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第二章 運命の賜物
第7話 小高は自身の原点である出身母校へ好美を案内した
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十一月最後の日曜日に、小高は自身の原点である出身母校へ好美を案内した。
幼稚園と中学校は西陣の街中に在った。
古い低い家並みに囲まれるようにして建っている幼稚園は、赤や青や白の彩り豊かな新しい建物に建て替えられていたし、バスや車が忙し気に往き来する大通りに面した中学校は、広いグランドの向こうに鉄筋三階建ての校舎が秋の陽に照らされていた。
「祖父や祖母の時代には、この辺りは西陣の機屋街だったんだ。自動織機を十台ほど持つ零細な織物会社が若い織手を雇って生地を織り、手機を二台ほど狭い土間に据え付けて夫婦で織物を織る出機屋が沢山在ったそうだよ」
「猥雑な街並みだけど、人が住んでいる温もりが匂って来るような処ね」
「此処から少し下がった千本中立売界隈には、五番町に遊郭が在り、西陣京極と言う歓楽街なども有って結構賑わって居たらしい」
小学校と高校は「源氏物語」にも登場する“紫野”の地に在った。
小学校は西陣の北の端で密集した人家に囲まれていたが、古い歴史を思わせる風情があった。鉄格子の門扉から中を覗くと、直ぐ正面に大きな楡の木がでんと立ち構え、その後ろに職員室棟が在った。広い運動場を囲むようにして校舎と体育館がコの字型に並び運動場の端には花壇が見えた。
「僕はこの運動場で野球と出逢い、あの体育館で卓球を覚えたんだ」
小高が懐かしむように好美に話した。
高校は今宮神社の赤い大きな鳥居の中に在った。
鳥居の前で車を停めた小高は、好美を伴って、石畳が敷かれ小砂利が敷き詰められている広い道に足を踏み入れた。
「凄いわね、神社の鳥居の中に高校が在るの?」
学校の周囲には高い常緑樹や針葉樹が立ち並んで中の校舎を遮っていた。小高は校門の前まで来ると立ち止まって暫し嘗ての学び舎を見上げた。校舎は時計台の在る楡の木陰を経て小高いグランドへと繋がっていた。
小高の胸に、舟木一夫が唄って大ヒットしたと言う「高校三年生」が鮮やかに蘇えって来た。その小高の思いを察するかのように好美が彼に訊いた。
「どう?懐かしい?」
「ああ、懐かしいね、とても懐かしいよ。幼稚園から大学まで十八年間通った学生生活で一番思い出の豊かな処だったからね」
「そう・・・」
好美が不意に腕を絡ませて来た。
えっ、と思って見返した小高の肩口に良美の頭が傾げられた。
腕を組み合ったまま二人は高校の先に在る今宮神社へ参詣した。
この神社は紫野界隈を鎮護する祭神で、毎年四月の第二日曜日に催される「やすらい祭り」は界隈の疫病を鎮め平安を願う春のさきがけの祭として知られ、平安の昔より伝えられている花鎮めの祭礼であった。「やすらい花」とも称され、桜や椿などで飾られた巨大な花傘を中心に、赤毛・黒毛の鬼達をはじめ凡そ二十名の行列が、お囃子に合わせて踊り歩き、御幣を奉じて神前へと向かうもので、この大きな花傘の下に入ると一年間健康に過ごせると云われている。
「この“やすらい祭り”は、鞍馬の火祭、太秦の牛祭り、と並んで京の三奇祭と言われ、桜の花を背景に神前へと向かい、激しく飛び跳ねるように、そしてまた緩やかに、“やすらい花や”の声に合わせて、安寧の願いを込めて踊るんだよ。僕も小学生の頃、友達の家の前で花笠の下に入って踊ったけど、結構楽しいものだったことを今も憶えているよ」
神社の門前には名物の「焼きもち」が売られていた。二人はひとつずつ買って車の中で食べることにした。
今宮神社を後にした二人は、鬱蒼と樹木が茂る暗い脇道を通って、隣接する大徳寺へと歩を進めた。
