7 / 108
第十四話 真実の愛を覚って
④結衣、和田紘一と偶然に再会する
しおりを挟む
大学の先輩である和田紘一には、半月前に、結衣は偶然に再会した。
土曜日の午後、結衣は会社の同僚である三人の女友達と待ち合わせて、大きな総合ホテルに付属するボーリング場に居た。
「わぁ、ストライク!凄い!」
「私も今度はストライクを出さなくっちゃ!」
結衣は楽し気に声を挙げる同僚たちと一緒に笑顔を見せて燥いで居た。
彼女はボールを投げ終えた後、ふと、二つ三つ隔てた右側のレーンに眼をやった。其処には二十六、七歳と思しき男女の四人連れが居て、折しもワイシャツ姿の男の方がボールを持って投球動作に入るところであった。その男の横顔を見た結衣は、瞬時に、あらっ、彼だわ、と思った。
ボーリングを終えた後、結衣と紘一はホテル一階のラウンジで冷たい飲み物を飲んで向かい合っていた。
「いつお帰りになったのですか?」
結衣の胸に万感の思いが込み上げていた。
「うん、三年間カナダのオタワに居て、この三月に東京の本社へ戻って来たよ」
「そうですか、随分ご立派になられて・・・」
「おいおい、そういう改まった言い方は止めてくれよ、面映ゆくていかんよ」
紘一はそう言って軽い笑いを浮かべた。
顔は精悍な表情の紘一だったが、眼には優しい穏やかな光をたたえていた。
昔のまんまだわ、と結衣は懐かしさで胸が熱くなった。と、今まで穏やかだった紘一の眼が急に鋭く光って結衣を凝視した。
「それで、これまで元気にやって来たんだろうな?」
「あっ、はい」
「そうか。それで安心した。あれからずう~っと気にはしていたのだが・・・」
結衣の身体の中で何かが弾けた。
ずう~っと気にかけてくれていたんだ、私のことを・・・
そして、あの頃の親しかった懐かしい思いが胸に蘇って、二人の間の三年間の距離が一気に縮まるのを感じた。話す言葉まで昔の調子に戻っていた。
「ねえ、憶えている?初めて渋谷シアターへ文学座の芝居を見に行った時のことを」
「ああ、確か“コスモス文学会”のメンバー五、六人で行ったんじゃなかったかなぁ」
「あの時、劇場の建物のことで議論したのよね、何人かが」
「さあ、そうだったかな・・・」
「あの時、誰かがこう言ったのよ」
結衣はその時の言葉を反芻して紘一に聞かせた。
「こんなのは劇場じゃない。劇場って言うのは何よりももっと広いロビーを持たなければいけない。挨拶をし、お喋りをする為の広いロビーを、な。劇場へ来るのは何かを研究をする為ではない、楽しみに来るんだ。その為の社交の場となる広いロビーが無ければ劇場じゃない。秀でた芝居はそうしたロビーのお喋りから初めて生まれるんだよ」
それを訊いた紘一は芝居を観た後、皆と別れて、肩を窄めて、独りで帰ってしまったのだった。
「俺は、劇場がどうの、ロビーがどうの、と、そんなことはどうでも良かったんだ。そして、芝居そのものさえどうでも良い気持ちになってしまったんだな、きっと」
「でも、あなたの心の奥深い処では、自分が観なくて誰が芝居を観るんだ、って思っていたのよね」
結衣はそれが解かった時、ああ、私はこの人が好きなんだわ、と意識してしまった。その後、独りで帰って行く紘一に追いついた結衣は、何も語らずに、暗い道を並んで歩いて帰ったのだった。
若い恋人同士であった頃の記憶や別れた時の記憶が潮のように結衣の胸に打ち寄せて高まって来た。が、それらは全てもう過ぎ去ったことであった。たとえ、その二人の時間が互いの若さ故の無知に満ちていたにせよ、その時間は既に生き終えられた時間であった。その時、二人は各々、自分の生の時間のある部分を確実に生きていたのであり、今、其処に何らかの心残りなど在ってはならないことなのであった。結衣にもそれはよく解っていた。唯、結衣は紘一と初めて逢った時のことも別れた時のことも未だによく憶えていた。
「ねえ、初めて二人が逢った時のことを覚えている?」
