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第十四話 贖罪
②三年後、予期せぬ偶然で再会した理沙と秀夫
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三年の歳月が流れた。
全くの予期せぬ偶然で再会した理沙と秀夫は、ホテル十七階のラウンジで冷たい飲み物を飲んで向かい合っていた。
若い恋人同士であった頃の記憶や別れた時の記憶が潮のように秀夫の胸に打ち寄せて高まって来た。が、それらは全て過ぎたことであった。たとえ、その二人の時間が互いの若さ故の過誤に満ちていたにせよ、その時間は既に生き終えられた時間であった。その時、二人は各々、自分の生の時間のある部分を確実に生きていたのであり、今、其処に何らかの心残りなど在ってはならないことなのであった。だが然し・・・
「やはり、そうするのが一番良いと思う」
秀夫は狭いベッドに身体を起こして言った。
「だって、そうじゃ無ければ、何故、俺たちはまた逢うようになったんだ?」
理沙はそう言う秀夫を寝たまま笑顔で見上げていたが、直ぐに俯せになると秀夫の腕に額を乗せ、顔を秀夫の胸に押し付けて、気持ち良さそうに目を瞑った。
「なあ、そうしよう。俺たちは随分と回り道をしたが、未だ完全に遅すぎると言う訳では無い」
「こうしていると、あなたと居る実感がするわ。私、あの頃、あなたとの実在感が何より大事だったのよ」
「俺たちは若過ぎた。何でもないことを大げさに考えたり、せっかちになったりして、大事なものを台無しにしてしまった」
「あの頃、私はいつも思っていたの、今日こそは「さあ結婚しよう」ってあなたが言ってくれないかなぁって。あなたがそう言ってくれたら私はどんなに幸せだろうかって。私はいつだってそう思ってあなたの腕の中で目を瞑って待っていたのよ」
「俺はまだ何も解っていなかった。俺は、何か自分が、未だ人生の予行演習をしているような感じだった。そして、これは未だ違う、これは未だ違う、って思ってしまっていた。別の人生など在りもし得ないのに・・・」
「あの頃、私はあなたと結婚したさの余り、その為なら何でもしようって気になりかけていたわ。馬鹿な小娘だったのよね」
「未だ遅すぎはしないよ。結婚しよう、そして、一緒に暮らそう」
「あなたの身体から伝わって来るこの温かみ。こうやっていると物凄く気持ち良い。私、あなたと別れてからこんな事ってずうっと無かったわ」
「一緒に暮らすようになれば、俺たち、何だって取り返せる。難しいことじゃない。一緒に暮らすこと、それこそが大事なんだ。何故あの時、俺にはそれが解からなかったんだろうか?どうでも良いことに心を砕いて、単純に、二人で先ず一緒に暮らすことに気付かなかった。なあ、始めよう、その一番大事なことを、な、理沙」
「私はやっぱりあなたのことが好きなんだわ。こうしているとあなたの声があなたの身体を通して聞こえて来る。みんな私の頬に伝わって来る」
理沙は秀夫の言葉が聞こえないかのようにそう言うと、自分の顔を秀夫の身体に任せたまま、微笑を浮かべて黙って眼を閉じた。
よく眠っていた秀夫は、突然、「わぁっ!」と言う理沙の叫び声に眼を覚ました。驚いて隣に寝ている理沙を覗き込むと、苦しい嫌な夢を見ていたらしく「うっ、うっ」と嗚咽の声を漏らした。顔が歪んでいる。
「どうしたんだ?」
秀夫は思わず理沙の肩を揺さ振った。
理沙は起こされても、咄嗟にはそれが夢だったとは判らないらしく、少しの間、口を戦慄かせていたが、やがて、一つ大きく息をすると、眼を暗がりの中へ見開いて、言った。
「私、夢を見ていたのね」
「怖い夢だったらしいな」
「ええ、とっても」
答えた理沙はゆっくり笑顔になりながら顔を秀夫の傍へ寄せた。
「でも良かったぁ、あなたの傍に寝ていて。一人だったら後々まで怖くて堪らなかったと思うわ」
「どんな夢だったんだ?」
「とても怖い夢。ほら、未だドキドキしているわ」
理沙は自分の手を胸に宛てた。
「あのね、私のお腹の中に大きな空洞が出来て、其処が物凄く寒いの。布団を被ってもカイロや湯たんぽで温めても駄目なの。そして、真夜中なのに、枕元に怖い形相をした赤ん坊が居るの。廊下からも赤ん坊が這いずり回る音が聞こえ、泣き喚く声も聞こえるの。そして、私の隣に赤ん坊の父親が立っていて、「お前が殺した。お前が殺したんだ」って叫んでいるの。私、違うわ、違うわ、って言おうとするんだけど声にならないの」
理沙は話している内にまた恐怖が戻って来たらしく、力一杯、秀夫の腕を抱きしめた。
「心の疲れだよ、理沙。夢が知らせるのは俺たちの疲れた心が持っている怖れなんだ。俺たちは今、此処にこうして二人で居る。それが全てだ、それだけなんだよ」
