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両片想い

溢れそうな恋心

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 四月に入り、新入社員を迎えた週末。
 私は青山付近にいた。この日はマツエク・アイブロウ、ネイル、美容院とサロンのはしごデー。
 
 家を出る前に簡単に食事をしたけど、さすがに三軒もサロンが続くと疲れたしお腹が空いた。

(どうしよう。どこかで食べて帰ろうかな。それとも…)

 時刻は午後五時を過ぎた頃。朝兼昼食を取って以降何も食べていなかったのでお腹が空いた。
 家に帰るには少し早い時間だけどディナータイムには少し時間が早い。

 もう数十分ほど待てば開くところもあるだろうけど、このあたりの飲食店事情は詳しくない。

(検索先生に聞いてみよう)

 私は邪魔にならないよう道の端に寄って携帯を取り出す。ふと店のガラス越しに映った自分は綺麗に髪を整えられてマツエクも新しく変わった一番綺麗な状態だった。
 まだ少し肌寒いけど先日購入したばかりの春らしい小花柄のふわふわのワンピース。一目惚れして秒でポチった。足元はショートブーツを合わせてデニムのジャケットを羽織っている。
 
(この状態で千秋先生に会えたら最高なのになぁ)

 なんて、思いつつすぐさまもう一人の私からツッコミが入った。

(会っても何もできないでしょ?むしろ業務以外の会話できるの?)

 ケケケケケと悪魔な私にお気楽な私が(いざとなったら大丈夫よ~)とのんびり返している。

「(絶対無理)」

 悪魔の私と心が一致して苦笑していると隣の建物から美男美女が出てきて息を呑んだ。

(ち、千秋先生?!)

 男性はいつもの眼鏡をかけていなかったものの、間違いなく千秋先生だった。噂をすればなんとやら、というものだ。
 隣の女性は嬉しそうに千秋先生の腕を組んでいる。

(あ、あれって彼女かな?隣の建物って…)

 私はスマホで検索していたページを削除して今いる場所から隣の建物を調べた。
 なんか豪奢な建物だな、と思ったら外資系のホテルだった。
 
(ホ、ホテル…?!)

 地上はカフェや駅に直結しているせいかホテルらしくは見えない。

 私は気づかれないようにこそこそと少し離れた場所に立つ電信柱の影に隠れた。彼らはホテルの前で立ち止まり何やら話をしている。
 
 (…綺麗な人だったな)

 私は顔を引っ込めて小さく息を吐き出した。
 一瞬だけチラッと見えた女性の横顔は大人っぽくて千秋先生と並べばとてもお似合いだった。

(…分かってたことなのに)

 千秋先生のプライベートのことは知らない。果敢に立ち向かった同僚たちが撃沈した理由も憶測ではあるけど既に決まった人がいるからなら理由がつく。分かっていても見て見ぬふりをしていた。それを聞いてしまうと顔を合わせた時どうすればいいか分からなかったから。

「福原さん」

 俯いて携帯を覗くふりしてショートブーツの爪先を眺めていると茶色の革靴が目に入った。続けて名前を呼ばれて顔を上げる。

「ち、千秋先生?!」
「しっかりバレてますよ」
「えぇ?!」
「その前に福原さんが歩いている姿をあの中から見てましたし」

 千秋先生は可笑しそうに笑っている。
 プライベートモードのせいかいつもより雰囲気が柔らかい。

(デニム、似合う…!ってか足長い!)

「あ、あの。彼女さんはいいんですか?」
「かの?あぁ。彼女は恋人じゃないよ。それに今タクシーに乗せたからいい」

 彼女じゃない…っ!

 がっくりと落ち込んだ気分がパァと華やいだ。内心舞い上がっていると今度はもっと恐ろしいことが起きる。

「この後予定ある?」
「え?」
「よかったら食事でもどうかな?」

 悪魔の私が「ほらみろー」と呆れた。呑気な私は「よかったねぇ」と小さく拍手をしている。

 「よ、予定はありません!大丈夫です」
 「そう?じゃあ」

 あぁああああああ、どうしよう、お母さん。
 果穂はもうすぐ死ぬかもしれません。

 
 
 千秋先生が連れてきてくれた場所は青山にある隠れ家のようなお店だった。
 看板も控えめで店は地下にあるせいで知らない人なら素通りしてしまうような場所だ。

 店はまだ開店前だったようだけど、千秋先生の知り合いらしく「奥へどうぞ」と通してくれた。
 四人掛けのテーブル席が2席と二人掛けのテーブル席が2つ。
 奥に個室がひとつ。カウンターが7席とこじんまりしたお店だった。

 「飲めるならどうぞ」
 
 千秋先生はテーブルにメニューを広げてくれた。文字は手書きらしく筆で書かれた文字が時々掠れていてそれがまた趣深かった。
 見たところ普通の居酒屋のようだけど、食材へのこだわりが強い店主らしくとても美味しいんだと千秋先生が説明してくれた。

 「あ、じゃあ生ビールを」
 「食事メニューは?夕食には少し早い?」
 「あ、いえ。実は11時前に食べて以降何も食べていなかったのでペコペコで…」

 その言葉を肯定するようにお腹がキュゥゥゥと鳴る。
 恥ずかしくて俯けば控えめな笑い声が聞こえてきた。

 「ごめんごめん。あまりにもさりげなく返事するからかわいいなって」
 
 か、かわ…っ!?

