法案の作成に携わっている人物が出席しているので、彼らにも声を掛けなければならない。
 伯爵から数人の縁戚を紹介された後、レイヴンはアリシアを連れて伯爵夫妻の傍を離れた。



 目当ての人物に一通り声を掛け終えると、レイヴンはアリシアをダンスに誘った。
 見つめ合って踊る2人の優美な姿に、居合わせた者たちは感嘆の溜息を漏らす。レイヴンにとっては至福の時だ。

 周囲の注目を集めたまま、2人は数曲踊り続けた。
 
 


 
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