愛の讃歌

相良武有

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第十四話 真実の愛を覚って

④結衣、和田紘一と偶然に再会する

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 大学の先輩である和田紘一には、半月前に、結衣は偶然に再会した。
土曜日の午後、結衣は会社の同僚である三人の女友達と待ち合わせて、大きな総合ホテルに付属するボーリング場に居た。
「わぁ、ストライク!凄い!」
「私も今度はストライクを出さなくっちゃ!」
結衣は楽し気に声を挙げる同僚たちと一緒に笑顔を見せて燥いで居た。
彼女はボールを投げ終えた後、ふと、二つ三つ隔てた右側のレーンに眼をやった。其処には二十六、七歳と思しき男女の四人連れが居て、折しもワイシャツ姿の男の方がボールを持って投球動作に入るところであった。その男の横顔を見た結衣は、瞬時に、あらっ、彼だわ、と思った。
 
 ボーリングを終えた後、結衣と紘一はホテル一階のラウンジで冷たい飲み物を飲んで向かい合っていた。
「いつお帰りになったのですか?」
結衣の胸に万感の思いが込み上げていた。
「うん、三年間カナダのオタワに居て、この三月に東京の本社へ戻って来たよ」
「そうですか、随分ご立派になられて・・・」
「おいおい、そういう改まった言い方は止めてくれよ、面映ゆくていかんよ」
紘一はそう言って軽い笑いを浮かべた。
顔は精悍な表情の紘一だったが、眼には優しい穏やかな光をたたえていた。
昔のまんまだわ、と結衣は懐かしさで胸が熱くなった。と、今まで穏やかだった紘一の眼が急に鋭く光って結衣を凝視した。
「それで、これまで元気にやって来たんだろうな?」
「あっ、はい」
「そうか。それで安心した。あれからずう~っと気にはしていたのだが・・・」
結衣の身体の中で何かが弾けた。
ずう~っと気にかけてくれていたんだ、私のことを・・・
そして、あの頃の親しかった懐かしい思いが胸に蘇って、二人の間の三年間の距離が一気に縮まるのを感じた。話す言葉まで昔の調子に戻っていた。
「ねえ、憶えている?初めて渋谷シアターへ文学座の芝居を見に行った時のことを」
「ああ、確か“コスモス文学会”のメンバー五、六人で行ったんじゃなかったかなぁ」
「あの時、劇場の建物のことで議論したのよね、何人かが」
「さあ、そうだったかな・・・」
「あの時、誰かがこう言ったのよ」
結衣はその時の言葉を反芻して紘一に聞かせた。
「こんなのは劇場じゃない。劇場って言うのは何よりももっと広いロビーを持たなければいけない。挨拶をし、お喋りをする為の広いロビーを、な。劇場へ来るのは何かを研究をする為ではない、楽しみに来るんだ。その為の社交の場となる広いロビーが無ければ劇場じゃない。秀でた芝居はそうしたロビーのお喋りから初めて生まれるんだよ」
それを訊いた紘一は芝居を観た後、皆と別れて、肩を窄めて、独りで帰ってしまったのだった。
「俺は、劇場がどうの、ロビーがどうの、と、そんなことはどうでも良かったんだ。そして、芝居そのものさえどうでも良い気持ちになってしまったんだな、きっと」
「でも、あなたの心の奥深い処では、自分が観なくて誰が芝居を観るんだ、って思っていたのよね」
結衣はそれが解かった時、ああ、私はこの人が好きなんだわ、と意識してしまった。その後、独りで帰って行く紘一に追いついた結衣は、何も語らずに、暗い道を並んで歩いて帰ったのだった。
 若い恋人同士であった頃の記憶や別れた時の記憶が潮のように結衣の胸に打ち寄せて高まって来た。が、それらは全てもう過ぎ去ったことであった。たとえ、その二人の時間が互いの若さ故の無知に満ちていたにせよ、その時間は既に生き終えられた時間であった。その時、二人は各々、自分の生の時間のある部分を確実に生きていたのであり、今、其処に何らかの心残りなど在ってはならないことなのであった。結衣にもそれはよく解っていた。唯、結衣は紘一と初めて逢った時のことも別れた時のことも未だによく憶えていた。
「ねえ、初めて二人が逢った時のことを覚えている?」
「ああ、憶えているよ」
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