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第三章 野球の神様に祈る
第9話 由香の引退と大野からの求婚
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そして、小宮由香が女子プロ野球の選手になって既に七年の歳月が流れた。
シーズンも残り少なくなった九月の或る日、由香は大野徹と瀟洒なレストランで遅い夕食を共にしていた。
突然、フォークとナイフをテーブルに置いて、屈託有り気な表情で彼女が口を開いた。
「わたし、今季限りで引退しようと思うの」
「えっ?急に何を言い出すんだ?何かあったのか?」
「ええ・・・一口で言えば、もう自分のピッチングが出来なくなって来たの。スピードも落ちたし球の切れも無くなって来たし、思うような投球が出来なくなったの。だから、そろそろ潮時かな、って思って」
「う~ん・・・」
大野は暫く黙り込んだ。
やがて、徐に、由香に訊ねた。
「で、辞めた後のことは何か考えているのか?」
「わたし、あなたのようなコーチになりたいの、野球の」
「然し・・・何か宛でもあるのか?」
「ええ。先ずはアメリカへ渡ってスポーツ心理学の勉強をするの」
「アメリカへ行く?」
「うん。博士号を取って、その後、アマチュアでもプロでも良いんだけど、野球の指導者になりたいの」
大野はまた暫く沈黙した。
口を開いた時、彼は由香が思いもしなかったことを言った。
「解かった。但し、一つ条件がある」
「条件?」
「アメリカへ行く前に俺と結婚しよう、それが条件だ」
「コーチとわたしが結婚?」
「コーチじゃない。一人の人間として言っているんだ!男、大野徹が小宮由香にプロポーズしているんだ!」
思わず大野の眼を覗き込んだ由香の視線が彼の強い眼差しと結び合った。二人はじっと見交わし合った。
由香の胸に熱いものが膨れ上がって来た。
思えば二十歳の時に、日本代表チームの合宿練習で声をかけられて以来、何かにつけて事ある毎に、彼に背中を押され支え続けられて、今日までやって来た。十年近くもの間、私が最も信頼し尊敬したのは彼一人だった・・・
由香は大野徹の自分に対する愛の大きさとその深さに改めて思いを至らせた。
「わたしのような、野球以外、何も出来ない、家事も料理も何一つ出来ない、こんな女で真実に良いの?」
「ああ、お前でなきゃ駄目なんだ、俺は!」
テーブルに置かれていた大野の手に由香の掌が重なり、更にその上に大野の大きな掌が包み込むように重なって、二人は眼を凝っと見交わし合った。
「でも、あなたのお仕事はどうするの?アメリカへ一緒に行ってくれるの?」
「否、俺は行かないよ、俺にはしなきゃならんことが有る」
「と言うと?」
「俺の夢はな、あの甲子園球場で全国高校女子硬式野球選手権大会が開催され、そこへ全国の女子選手たちが凱旋することなんだ。その為には、もっともっと女子野球の裾野を拡げて広く普及させ、世間の多くの人に認知して貰わなければならない。プロとアマが競い合い、或いは、手を携え合ってそれを推進しなければならない」
「そうね、あなたの言う通りだわね」
「俺の高校も、結成当時は四人しか居なかった部員も今は三十人を超えてレギュラー争いが熾烈化しているし、全国的に見ても、女子硬式野球部を持つ高校の数は最初の五校から大幅に増えた。女子野球の人口も一万人以上になっている。俺はこれからが正念場だと思っている」
それから、大野徹が自分に言い聞かせるように言った。
「お前がアメリカへ行っても、ずうっと行きっ放しになる訳じゃないだろう。大学へ通っている間は夏休みも在るし、仮に野球のコーチャーになってもシーズンオフがあるから、その時には日本へ帰って来るだろう。それで良いんじゃないか、な」
話を聴きながら由香は改めて心に決めた。