翌朝、理沙はすっかり元気になって帰って行った。
全くの予期せぬ偶然で再会した理沙と秀夫は、ホテル十七階のラウンジで冷たい飲み物を飲んで向かい合っていた。
若い恋人同士であった頃の記憶や別れた時の記憶が潮のように秀夫の胸に打ち寄せて高まって来た。が、それらは全て過ぎたことであった。たとえ、その二人の時間が互いの若さ故の過誤に満ちていたにせよ、その時間は既に生き終えられた時間であった。その時、二人は各々、自分の生の時間のある部分を確実に生きていたのであり、今、其処に何らかの心残りなど在ってはならないことなのであった。だが然し・・・
「やはり、そうするのが一番良いと思う」
秀夫は狭いベッドに身体を起こして言った。
「だって、そうじゃ無ければ、何故、俺たちはまた逢うようになったんだ?」
理沙はそう言う秀夫を寝たまま笑顔で見上げていたが、直ぐに俯せになると秀夫の腕に額を乗せ、顔を秀夫の胸に押し付けて、気持ち良さそうに目を瞑った。
「なあ、そうしよう。俺たちは随分と回り道をしたが、未だ完全に遅すぎると言う訳では無い」
「こうしていると、あなたと居る実感がするわ。私、あの頃、あなたとの実在感が何より大事だったのよ」
「俺たちは若過ぎた。何でもないことを大げさに考えたり、せっかちになったりして、大事なものを台無しにしてしまった」
「あの頃、私はいつも思っていたの、今日こそは「さあ結婚しよう」ってあなたが言ってくれないかなぁって。あなたがそう言ってくれたら私はどんなに幸せだろうかって。私はいつだってそう思ってあなたの腕の中で目を瞑って待っていたのよ」
「俺はまだ何も解っていなかった。俺は、何か自分が、未だ人生の予行演習をしているような感じだった。そして、これは未だ違う、これは未だ違う、って思ってしまっていた。別の人生など在りもし得ないのに・・・」
「あの頃、私はあなたと結婚したさの余り、その為なら何でもしようって気になりかけていたわ。馬鹿な小娘だったのよね」
「未だ遅すぎはしないよ。結婚しよう、そして、一緒に暮らそう」
「あなたの身体から伝わって来るこの温かみ。こうやっていると物凄く気持ち良い。私、あなたと別れてからこんな事ってずうっと無かったわ」
「一緒に暮らすようになれば、俺たち、何だって取り返せる。難しいことじゃない。一緒に暮らすこと、それこそが大事なんだ。何故あの時、俺にはそれが解からなかったんだろうか?どうでも良いことに心を砕いて、単純に、二人で先ず一緒に暮らすことに気付かなかった。なあ、始めよう、その一番大事なことを、な、理沙」
「私はやっぱりあなたのことが好きなんだわ。こうしているとあなたの声があなたの身体を通して聞こえて来る。みんな私の頬に伝わって来る」
理沙は秀夫の言葉が聞こえないかのようにそう言うと、自分の顔を秀夫の身体に任せたまま、微笑を浮かべて黙って眼を閉じた。
よく眠っていた秀夫は、突然、「わぁっ!」と言う理沙の叫び声に眼を覚ました。驚いて隣に寝ている理沙を覗き込むと、苦しい嫌な夢を見ていたらしく「うっ、うっ」と嗚咽の声を漏らした。顔が歪んでいる。
「どうしたんだ?」
秀夫は思わず理沙の肩を揺さ振った。
理沙は起こされても、咄嗟にはそれが夢だったとは判らないらしく、少しの間、口を戦慄かせていたが、やがて、一つ大きく息をすると、眼を暗がりの中へ見開いて、言った。
「私、夢を見ていたのね」
「怖い夢だったらしいな」
「ええ、とっても」
答えた理沙はゆっくり笑顔になりながら顔を秀夫の傍へ寄せた。
「でも良かったぁ、あなたの傍に寝ていて。一人だったら後々まで怖くて堪らなかったと思うわ」
「どんな夢だったんだ?」
「とても怖い夢。ほら、未だドキドキしているわ」
理沙は自分の手を胸に宛てた。
「あのね、私のお腹の中に大きな空洞が出来て、其処が物凄く寒いの。布団を被ってもカイロや湯たんぽで温めても駄目なの。そして、真夜中なのに、枕元に怖い形相をした赤ん坊が居るの。廊下からも赤ん坊が這いずり回る音が聞こえ、泣き喚く声も聞こえるの。そして、私の隣に赤ん坊の父親が立っていて、「お前が殺した。お前が殺したんだ」って叫んでいるの。私、違うわ、違うわ、って言おうとするんだけど声にならないの」
理沙は話している内にまた恐怖が戻って来たらしく、力一杯、秀夫の腕を抱きしめた。
「心の疲れだよ、理沙。夢が知らせるのは俺たちの疲れた心が持っている怖れなんだ。俺たちは今、此処にこうして二人で居る。それが全てだ、それだけなんだよ」
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