僕に名前をください

鈴原りんと

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「名無しくん、次はあっち行ってみたいな」

 碓氷さんが、どこかワクワクしたような目をして言った。

「いいよ。今日は碓氷さんの行きたいとこに付き合うからさ」

 今度は碓氷さんが僕の手を取って歩き出した。とてもデートという単語だけで照れていた人と同一人物だとは思えない程の行動だ。
 今や僕より彼女の方がデートの流れを支配しているような気がする。こちらとしてはその方がありがたいけれど、羽目を外しすぎないかが少しばかり心配だ。


 彼女に手を引かれてやってきたのは、多くの花が規則正しく飾られた場所だった。今の季節である秋の花だけは本物が置かれているが、その他の季節の花は造花で、ガラスケースの中に展示されている。博物館のようなその場所は、他の場所よりも静かで、落ち着いた雰囲気を放っていた。

「ここは花言葉をテーマにいろんな花が植えられているみたいだね!」
「そうだね。僕はここ初めて来たかも」

 ガラスケースの前には、花の名前と花言葉が書かれているようだった。それも、誕生花となっている花が飾られているみたいで、三百六十六日全ての誕生花がここにはあるらしい。『自分の誕生日のお花を探してみてね!』とポップな書体で書かれた看板が置いてある。

「碓氷さんは誕生日いつなの?」と僕は訊ねた。
「私?十二月十九日だよ」
「十二月十九日……じゃあ、君の誕生花はあれだね」

 少し視線を巡らせて見つけた十二月十九日の誕生花。そこには、ガラスケースに入った一輪の花がある。細い茎に、小さな白い花をつけたどこか儚い印象の花だ。その見た目は、鈴蘭によく似ている。

「スノーフレーク……綺麗な花」と碓氷さんが、その双眸に花を映し出した。
「花言葉は純粋、汚れ泣き心、皆を引き付ける魅力か」

 キャプションを読み上げる。そこには、碓氷さんという人をそのまま表したような花言葉が書かれていた。
 わかる気はする。彼女は特別人より突出した才能はないが、なんとなく彼女には惹かれる何かがあるのだ。言葉では上手く言い表せない不思議な魅力だ。

「素敵な花だね。でも、私にはもったいない花言葉を持ってるんだね」
「君にはよく合う花言葉じゃない?」
「……名無しくんはお世辞が上手いなぁ」
「お世辞でもないんだけどね」

 碓氷さんは困ったように笑う。
 別にお世辞を言ったつもりはなかった。かといって彼女を気遣ったわけでもないけれど。でも、スノーフレークは彼女にぴったりな花だと正直に思う。

「名無しくんは誕生日いつなの?」と今度は碓氷さんが訊ねてきた。
「僕?八月二日だけど」
「夏生まれなんだね。えーっと、八月の花は……」

 僕の誕生日を聞くと、碓氷さんは目を凝らして無数に並ぶ花から僕の誕生花を探している。ワクワクした様子が伝わってくる彼女の背中を僕はのんびりと追いかけた。

「あ、これだね」

 振り向いて碓氷さんがとある花を指さす。それは、最初の場所で見た桔梗の花だった。紫色の桔梗が、仄かな明かりを浴びて淡い輝きを散らしている。

「花言葉は深い愛情と永遠の愛。優しい名無しくんにはぴったりじゃない?」

 碓氷さんは柔らかな微笑を湛えてそう言った。
 まさか、と言いそうになって慌てて口を閉じる。仮にも誕生花だというのに、その花言葉は僕とはかけ離れすぎている。皮肉を言われている気分だ。

 僕は誰かを深く愛せないし、永遠の愛も誓えない。

「……愛とか、僕には全く理解できないから」
「え……?」
「何でもない。聞かなかったことにして」

 驚愕の色を滲ませた瞳を見て、僕はハッと我に返る。彼女から目を逸らし、吐き捨てるようにそう口にした。

 次の場所行こうか、なんて無理やり話を切り替えて僕は歩き出す。碓氷さんは戸惑いながらも、何も言わずに僕の後をそっと着いてくる。

「……愛なんて、そう深く考えるものでもないと思うけどなぁ」

 ぽつりと励ましのように呟かれた彼女の言葉を、僕は聞こえないふりをした。
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