わたしもこの人のような、こんなことを考えこんなことをしようとする、夢を繋ぐ指導者になろう、そして、何が有っても、この人と生涯ずうっと一緒に生きて行こう!・・・
シーズンも残り少なくなった九月の或る日、由香は大野徹と瀟洒なレストランで遅い夕食を共にしていた。
突然、フォークとナイフをテーブルに置いて、屈託有り気な表情で彼女が口を開いた。
「わたし、今季限りで引退しようと思うの」
「えっ?急に何を言い出すんだ?何かあったのか?」
「ええ・・・一口で言えば、もう自分のピッチングが出来なくなって来たの。スピードも落ちたし球の切れも無くなって来たし、思うような投球が出来なくなったの。だから、そろそろ潮時かな、って思って」
「う~ん・・・」
大野は暫く黙り込んだ。
やがて、徐に、由香に訊ねた。
「で、辞めた後のことは何か考えているのか?」
「わたし、あなたのようなコーチになりたいの、野球の」
「然し・・・何か宛でもあるのか?」
「ええ。先ずはアメリカへ渡ってスポーツ心理学の勉強をするの」
「アメリカへ行く?」
「うん。博士号を取って、その後、アマチュアでもプロでも良いんだけど、野球の指導者になりたいの」
大野はまた暫く沈黙した。
口を開いた時、彼は由香が思いもしなかったことを言った。
「解かった。但し、一つ条件がある」
「条件?」
「アメリカへ行く前に俺と結婚しよう、それが条件だ」
「コーチとわたしが結婚?」
「コーチじゃない。一人の人間として言っているんだ!男、大野徹が小宮由香にプロポーズしているんだ!」
思わず大野の眼を覗き込んだ由香の視線が彼の強い眼差しと結び合った。二人はじっと見交わし合った。
由香の胸に熱いものが膨れ上がって来た。
思えば二十歳の時に、日本代表チームの合宿練習で声をかけられて以来、何かにつけて事ある毎に、彼に背中を押され支え続けられて、今日までやって来た。十年近くもの間、私が最も信頼し尊敬したのは彼一人だった・・・
由香は大野徹の自分に対する愛の大きさとその深さに改めて思いを至らせた。
「わたしのような、野球以外、何も出来ない、家事も料理も何一つ出来ない、こんな女で真実に良いの?」
「ああ、お前でなきゃ駄目なんだ、俺は!」
テーブルに置かれていた大野の手に由香の掌が重なり、更にその上に大野の大きな掌が包み込むように重なって、二人は眼を凝っと見交わし合った。
「でも、あなたのお仕事はどうするの?アメリカへ一緒に行ってくれるの?」
「否、俺は行かないよ、俺にはしなきゃならんことが有る」
「と言うと?」
「俺の夢はな、あの甲子園球場で全国高校女子硬式野球選手権大会が開催され、そこへ全国の女子選手たちが凱旋することなんだ。その為には、もっともっと女子野球の裾野を拡げて広く普及させ、世間の多くの人に認知して貰わなければならない。プロとアマが競い合い、或いは、手を携え合ってそれを推進しなければならない」
「そうね、あなたの言う通りだわね」
「俺の高校も、結成当時は四人しか居なかった部員も今は三十人を超えてレギュラー争いが熾烈化しているし、全国的に見ても、女子硬式野球部を持つ高校の数は最初の五校から大幅に増えた。女子野球の人口も一万人以上になっている。俺はこれからが正念場だと思っている」
それから、大野徹が自分に言い聞かせるように言った。
「お前がアメリカへ行っても、ずうっと行きっ放しになる訳じゃないだろう。大学へ通っている間は夏休みも在るし、仮に野球のコーチャーになってもシーズンオフがあるから、その時には日本へ帰って来るだろう。それで良いんじゃないか、な」
話を聴きながら由香は改めて心に決めた。
わたしもこの人のような、こんなことを考えこんなことをしようとする、夢を繋ぐ指導者になろう、そして、何が有っても、この人と生涯ずうっと一緒に生きて行こう!・・・
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