「ああ、憶えているよ」
土曜日の午後、結衣は会社の同僚である三人の女友達と待ち合わせて、大きな総合ホテルに付属するボーリング場に居た。
「わぁ、ストライク!凄い!」
「私も今度はストライクを出さなくっちゃ!」
結衣は楽し気に声を挙げる同僚たちと一緒に笑顔を見せて燥いで居た。
彼女はボールを投げ終えた後、ふと、二つ三つ隔てた右側のレーンに眼をやった。其処には二十六、七歳と思しき男女の四人連れが居て、折しもワイシャツ姿の男の方がボールを持って投球動作に入るところであった。その男の横顔を見た結衣は、瞬時に、あらっ、彼だわ、と思った。
ボーリングを終えた後、結衣と紘一はホテル一階のラウンジで冷たい飲み物を飲んで向かい合っていた。
「いつお帰りになったのですか?」
結衣の胸に万感の思いが込み上げていた。
「うん、三年間カナダのオタワに居て、この三月に東京の本社へ戻って来たよ」
「そうですか、随分ご立派になられて・・・」
「おいおい、そういう改まった言い方は止めてくれよ、面映ゆくていかんよ」
紘一はそう言って軽い笑いを浮かべた。
顔は精悍な表情の紘一だったが、眼には優しい穏やかな光をたたえていた。
昔のまんまだわ、と結衣は懐かしさで胸が熱くなった。と、今まで穏やかだった紘一の眼が急に鋭く光って結衣を凝視した。
「それで、これまで元気にやって来たんだろうな?」
「あっ、はい」
「そうか。それで安心した。あれからずう~っと気にはしていたのだが・・・」
結衣の身体の中で何かが弾けた。
ずう~っと気にかけてくれていたんだ、私のことを・・・
そして、あの頃の親しかった懐かしい思いが胸に蘇って、二人の間の三年間の距離が一気に縮まるのを感じた。話す言葉まで昔の調子に戻っていた。
「ねえ、憶えている?初めて渋谷シアターへ文学座の芝居を見に行った時のことを」
「ああ、確か“コスモス文学会”のメンバー五、六人で行ったんじゃなかったかなぁ」
「あの時、劇場の建物のことで議論したのよね、何人かが」
「さあ、そうだったかな・・・」
「あの時、誰かがこう言ったのよ」
結衣はその時の言葉を反芻して紘一に聞かせた。
「こんなのは劇場じゃない。劇場って言うのは何よりももっと広いロビーを持たなければいけない。挨拶をし、お喋りをする為の広いロビーを、な。劇場へ来るのは何かを研究をする為ではない、楽しみに来るんだ。その為の社交の場となる広いロビーが無ければ劇場じゃない。秀でた芝居はそうしたロビーのお喋りから初めて生まれるんだよ」
それを訊いた紘一は芝居を観た後、皆と別れて、肩を窄めて、独りで帰ってしまったのだった。
「俺は、劇場がどうの、ロビーがどうの、と、そんなことはどうでも良かったんだ。そして、芝居そのものさえどうでも良い気持ちになってしまったんだな、きっと」
「でも、あなたの心の奥深い処では、自分が観なくて誰が芝居を観るんだ、って思っていたのよね」
結衣はそれが解かった時、ああ、私はこの人が好きなんだわ、と意識してしまった。その後、独りで帰って行く紘一に追いついた結衣は、何も語らずに、暗い道を並んで歩いて帰ったのだった。
若い恋人同士であった頃の記憶や別れた時の記憶が潮のように結衣の胸に打ち寄せて高まって来た。が、それらは全てもう過ぎ去ったことであった。たとえ、その二人の時間が互いの若さ故の無知に満ちていたにせよ、その時間は既に生き終えられた時間であった。その時、二人は各々、自分の生の時間のある部分を確実に生きていたのであり、今、其処に何らかの心残りなど在ってはならないことなのであった。結衣にもそれはよく解っていた。唯、結衣は紘一と初めて逢った時のことも別れた時のことも未だによく憶えていた。
「ねえ、初めて二人が逢った時のことを覚えている?」
「ああ、憶えているよ」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる