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Name7:愛
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立花さんと話した後、僕は帰路につく。
碓氷さんのもとへ行こうかとも思ったが、既に面会時間の終了時刻が迫っていた。また明日訪ねようと思い、僕は日が沈みかけた街中をのんびりと歩いていた。
すると、見知った顔の少年が曲がり角から現れた。互いにぼんやりとしていたからか、突然人影が視界に入って驚く。お互い、顔を見合わせて固まる不思議な数秒があった。
「やぁ、数日ぶりだね」
僕と同じく学校帰りの矢代が、複雑そうな顔で返事をした。
「……そうだな」
矢代は、気まずそうに目を逸らして俯いた。何かあったのかと問おうとすれば、先に彼が口を開く。
「……この間は、ごめん」
巣に帰る烏の声にかき消されそうなくらい小さな声だった。
「別にいいよ。僕にも悪いとこはあったしね」
そう答えると、矢代は顔をあげて数度瞬きを繰り返す。あっさり許したのが予想外だったのか、丸い瞳は驚きの色に満ちていた。
「ね、少し話しようよ」
目を合わせてそう言えば、矢代は悩んだ様子ではあったがこくりと頷いた。ちょうど、近くに小さな公園があったはずだ。僕は彼とそこで話すことにした。
無言のまま歩いて数分。
公園の入り口にあった自販機で買った缶コーヒーを二つ手に、僕はベンチに座った。矢代は隣に座り、小さくため息を吐いた。
「ほら、君の分」
「……ありがと。優しいんだな、お前」
「気まぐれだよ。なんか、碓氷さんに似てて君も危なっかしいし」
「どこかだよ」
缶コーヒーを受け取りながらそう言えば、矢代は困ったようにはにかんだ。缶の温もりを両手で感じながら、彼はまた重い息を吐いた。
「なぁ、お前に聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
「あのさ、愛來の指にあった指輪……お前があげたの?」
矢代はどこか気恥ずかしそうな顔で問いかけてきた。
「そうだよ。結婚式をした時にね」
「け、結婚式!?」
ちょうど缶のプルタブに手をかけていた矢代は、危うく缶を落としそうになっていた。その顔は驚きと焦りに染まり、目は大きく見開かれていた。
「正式なものじゃないけどね。なんていうか、碓氷さんにウェディングドレスを着てもらうための式だったからそんな心配しなくても」
「し、心配なんか……」
からかうように笑えば、矢代は頬を赤くして缶に口をつけて思い切り傾ける。あまりにも分かりやすい反応に、腹を抱えて笑いそうになった。
「……お前、やること大胆だな」
未だ頬を染めたまま、矢代はぽつりと言った。
「そうかな?」
「自覚ないとことかさらにムカつく」
「ま、僕は自分じゃ理解できないことがたくさんあるからね」
そう言ってコーヒーを飲む。無糖のはずなのに、それは少しだけ甘く感じた。
矢代はしばらく僕を見つめて複雑そうな顔をする。何度か目を泳がせると、一度深呼吸をして口を開いた。
「……悪かったな、いろいろ酷いこと言っちゃって」
缶を握りしめて、矢代が囁くように言う。
「無神経だったなと思う。誰だって、触れられたくない話はあるのにな」
「気にしなくていいって。君も意外と気にするタイプなんだね」
「そ、そりゃ気にするだろ……。あの時のお前、結構傷ついたような顔してたし」
そう言われて思い返す。
確かに、名前がないことを話題に出された時は動揺した。でも、この話題は慣れているからそう気にすることでもない。けれど、無意識に顔に出ていたのかもしれない。
「ふーん、あんまり気にしてたつもりはないけど。君って人の顔よく見てるんだね」
そういうところも、碓氷さんにそっくりだ。それを言ってやれば、矢代はどこか嬉しそうに目を細めた。
「……もう一つ聞いてもいいか?」
「なんでもどうぞ」
「じゃあ遠慮なく。あのさ、愛來にはちゃんと思いを伝えたのか?」
全く躊躇することなく切り出された質問に、僕は口を噤んだ。彼女にはまだ、何も話していない。それどころか、まだ話す気すらなかった。
「伝えてないよ」
「何でだよ」
「なんというか、よく分かんないんだ。彼女のことが好きなことには間違いないと思う。でも、なんかモヤッとするというか。たまに、本当に彼女が好きなのかなって考えちゃって。人を愛するってどういうことか分からない僕に、彼女を好きになる権利があるのかなとか思ったりするんだ」
矢代の問いに答えれば、彼は心底呆れたよう息を吐く。コーヒーをぐいっと飲み干して、彼は僕を冷めた目で一瞥した。
「お前、馬鹿だろ」
「いきなり酷いね」
「お前はさ、深く考えすぎなんじゃねぇの?だいたい、好きなら好きでそれでいいだろ。男なのに、意外とこういうことに関して繊細なんだな」
そう言って、彼は馬鹿にしたように鼻で笑った。その言葉は、立花さんが言ったことと似ていた。
「うるさいなぁ。こういうの初めてなんだ。仕方ないでしょ」
「……まぁ、育った環境的にもきついもんな。普通はそうなんだよ。誰が誰を好きになろうが、誰も文句は言わないさ。ま、他人に迷惑をかけない場合に限るけどな」
既に日の落ちてしまった空の向こうを、矢代は遠い目で見つめた。きっと、彼が脳裏に浮かべているのは碓氷さんのことだろう。いつだって矢代は、彼女のことを考えて行動してきただろうから。