寺の境内は広く、勅使門、三門、仏殿、法堂などの建物の他、塔頭と呼ばれる小さな寺が数多く在った。大徳寺は、戦国時代の茶人として有名な千利休ゆかりの地で、豊臣秀吉の怒りを招き、利休切腹のきっかけとなった三門はこの大徳寺の三門であった。茶道との関係は深く、茶室、庭園、障壁画など文化財も多く残されていて、戦国武将の墓など、歴史ファン特に戦国時代の好きなファンにとっては堪らなく魅力的な寺なのであった。
「お寺と神社が隣り合っているなんて珍しいわね。それにしても思っていたよりは地味な感じだわ」
好美が見たままの率直な感想を吐いた。
「高校では日本史の時間に此処の中を見学させてくれたんだ、クラス全員で」
「へえ~、凄いわね」
「国宝や重要文化財などが数多く在るし、市立の高校だったからそう言うチャンスがあったんだろうね、きっと」
「今でも授業で見学できるのかしら?」
「さあ、それは解らないな、今はどうなっているのか・・・」
大徳寺を出た二人は今宮神社の大鳥居前に留めて置いた車に乗って、小高の卒業した大学へと向かった。
京都芸術大学は亀岡から山陰へ続く国道九号線の沓掛口に在った。京大桂キャンパスや桂坂ニュータウン、洛西ニュータウンなどに取り囲まれた京都の西の郊だった。
学部は美術学部と音楽学部の二学部があり、夫々に修士課程と博士課程のある大学院が併設されていた。付属機関として日本伝統音楽研究センター、芸術資源研究センター及び芸術資料館、それに大学付属図書館があった。
「僕は美術学部の美術科で日本画と油絵と版画と彫刻を専攻し、それに構想設計も専攻した。他に、ビジュアルデザインや環境デザイン、プロダクトデザインも学んだ。陶磁器や漆工や染色はほんの少し齧った程度だよ」
「其処で洋子さんに出逢った訳ね」
小高はそれには答えず、少し間を置いて、小さく言った。
「僕は希望に燃えて入学し、失望と挫折を抱いて卒業した次第だ」
「そういう言い方はあなたには似合わないわ。今のあなたはもうそんなものは背負って居ない。卒業後の十年であなたはそんなものを超越したのよ。この二か月間、あなたと親しく接して私にはよく解っているの」
俺の愛したあの頃の洋子はもう居ないし、洋子を愛したあの頃の俺ももう居ない・・・
好美の思い遣りの言葉は小高の胸に深く滲みた。
彼の今の仕事は、車メーカーの依頼に応じてカーデザインを考えたり、色々な広告代理店から注文を受けて、コマーシャルの組絵を考案したり、イラストを描いたり、それらにコピーをつけたり、時として、版下を作ったりすることだった。近頃では映画の絵コンテ作りやCMソングの作詞まで手掛けるようになっている。然も、マルチプルに才能が有り腕も良い方だった。仕事が速くセンスに溢れ、仕上がり度が高くて概ね好評だった。京都だけでなく東京にもデザインスタジオを持って、仕事は幅広く順調に推移していた。
「偶には絵を描くこともあるの?」
「そうだな、ごく偶にね。仕事に行き詰まってどうにも前が開けない時なんかには描いているような気がするよ。ほんのデッサン程度のものに色を塗りたくっていると、突然、ふっと何かが浮かんで来たりして眼の前の霧が晴れたりするんだよね」
「そうなのね。私も見習わなきゃいけないことだわ。やっぱり原点に思いを至らせることは絶対に忘れちゃいけないのね」
「僕は若い頃、自分は絶対に絵が巧いんだ、と一途に思っていたけど、悉く絵画コンテストに落ちてすっかり自信を無くし、偶々四回生の初めに何気無く書いたグラフィックデザインが京都デザイン賞に入選して新しい道が開けた。下手の横好き、って言葉が有るけど、好きということと才能があるということは絶対に違うんだとあの時初めて気づいたんだ。然し、果たしてこれで良かったのかどうか、今でも迷う時が有るんだよ」
