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第六話 三十路の女ともだち
⑤理恵、慌しく噛みつきそうにやって来る
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一眠りすると、慌しく理恵がやって来た。店は未だ開いていない。
普段、身嗜みの良い彼女が、化粧は崩れ髪を振り乱していた。
「昨夜、何処へ行っていたのよ!」
噛みつきそうな勢いである。
「何処へも行かないわよ。店閉めて、此処へ帰って来て」
「居なかったわ、ベルを押しても!」
「何時頃?」
「十一時半」
「寝入り端かしら・・・近頃、寝つきが悪くて、催眠剤を飲んでいるから」
「細川さん、来たでしょう?」
「十一時近くまで店であなたを待って居たわ」
「一緒にドライブに行ったんじゃないの?」
「そんな元気無いわよ、もう・・・」
理恵は未だ疑い深そうな顔で早希を見詰めていたが、疲れ果てたように椅子に座り込んだ。
「朝帰りだったのよ、彼。私、細川のマンションに張り込んでいたの」
「何時に帰って来たの?」
早希は空っ恍けた。
「判らないのよ。マンションの、客用のロビーの椅子でうたた寝をしちゃって・・・」
眼が覚めて彼の部屋へ行ってみると、もう帰っていた、と言う。
「とろとろと三十分ほど微睡んでいる間に帰って来たに違いないわ」
早希は笑い出した。
「あなた達、やっぱりそういう仲だったんだ」
理恵は俯いて両手で顔を覆った。
「最初は、一回是っ切りの遊び、って約束だったのよ。今でもその心算なんだけど・・・」
「どうして?」
「三十女がずるずると歳下の男に引っかかって、碌なこと無いじゃない?彼にはもう随分と貢いだし、この上、付き合って居て、その内に人生相談のピンチにでも見舞われたりしたら格好悪いわよ」
そこまで解っていながら未練たらしく男のマンションで朝まで見張っていた理恵を、早希は軽蔑出来なかった。自分とてもやりかねない。
「彼、物を強請るの?」
「そうじゃないけど、此方に年齢的な引け目が有るから、ついつい、そうなっちゃうのよ」
理恵が泣きべその顔を上げた。マスカラが流れて酷い顔になっている。
「お化粧、落としなさいよ」
手鏡とタオルを渡して、早希はテラスのカーテンを引いた。
知らない内に小雨が降り出していた。
昨夜、生暖かかったのは雨の予兆だったんだ・・・
隣家の庭へ視線を遣ると、八重桜が散りかけていた。この雨では花は残るまい、と早希は思った。
キッチンへ入って湯を沸かした。
理恵は洗面所で、思い切り良く、スッピンになった。
「我ながら、吃驚しちゃった。やっぱり歳は争えないわねぇ」
クリームを擦り込みながら、意外と、明るい声でそう言った。
「色恋どころじゃ無いわねぇ・・・真実の愛を見つけなきゃ・・・」
「そうよ、私たちはあの八重桜なんだから」
「何、それ?」
「花の盛りは残り少ない、ってこと」
「そうね、あなたの言う通りよね」
二人はしんみりと頷き合った。
雨は降り頻る音が聞こえるほどになっていた。日曜日のマンションはその雨音だけで、辺りは未だひっそりとしていた。
「ねえ、お酒飲みましょうよ、これから」
「そうね、頂こうかしら」
「お摘みは冷蔵庫の在り合わせで適当に作るわ」
早希は目玉焼きを作りハムをスライスし、キャベツとレタスを刻んでドレッシングをかけた。ミックスナッツやチョコレートも併せて添えた。
「こんなものしか無いけど、先ずは乾杯!」
それから二人は一杯、二杯とハイボールを飲み乍ら、嘗ての大学時代のクラスメイト独特の、恐らく彼女たちでなければ理解し難いと思われる内容の話を饒舌に語り合った。
「ねえ、いつだったか、二人で天橋立へ旅行したじゃない?」
「うん、行った、行った」
