愛の裏切り

相良武有

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第八話 手酷い裏切り

②俊夫、同級生で内科医の長田と酒を飲む

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 俊夫が長田に逢ったのは四条花見小路の「天まつ」という小料理屋であった。小料理屋と言っても、カウンターと他にボックス席が二つ在るだけの小さな店だった。引き戸を引いて中へ入ると、左手に五、六人も座れば一杯になるカウンターとその奥に厨房があり、右奥のボックス席も六、七人座るのがやっとだった。ただ、店の所在地が祇園街の西隣に位置する花見小路だったので客足が途絶えることは無く、それでいて価格のリーズナブルさもあって結構に繁盛している店だった。宮木松乃と言う三十代中半の女性が一人で切り盛りしていたが、その気さくで飾らない人柄に常連客が引き寄せられていた。俊夫もそんな常連の一人で、部下や後輩を連れてしょっちゅう飲みに通っている。
「いらっしゃい」
暖簾を手挙げて中へ入ると明るい貌が迎えてくれた。電話を入れておいたので奥の小さなボックス席が一席空けられて在った。長田は未だ来ていなかった。
お手拭きを貰って、ビールを一本注文した時、長田が入って来た。
「済まん、済まん、出がけに電話が入っちゃって」
祇園の繁華街へでかけると言うことの所為か、彼の身形はきちんとしていた。ネクタイを締めブレザーを羽織って、眼鏡までかけていた。
俊夫は直ぐに長田を松乃に引き合わせた。
「松ちゃん、俺の高校時代の同級生で長田と言う。内科の先生だよ」
紹介されて長田はさらりと挨拶を交わした。遊び慣れている感じの応対だった。医者を目指していたあの頃の生真面目な感じはもう無くなっていた。人間は環境と境遇でこうも変わるものか、と俊夫は思った。十年一日のごとく七年間も平凡なサラリーマン稼業をやって居る自分が不甲斐無く思えた。
「さあ、何かを食おう、此処は天ぷらが旨いんだが・・・」
二人は「松乃のお任せ」を頼んで飲み始めた。
 話は取り留めも無かった。学生時代の友人達や弓道仲間の消息、今の仕事のこと、そして、互いの生活のこと、などなど・・・。長田は未だ独身だった。
「お前が羨ましいよ」
そう言いながら彼は結構に独身生活を楽しんでいるようだった。
「薬九層倍、医者百倍、愈々金が溜まって仕方がないんだろう?」
「忙しいだけで、大したことは無いよ」
一応は謙遜しているが、満更でも無さそうである。
「ところで、奥さんはどうだ?元気にしているのか?」
機会を待って居たように長田が訊ねた。
「うん・・・元気だよ・・・」
「何だ、歯切れが悪いな」
「いや、別に・・・」
「もう随分と逢わんなぁ。相変わらず美人なんだろう?」
「今、妊娠しているよ」
「真実か?!」
俊夫は少し自慢たらしく、少し照れた顔で頷いた。
「そうか、そりゃ良かった。結婚三年目にして漸く誕生か・・・」
「お蔭さまで、ね」
暫く間が空いてから、長田が探るように俊夫の貌を下から覗き上げて言った。
「今までは調整していたのか?」
「まあな」
していた訳ではないが俊夫は頷いた。
「奥さんはさぞかし喜んでいるだろう?」
「今、三カ月だ」
言ってから、俊夫は瑠美が堕したがっていることを思い起こした。
「もう一、二年、共働きを続けてマイホームを持てる目途がついてから産みたいわ」
 彼女はこれまでにも二人の暮らしについてあれこれと夢を語っていた。
やがて生まれて来るであろう子供達の子育てと教育の環境を整える為に、狭いながらも慎ましやかな自分達の戸建て住宅を出来るだけ速い内に手に入れたい、そして、子供達には一人一人に自分の部屋を与えて、生活環境はしっかり整えてやりたい、毎日使うダイニングキッチンやリビングは出来るだけ使い勝手の良い広さにしたい、二人の寝室も俊夫自身の書斎もそれなりの大きさが欲しい・・・
俊夫はその度に瑠美に話して聞かせた。
「然し、な、俺ももう直ぐ三十歳だ。何とか二十代のうちに第一子を持ちたいと思うんだよ。当面は多少きつくても金は何とかなるんじゃないか、な」
長田が呟くように言った。
「それにしても、あんな可愛い奥さんのお腹が大きくなるなんて、何か痛々しいよなぁ」
俊夫は黙って曖昧な微笑を浮かべた。
「赤ん坊のおむつを変えたり、乳を含ませたり、そんなことで彼女を家に閉じ込めておくのは勿体無い気がするがなぁ、俺には」
長田は自分でグラスにビールを注ぎ足してひと息に飲み干した。
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