好美は唯、頷きながら聴いていた。
小高は飾ること無く自然に、自分の今の思いを好美に話すことが出来て、心が彼女に向かって開いて来ていることに彼は実感として思い至った。
幼稚園と中学校は西陣の街中に在った。
古い低い家並みに囲まれるようにして建っている幼稚園は、赤や青や白の彩り豊かな新しい建物に建て替えられていたし、バスや車が忙し気に往き来する大通りに面した中学校は、広いグランドの向こうに鉄筋三階建ての校舎が秋の陽に照らされていた。
「祖父や祖母の時代には、この辺りは西陣の機屋街だったんだ。自動織機を十台ほど持つ零細な織物会社が若い織手を雇って生地を織り、手機を二台ほど狭い土間に据え付けて夫婦で織物を織る出機屋が沢山在ったそうだよ」
「猥雑な街並みだけど、人が住んでいる温もりが匂って来るような処ね」
「此処から少し下がった千本中立売界隈には、五番町に遊郭が在り、西陣京極と言う歓楽街なども有って結構賑わって居たらしい」
小学校と高校は「源氏物語」にも登場する“紫野”の地に在った。
小学校は西陣の北の端で密集した人家に囲まれていたが、古い歴史を思わせる風情があった。鉄格子の門扉から中を覗くと、直ぐ正面に大きな楡の木がでんと立ち構え、その後ろに職員室棟が在った。広い運動場を囲むようにして校舎と体育館がコの字型に並び運動場の端には花壇が見えた。
「僕はこの運動場で野球と出逢い、あの体育館で卓球を覚えたんだ」
小高が懐かしむように好美に話した。
高校は今宮神社の赤い大きな鳥居の中に在った。
鳥居の前で車を停めた小高は、好美を伴って、石畳が敷かれ小砂利が敷き詰められている広い道に足を踏み入れた。
「凄いわね、神社の鳥居の中に高校が在るの?」
学校の周囲には高い常緑樹や針葉樹が立ち並んで中の校舎を遮っていた。小高は校門の前まで来ると立ち止まって暫し嘗ての学び舎を見上げた。校舎は時計台の在る楡の木陰を経て小高いグランドへと繋がっていた。
小高の胸に、舟木一夫が唄って大ヒットしたと言う「高校三年生」が鮮やかに蘇えって来た。その小高の思いを察するかのように好美が彼に訊いた。
「どう?懐かしい?」
「ああ、懐かしいね、とても懐かしいよ。幼稚園から大学まで十八年間通った学生生活で一番思い出の豊かな処だったからね」
「そう・・・」
好美が不意に腕を絡ませて来た。
えっ、と思って見返した小高の肩口に良美の頭が傾げられた。
腕を組み合ったまま二人は高校の先に在る今宮神社へ参詣した。
この神社は紫野界隈を鎮護する祭神で、毎年四月の第二日曜日に催される「やすらい祭り」は界隈の疫病を鎮め平安を願う春のさきがけの祭として知られ、平安の昔より伝えられている花鎮めの祭礼であった。「やすらい花」とも称され、桜や椿などで飾られた巨大な花傘を中心に、赤毛・黒毛の鬼達をはじめ凡そ二十名の行列が、お囃子に合わせて踊り歩き、御幣を奉じて神前へと向かうもので、この大きな花傘の下に入ると一年間健康に過ごせると云われている。
「この“やすらい祭り”は、鞍馬の火祭、太秦の牛祭り、と並んで京の三奇祭と言われ、桜の花を背景に神前へと向かい、激しく飛び跳ねるように、そしてまた緩やかに、“やすらい花や”の声に合わせて、安寧の願いを込めて踊るんだよ。僕も小学生の頃、友達の家の前で花笠の下に入って踊ったけど、結構楽しいものだったことを今も憶えているよ」
神社の門前には名物の「焼きもち」が売られていた。二人はひとつずつ買って車の中で食べることにした。
今宮神社を後にした二人は、鬱蒼と樹木が茂る暗い脇道を通って、隣接する大徳寺へと歩を進めた。