 驚いてフリーズしてしまった私に千秋先生は顔を逸らせた。肩が揺れているところを見ると遊ばれたらしい。

「ひ、ひどいです!」
「ごめんって」
「思ってないですよね?」
「思ってるよ」

 これ以上ないぐらい緊張しているのに冒頭から千秋先生の笑顔が炸裂しすぎて心臓がもたない。
 過呼吸というか酸欠になりそう。このまま息が止まってしまってもいいかも。そしたら人工呼吸してって黙れ私!

「じゃあ好きなもの頼んでいっぱい食べて。ここの料理美味しいから」

 ね、と言われて小さく頷いた。

(ね、って言った。ね、って!しかもちょっと首傾げた!くびっ!)

 表面上はなんとか取り繕っているけど内心は歓喜の嵐。花吹雪がビュンビュン舞っている。バレリーナのようにクルクル踊りたくなった。

 彼女がいなかっただけでも朗報なのに二人きりでしかもプライベートで食事ができるなんて私どんな徳を積んだのかな。

 は!もしかして。これは異動になってずっと頑張ってきた私への神様からのご褒美なのでは?

 私は切ってもらったばかりの前髪を指で整えながらメニューを見るふりしてにやけそうになる口元を必死で誤魔化した。

 
 
 「あの、先ほどの女性を送っていかなくてよかったんですか?」

 生ビールで乾杯後次から次にテーブルの上に並べられた料理を食べながら「今日何してたの?」から始まった会話。
 そのままの流れでアルコールの勢いに任せて「えいや!」と質問してみた。
 
 さすがに「どんな関係ですか?」とは聞けない。彼女じゃなくとも太刀打ちできそうにない相手がいるのなら私は今まで通り業務に支障がないように影から千秋先生をこっそりと想っているだけで十分だった。
 
 「うん。タクシーが運んでくれるから」
 「えーっと?その」
 「どんな関係か気になる?」

 千秋先生に訊ねられて素直に頷いた。嘘は吐きたくなかったし誤魔化してもバレそうな気がした。

 「き、綺麗な人だったのでてっきり」
 「うーん。見合い相手で元職場の同期。彼女の実家も総合病院を経営されているけど今はどこも病院の経営は苦しい。それで今度うちと合併するだのしないだの話をしていて」

 み、見合い相手?しかも病院を合併?!?!

「え、い、今のお仕事はどうするんですか?」
「もちろん続けるよ。あと何か誤解しているかもしれないけど、俺は病院を継ぐ気はないし彼女と結婚するつもりもない。ただ、元同期だから無碍にできなくてね」
「あ、なるほど」
「安心した?」
「は、はい。…っ、そ、その!千秋先生に辞められると困るので…っ」

 俯いてスカートの裾をキュッと握りしめる。
 よかった、という想いと同時についこぼれてしまった本音を慌てて誤魔化した。

「…それは……まあいいや。グラス中身ないけど何か飲む?」
「あ、はい!いただきます。同じビールで」
「カクテルとか飲まないの?」
「飲みますよ。でもビールも好きです。あ。やっぱり梅酒にします。南高梅本格梅酒果実入りってなかなか美味しそうですね。千秋先生は何飲みます?」

 あまりの勢いのせいか千秋先生が呆気に取られていた気がしたけど、私はその場をうまくやり過ごせたせいかそのことに突っ込まなかった。これ以上言い訳をすると色々と墓穴を掘りそうだ。余計なことは言わない。これに限る。

 
 二回目の乾杯をしてあたりさわりない事を話す。そういえばさっき聞き逃してしまったけど千秋先生のご実家は病院経営をしていると言ってたっけ。

「千秋先生は医者家系なんですか?」
「うん。代々外科医の家系なんだ」
「え?外科医?」
「そう。父も祖父も、そのまた祖父も外科医。姉がいるけど姉も外科医。姉の旦那は麻酔科医だけど」