早希と理恵は卒業して三年目の夏に、盆休みと夏季休暇を活用して日本三景の一つである丹後半島の天橋立へ出かけた。だが、その旅はバカンスを愉しむという快いものとはならず、二人の心に苦い錘を沈める旅となったのだった。
普段、身嗜みの良い彼女が、化粧は崩れ髪を振り乱していた。
「昨夜、何処へ行っていたのよ!」
噛みつきそうな勢いである。
「何処へも行かないわよ。店閉めて、此処へ帰って来て」
「居なかったわ、ベルを押しても!」
「何時頃?」
「十一時半」
「寝入り端かしら・・・近頃、寝つきが悪くて、催眠剤を飲んでいるから」
「細川さん、来たでしょう?」
「十一時近くまで店であなたを待って居たわ」
「一緒にドライブに行ったんじゃないの?」
「そんな元気無いわよ、もう・・・」
理恵は未だ疑い深そうな顔で早希を見詰めていたが、疲れ果てたように椅子に座り込んだ。
「朝帰りだったのよ、彼。私、細川のマンションに張り込んでいたの」
「何時に帰って来たの?」
早希は空っ恍けた。
「判らないのよ。マンションの、客用のロビーの椅子でうたた寝をしちゃって・・・」
眼が覚めて彼の部屋へ行ってみると、もう帰っていた、と言う。
「とろとろと三十分ほど微睡んでいる間に帰って来たに違いないわ」
早希は笑い出した。
「あなた達、やっぱりそういう仲だったんだ」
理恵は俯いて両手で顔を覆った。
「最初は、一回是っ切りの遊び、って約束だったのよ。今でもその心算なんだけど・・・」
「どうして?」
「三十女がずるずると歳下の男に引っかかって、碌なこと無いじゃない?彼にはもう随分と貢いだし、この上、付き合って居て、その内に人生相談のピンチにでも見舞われたりしたら格好悪いわよ」
そこまで解っていながら未練たらしく男のマンションで朝まで見張っていた理恵を、早希は軽蔑出来なかった。自分とてもやりかねない。
「彼、物を強請るの?」
「そうじゃないけど、此方に年齢的な引け目が有るから、ついつい、そうなっちゃうのよ」
理恵が泣きべその顔を上げた。マスカラが流れて酷い顔になっている。
「お化粧、落としなさいよ」
手鏡とタオルを渡して、早希はテラスのカーテンを引いた。
知らない内に小雨が降り出していた。
昨夜、生暖かかったのは雨の予兆だったんだ・・・
隣家の庭へ視線を遣ると、八重桜が散りかけていた。この雨では花は残るまい、と早希は思った。
キッチンへ入って湯を沸かした。
理恵は洗面所で、思い切り良く、スッピンになった。
「我ながら、吃驚しちゃった。やっぱり歳は争えないわねぇ」
クリームを擦り込みながら、意外と、明るい声でそう言った。
「色恋どころじゃ無いわねぇ・・・真実の愛を見つけなきゃ・・・」
「そうよ、私たちはあの八重桜なんだから」
「何、それ?」
「花の盛りは残り少ない、ってこと」
「そうね、あなたの言う通りよね」
二人はしんみりと頷き合った。
雨は降り頻る音が聞こえるほどになっていた。日曜日のマンションはその雨音だけで、辺りは未だひっそりとしていた。
「ねえ、お酒飲みましょうよ、これから」
「そうね、頂こうかしら」
「お摘みは冷蔵庫の在り合わせで適当に作るわ」
早希は目玉焼きを作りハムをスライスし、キャベツとレタスを刻んでドレッシングをかけた。ミックスナッツやチョコレートも併せて添えた。
「こんなものしか無いけど、先ずは乾杯!」
それから二人は一杯、二杯とハイボールを飲み乍ら、嘗ての大学時代のクラスメイト独特の、恐らく彼女たちでなければ理解し難いと思われる内容の話を饒舌に語り合った。
「ねえ、いつだったか、二人で天橋立へ旅行したじゃない?」
「うん、行った、行った」
早希と理恵は卒業して三年目の夏に、盆休みと夏季休暇を活用して日本三景の一つである丹後半島の天橋立へ出かけた。だが、その旅はバカンスを愉しむという快いものとはならず、二人の心に苦い錘を沈める旅となったのだった。
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