半欠けの二人連れ達

相良武有

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第二章 運命の賜物

第6話 「わたし、昔の古い名画が見たいの」 

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 少し空腹を覚えた二人は館内に在るレストラン「ピーチバレイ」に入って行った。
其処には建築と自然、美術品と自然の美しいハーモニーを醸し出している空間が拡がっていて、農薬や肥料を一切使わない秀明自然農法で育てた食材のメニューを提供している店だった。二人は「季節野菜のスパゲッティー」を注文した。秀明自然農法の野菜が楽しめる一品で自家製天然酵母のパンが付いていた。
 食後にコーヒーを注文するとブラジル、ジャカランダ農場のコーヒーが運ばれて来た。たっぷりと注がれたカップに顔を近づけると温かい湯気と豊かな香りが拡がった。
口の中に広がるすっきりとした甘さと深い余韻・・・
「このマイルド感は何処からやって来るのかしら?」
好美がウエイトレスに訊ねると少しだけ教えてくれた。
「豆が熟す頃に外皮と豆の間に出来る甘い汁が、天日干し中にじわじわと豆の内部に浸透して行きます。その甘味を引き出すように豆を程良くローストしますと特別な味と香りが出て来るんです。ですが、それだけではなく・・・、その先は秘密なんです、誠に申し訳ございません」
丁寧に深く頭を下げてウエイトレスは引き下がって行った。

 琵琶湖ドライブもそろそろ後半、青空の下を小一時間走ると「道の駅 アグリの里 栗東」だった。此処は日本で唯一、新幹線の見られる道の駅で、キッズと鉄道好きが大興奮する処だった。折しも丁度、時速二七五キロで走り抜ける新幹線の迫力ある高速走行を観ることが出来た。
「思った以上に遥かに迫力あったわね」
走り去った列車を見送りながら好美が驚きの感想を漏らした。
二人は暫く待ってみたが、ドクターイエローには出くわさなかった。ドクターイエローとは、新幹線区間において、線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行する新幹線のことである。
「滅多に見られないので“幸せの新幹線”と言われる程だから、まあ、止むを得んかも、な」
小高が好美を慰め、そして、アグリ栗東オリジナルのジェラードを買って彼女に手渡した。
まろやかで蕩ける口当たりで濃厚な味だった。
「冷たいわね、何なの?これ?」
「“凍った”と言う意味の名前が付いたイタリアの氷菓だよ。果汁、果肉、牛乳、砂糖、コーヒーや香草などを混ぜ合せて凍らせた菓子だ」
「アイスクリームにちょっと似ているけど味にコクが有るわね」
「うん、乳脂肪分が少なく低カロリーで、卵黄を使わないけど栄養価の高い健康食品だな」
「でも、今の時期だとやっぱり少し冷たくて寒くなるわ」
「そうだな。イタリアでも夏のものだからね」
 
 道の駅から凡そ三十分で琵琶湖大橋が見えて来た。これまで高い所や周囲から眺めて来た琵琶湖へ愈々突入である。滋賀県の湖東と湖西を結ぶ長い琵琶湖大橋を車は快適に渡って行った。景観に調和した曲線美が素晴らしく、良く晴れた今日は眺めも抜群で、まるで宙に浮いているような感覚に捉われた。
時速六十キロで走行するとタイヤの振動音で「琵琶湖周航の歌」が流れる仕組みの「メロディーロード」が六百米にも渡って設置されていた。
「此処は、メロディーロードの橋での設置は全国でも初めてで、設置されている中でも最も長い距離なんだ」
 帰りは天高く空気も澄んだ直線道路を一路京都へと車は走った。車は快適に走り続けた。
 
 好美の従事する仕事はイマジネーションとクリエイションの世界だったので、OLのように朝九時から夕方五時までなどと就労時間通りに終始するものではなかった。一たび仕事に取り掛かると何らかの納得出来る区切りが着くまで途中で止めることはなく、夜遅くまで或は夜を徹して、又は休みの日にまで彼女は仕事に没頭した。小高はウイークデイに好美と逢うことは殆ど不可能だったし、土日と言えども丸々一日を共に過ごすことは出来なかった。
 が、然し、翌週の日曜日にも二人は逢った。
「わたし、昔の古い名画が見たいの」
小高は好美を古い外国映画を観賞できる「京都名画座」へ案内した。丁度一九七〇年代のヒット作「コールガール」が上映されていた。それはニューヨークのコールガールを描いた劇的なサスペンス映画で、主演のジェーン・フォンダが最初のアカデミー賞主演女優賞に輝いていた。
 観終わった後の喫茶店でコーヒーを啜りながら好美が言った。
「何時の時代もファッションと映画は切っても切れない関係に在るのね。映画のワードロープがファッションデザイナーのインスピレーション源になったり、ヒロインが最新クチュールを披露したりして、映画の中のスタイルが年代を極めるのよ。今日の映画でも主人公が身に着けたフレアパンツやミニスカートやニーハイブーツ、深いVネックや後ろが大胆に開いたコートなどシャギーなヘアカットと共にこの年代の典型的なワードロープとなったんだと思うわ」
小高はその感想を聞いて好美が古い名画を見たがる訳を理解した。彼も感じるままに話を続けた。
「八〇年代の名画にもそれは言えると僕も思うよ。例えば“ワーキング・ガール”のビフォア・アフターは八〇年代のイケイケスタイルからプロフェッショナルなスタイルまでを完璧に表現していたからね」
「主人公を、流行を追い、チープを絵に描いたような生粋のスタテン・アイランドガールから、洗練され、パワースーツを着こなすマンハッタンのキャリアウーマンへと変身させていたものね」
「もう一つ有るよ、“フラッシュダンス”だ。カットオフしたスエットシャツやレッグウォーマー、それにレオタードなどが八〇年代の間にダンスウエアとストリートウエアの境界線をぼやかしたのだと思うよ」
「流石に元絵描きさんね。観察が鋭いわ。わたし、感心しちゃったなあ」
好美はそう言って小高の貌を正面から凝視した。
「その、元絵描き屋さん、と言う言い方は止めてくれよ。今でも偶には描いているんだからな」
好美はにっと微笑いながらも尚、真顔で小高を見つめ続けた。

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