碓氷さんのもとへ行こうかとも思ったが、既に面会時間の終了時刻が迫っていた。また明日訪ねようと思い、僕は日が沈みかけた街中をのんびりと歩いていた。
すると、見知った顔の少年が曲がり角から現れた。互いにぼんやりとしていたからか、突然人影が視界に入って驚く。お互い、顔を見合わせて固まる不思議な数秒があった。
「やぁ、数日ぶりだね」
僕と同じく学校帰りの矢代が、複雑そうな顔で返事をした。
「……そうだな」
矢代は、気まずそうに目を逸らして俯いた。何かあったのかと問おうとすれば、先に彼が口を開く。
「……この間は、ごめん」
巣に帰る烏の声にかき消されそうなくらい小さな声だった。
「別にいいよ。僕にも悪いとこはあったしね」
そう答えると、矢代は顔をあげて数度瞬きを繰り返す。あっさり許したのが予想外だったのか、丸い瞳は驚きの色に満ちていた。
「ね、少し話しようよ」
目を合わせてそう言えば、矢代は悩んだ様子ではあったがこくりと頷いた。ちょうど、近くに小さな公園があったはずだ。僕は彼とそこで話すことにした。
無言のまま歩いて数分。
公園の入り口にあった自販機で買った缶コーヒーを二つ手に、僕はベンチに座った。矢代は隣に座り、小さくため息を吐いた。
「ほら、君の分」
「……ありがと。優しいんだな、お前」
「気まぐれだよ。なんか、碓氷さんに似てて君も危なっかしいし」
「どこかだよ」
缶コーヒーを受け取りながらそう言えば、矢代は困ったようにはにかんだ。缶の温もりを両手で感じながら、彼はまた重い息を吐いた。
「なぁ、お前に聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
「あのさ、愛來の指にあった指輪……お前があげたの?」
矢代はどこか気恥ずかしそうな顔で問いかけてきた。
「そうだよ。結婚式をした時にね」
「け、結婚式!?」
ちょうど缶のプルタブに手をかけていた矢代は、危うく缶を落としそうになっていた。その顔は驚きと焦りに染まり、目は大きく見開かれていた。
「正式なものじゃないけどね。なんていうか、碓氷さんにウェディングドレスを着てもらうための式だったからそんな心配しなくても」
「し、心配なんか……」
からかうように笑えば、矢代は頬を赤くして缶に口をつけて思い切り傾ける。あまりにも分かりやすい反応に、腹を抱えて笑いそうになった。
「……お前、やること大胆だな」
未だ頬を染めたまま、矢代はぽつりと言った。
「そうかな?」
「自覚ないとことかさらにムカつく」
「ま、僕は自分じゃ理解できないことがたくさんあるからね」
そう言ってコーヒーを飲む。無糖のはずなのに、それは少しだけ甘く感じた。
矢代はしばらく僕を見つめて複雑そうな顔をする。何度か目を泳がせると、一度深呼吸をして口を開いた。
「……悪かったな、いろいろ酷いこと言っちゃって」
缶を握りしめて、矢代が囁くように言う。
「無神経だったなと思う。誰だって、触れられたくない話はあるのにな」
「気にしなくていいって。君も意外と気にするタイプなんだね」
「そ、そりゃ気にするだろ……。あの時のお前、結構傷ついたような顔してたし」
そう言われて思い返す。
確かに、名前がないことを話題に出された時は動揺した。でも、この話題は慣れているからそう気にすることでもない。けれど、無意識に顔に出ていたのかもしれない。
「ふーん、あんまり気にしてたつもりはないけど。君って人の顔よく見てるんだね」
そういうところも、碓氷さんにそっくりだ。それを言ってやれば、矢代はどこか嬉しそうに目を細めた。
「……もう一つ聞いてもいいか?」
「なんでもどうぞ」
「じゃあ遠慮なく。あのさ、愛來にはちゃんと思いを伝えたのか?」
全く躊躇することなく切り出された質問に、僕は口を噤んだ。彼女にはまだ、何も話していない。それどころか、まだ話す気すらなかった。
「伝えてないよ」
「何でだよ」
「なんというか、よく分かんないんだ。彼女のことが好きなことには間違いないと思う。でも、なんかモヤッとするというか。たまに、本当に彼女が好きなのかなって考えちゃって。人を愛するってどういうことか分からない僕に、彼女を好きになる権利があるのかなとか思ったりするんだ」
矢代の問いに答えれば、彼は心底呆れたよう息を吐く。コーヒーをぐいっと飲み干して、彼は僕を冷めた目で一瞥した。
「お前、馬鹿だろ」
「いきなり酷いね」
「お前はさ、深く考えすぎなんじゃねぇの?だいたい、好きなら好きでそれでいいだろ。男なのに、意外とこういうことに関して繊細なんだな」
そう言って、彼は馬鹿にしたように鼻で笑った。その言葉は、立花さんが言ったことと似ていた。
「うるさいなぁ。こういうの初めてなんだ。仕方ないでしょ」
「……まぁ、育った環境的にもきついもんな。普通はそうなんだよ。誰が誰を好きになろうが、誰も文句は言わないさ。ま、他人に迷惑をかけない場合に限るけどな」
既に日の落ちてしまった空の向こうを、矢代は遠い目で見つめた。きっと、彼が脳裏に浮かべているのは碓氷さんのことだろう。いつだって矢代は、彼女のことを考えて行動してきただろうから。
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