 ちなみにお母様は元看護師らしい。

「…すごいですね」
「そう?そんな家系だから俺ははみ出し者扱いされている」

 千秋先生が自虐的に笑った。お父様は千秋先生に病院を継がせたいらしいけど千秋先生にその気はないと言う。
 
「小さい時から俺はずっと父と同じ医者になると思って生きていた。周囲からもそう見られていたしそう期待もされていた。でもある日突然、「病気はなった後に治療するのではなく、予防しないといけないのでは?」という疑問が立ちはだかってね。外科医の道に違和感を感じ始めた。別に外科医がダメというわけじゃない。ただこれはあくまで自分の考えだよ。当然外科医として医療現場にたつはずの俺が父に黙って精神科医として医療現場に立った時はとても憤慨されたね。でも俺は自分の納得する医療の道を歩みたいから後悔はない。まぁ、父とは相変わらず口も聞かないし関係は悪いままだけどね」

 千秋先生は肩を竦める。

「だからこれからもずっと産業医をしていくつもりだよ。働き方や普段の習慣を変えないと根本的に病気は減らない。父は臨床医としてのプライドがあるしメスを握らない産業医のことを馬鹿にしているけどそもそも手術なんてしない方がいいんだ。がんも脳卒中もそうだけど、あらゆる病気は普段の食生活や習慣から生まれる。そこを改善しないと治るものも治らない」

 千秋先生の言葉はいつも説得力がある。私は彼の話に頷きながら次第に聞き入っていた。途中で我に返った千秋先生に「止めてよ」と言われたけど、目を輝かせて話している千秋先生を止めることなど私にはできなかったから。

「もっと聞きたいです」
「つまらないでしょう?」
「全然!とても勉強になりますし」
「真面目だねえ」

 結局アルコールも回り饒舌になった千秋先生のミニ講演会はその後二時間ほど続いた。
 初めこそご自身の業務や立場の事を話されていたけど、後半はなぜ産業医になったか、産業医になって何をしたいのか非常に濃密な内容だった。その話しを通じて「千秋柾哉」という人柄を改めて知れた気がする。

 
「もう九時か」
「早いですね」
「オープンより早く店に入って今でしょう?ちょっと話しすぎたね」
「そんな事ないです!」

苦笑する千秋先生にと全否定する。

この数時間のおかげでたくさんの顔が見れた。色んな表情を見れて嬉しいしできればもっと見ていたいし話は聞いていたい。彼のことが知りたかった。

 でもこれ以上引き伸ばしたら千秋先生にも迷惑になるよね。

 続く言葉を探していると千秋先生がふと力を抜く気配がした。

「福原さんが聞き上手なせいで色々と話しすぎたよ」
「そんな。でも聞けてよかったです。千秋先生の野望が大きくてドキドキしました」
「野望って。無謀だと思わないの?」
「思わないですよ」

 千秋先生が産業医を目指すきっかけになったのはお父様の様子を見て医療現場に立つ人こそきっちりとケアをしないといけないと考えたことだった。
 
 患者の命を預かる医療現場に立つ医師は休日なんてあってないようなもの。 千秋先生のお父様も千秋先生がまだ幼い頃、家族と旅行の日も呼び出されたり、一週間病院に泊まりっぱなしのことも度々あったらしい。

 24時間365日気が休まる日が無い状況はいつか働きすぎで死んでしまうのではないか、と幼い千秋先生に漠然とした不安を抱かせたようだった。
 
 本格的に産業医に興味を持ったのは高校生の頃。実は結構早い段階で精神科を専門にすることも決めていたんだと悪戯を計画する子どものように教えてくれた。

 しかし自分が学費を出すことや例え入学しても医学部に通いながらアルバイトをしながら生活費までを賄うことはできない。親の期待を裏切る勇気もなく、大学は望まれるままに入った。本当は他に行きたい大学があったと寂しそうに笑って。

 しかし考え方によっては“日本最高峰の大学の医学部卒業”という肩書きは権威力があることに気づいた。千秋先生はそれを利用し、医療業界にも働き方に対する考え方や新しい医師の在り方を作るんだという熱い想いを語ってくれた。

 その時の先生の顔がとてもイキイキとしており、決して「無謀な挑戦」には見えなかった。千秋先生なら本当に叶えてしまいそうだから。

「確かに時間はかかると思いますよ。でも」
「ありがとう。福原さんに言われると頑張れそうだよ」

 柔らかく微笑まれて酔いは冷めたはずなのにまたぶり返す。

 頬がカァと熱くなる。千秋先生の視線が真っ直ぐに突き刺さった。

 見られてる。

 そう思うと先生の顔を同じように見返せない。

「あ、あの」
「よかったらまた食事に誘ってもいい?」
 
 ……いま何を言われた?私の空耳?

 驚いていると千秋先生が「いや?」と首を傾げる。

「い、いやじゃないです!」
「本当?」
「ほ、本当です!」

 だって

 (先生のこと好きだから)

 喉の奥から迫り上がった感情を必死に飲み込む。千秋先生がどういう意味で誘ってくれたのかわからないから期待はしない。

 
 

 
 
 

 
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