寺の境内は広く、勅使門、三門、仏殿、法堂などの建物の他、塔頭と呼ばれる小さな寺が数多く在った。大徳寺は、戦国時代の茶人として有名な千利休ゆかりの地で、豊臣秀吉の怒りを招き、利休切腹のきっかけとなった三門はこの大徳寺の三門であった。茶道との関係は深く、茶室、庭園、障壁画など文化財も多く残されていて、戦国武将の墓など、歴史ファン特に戦国時代の好きなファンにとっては堪らなく魅力的な寺なのであった。
「お寺と神社が隣り合っているなんて珍しいわね。それにしても思っていたよりは地味な感じだわ」
好美が見たままの率直な感想を吐いた。
「高校では日本史の時間に此処の中を見学させてくれたんだ、クラス全員で」
「へえ~、凄いわね」
「国宝や重要文化財などが数多く在るし、市立の高校だったからそう言うチャンスがあったんだろうね、きっと」
「今でも授業で見学できるのかしら?」
「さあ、それは解らないな、今はどうなっているのか・・・」
大徳寺を出た二人は今宮神社の大鳥居前に留めて置いた車に乗って、小高の卒業した大学へと向かった。
京都芸術大学は亀岡から山陰へ続く国道九号線の沓掛口に在った。京大桂キャンパスや桂坂ニュータウン、洛西ニュータウンなどに取り囲まれた京都の西の郊だった。
学部は美術学部と音楽学部の二学部があり、夫々に修士課程と博士課程のある大学院が併設されていた。付属機関として日本伝統音楽研究センター、芸術資源研究センター及び芸術資料館、それに大学付属図書館があった。
「僕は美術学部の美術科で日本画と油絵と版画と彫刻を専攻し、それに構想設計も専攻した。他に、ビジュアルデザインや環境デザイン、プロダクトデザインも学んだ。陶磁器や漆工や染色はほんの少し齧った程度だよ」
「其処で洋子さんに出逢った訳ね」
小高はそれには答えず、少し間を置いて、小さく言った。
「僕は希望に燃えて入学し、失望と挫折を抱いて卒業した次第だ」
「そういう言い方はあなたには似合わないわ。今のあなたはもうそんなものは背負って居ない。卒業後の十年であなたはそんなものを超越したのよ。この二か月間、あなたと親しく接して私にはよく解っているの」
俺の愛したあの頃の洋子はもう居ないし、洋子を愛したあの頃の俺ももう居ない・・・
好美の思い遣りの言葉は小高の胸に深く滲みた。
彼の今の仕事は、車メーカーの依頼に応じてカーデザインを考えたり、色々な広告代理店から注文を受けて、コマーシャルの組絵を考案したり、イラストを描いたり、それらにコピーをつけたり、時として、版下を作ったりすることだった。近頃では映画の絵コンテ作りやCMソングの作詞まで手掛けるようになっている。然も、マルチプルに才能が有り腕も良い方だった。仕事が速くセンスに溢れ、仕上がり度が高くて概ね好評だった。京都だけでなく東京にもデザインスタジオを持って、仕事は幅広く順調に推移していた。
「偶には絵を描くこともあるの?」
「そうだな、ごく偶にね。仕事に行き詰まってどうにも前が開けない時なんかには描いているような気がするよ。ほんのデッサン程度のものに色を塗りたくっていると、突然、ふっと何かが浮かんで来たりして眼の前の霧が晴れたりするんだよね」
「そうなのね。私も見習わなきゃいけないことだわ。やっぱり原点に思いを至らせることは絶対に忘れちゃいけないのね」
「僕は若い頃、自分は絶対に絵が巧いんだ、と一途に思っていたけど、悉く絵画コンテストに落ちてすっかり自信を無くし、偶々四回生の初めに何気無く書いたグラフィックデザインが京都デザイン賞に入選して新しい道が開けた。下手の横好き、って言葉が有るけど、好きということと才能があるということは絶対に違うんだとあの時初めて気づいたんだ。然し、果たしてこれで良かったのかどうか、今でも迷う時が有るんだよ」
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