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第八話 クラス会の賜物は元恋人の従妹だった
②その昔、学生寮は大学から二十分程の処に在った
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その寮は京都芸術大学から二十分程の処に在った。彼は人体のディテールを描くとずば抜けて巧かったし、絵が滅茶苦茶に大好きな子供だったので、好きこそものの上手なれ、難関の芸大美術学部に入学出来ていたのである。
小高の部屋は最上階の大きくて陽当たりの良い角に在り、廊下を隔てて奥村が居たし、その直ぐ下の階には徳田洋子が居て、一階には田口繁雄が住んでいた。それは、ワインとアートとジャズを観たり聴いたり飲んだりする為に通ったあのショット・バー「フレンド・ハート」の全盛期の頃のことであった。
あの年の徳田洋子のような、細い眉に色白の瓜実顔、傷一つ無いすべすべの肌、表現力豊かな笑窪の刻まれる口元、見るからに一目で魅せられる女性、そんな女性にそれまで小高は一度も出逢ったことが無かった。洋子は岡山の広い山林田畑を有する資産家の家に生まれ、乗馬とアートが趣味の育ちの良い女性だったが、何故か安価な学生寮に住まっていた。
後で親しくなってから小高が訊ねると、彼女はいとも簡潔明瞭に答えた。
「先ず部屋代が安かったし、近かったし、それに住人が皆、同じ大学の学生ばかりだったから安全で安心で気易かったのよ。入居の許可を貰った時は、ラッキー!って思ったわ」
入学後の二、三か月間は、廊下で擦れ違う度に、高価そうな皮製の画帳を小脇に、片手には本を抱えて、洋子は忙しく足早に動き回っていた。
最初は、小高が「やあ」と声を掛け、洋子が「こんにちわ」と答えた。
次に、小高が「今、何時?」と時間を尋ね、彼女がデッサン用の木炭を貸して欲しいと言って来た。
それから、小高は洋子の食料の買出しを手伝い、彼女はクラスの先生について小高に質問して来た。夏休みに帰省した時には彼にも故郷岡山の名産「マスカットきびだんご」を手土産に買って来てくれた。
そして、前期試験の終わった十月初めに、小高は洋子に、絵のモデルになって欲しい、と頼んだ。
「良いわよ、解ったわ」
そう言って、洋子はある金曜日の夜に小高の部屋にやって来てバスルームで裸になった。彼女は、小高が画用紙に手早く、だが少し緊張しながらスケッチをしている間も、恥じる様子も無く全裸のまま歩き回り、椅子に腰を下ろして本を読んだり、彼に話しかけたりした。その時、小高が彼女とした話は、彼も読まなくてはならないことになっていた二人の著名な批評家の絵画論であった。それは、モダニズムについてであり、イメージの終焉についてであり、絵画の平面性の勝利といったことであり、また、肖像芸術の否定についてなどと言った説であった。芸術大学の学生と言えば、その頃は、誰もがそんな抽象的な話ばかりしていたのである。
そして、モンクのジャズCDを聴きながら洋子は初めて小高のことを訊ねた。
「あなたは何処の出身なの?」
「僕は人家の屋根が混み合う街並みの低い京都西陣で生まれ育ったんだ。両親は僕が生まれる二年前に石川県の小松から京都に移り住んだ。親父は大工職人で母親は病院の看護師。弟も妹も何方も絵が巧いから僕と同じように美大に入りたいと言っているよ。でも、家は金が無いから僕は奨学金を貰って通って居るけどね」
洋子の方も彼女が育った岡山の街や金持の暮らしとかについて語った。小高にはピンと来ない世界の話だった。
「ねえ、絵が描き上がったら、一度あなたの街へ連れて行ってくれない?」
「ああ、良いよ、そうするとしよう」
小高は洋子をモデルにして合計二十枚のドローイングを完成した。そして、二人はベッドを共にした。
翌日の夜、二人は西陣の街を訪れた。
応仁の乱で西軍総大将の山名宗全らが堀川よりも西の土地に陣を構えたことから「西陣」の名が始まった。京都では大昔から織物作りが行われ、平安時代には現在の西陣の南側に織物職人が集まっていた。平安後期には「大舎人の綾」「大宮の絹」と呼ばれる織物が作られ、独自の重厚な織物は寺社の装飾に用いられた。応仁の乱の後、各地に離散していた織物職人が京都に戻って来て、西陣と呼ばれる地で織物づくりを再開したのである。
西陣の入り口で小高はタクシーを停め、洋子と連れ立って一緒に降りた。
西陣の屋根は一面に暗い色をして沈んでいた。が、屋根の所々が四角に光っていた。その光っているのは、西陣の家々の電燈の下の生活が空へ流れて行く窓口となっているのだった。昼はその屋根のガラスの窓から陽の光が零れて入り、夜は其処から西陣の夜の生活が空へ向けて黄色く輝くのである。それは“天窓”であった。
星がきらきらと輝いている今夜も、その四角な窓は二つ三つと消えて行って、西陣の屋根は一面に暗い色で深く沈んでいた。
路地が三方に分かれて続いていた。紅殻格子が隣り合って並ぶ間を、屋根と屋根とが隣り合って並ぶ間を、生活の風の吹いている路地が続いていた。吹き溜まりには石の地蔵が在って寺の門に続いていた。
小高が屋根の犇めく路地の奥を見やって言った。
「屋根と屋根との接近している間の路地は、西陣に生き続けて来た音を封じ込め、生活の風の吹いている路地は曲がって、歴史の奥へ通う風の道に続いているんだ」
洋子は思った。
西陣で生まれ育った彼の心の中には、歴史の流れる風が吹いているのではないか、それが彼の絵画の原点ではないか・・・
西陣を後にした二人は堀川の一条に架る橋の袂で足を止めた。
一条戻り橋・・・
「戻り橋」の名は、大昔、漢学者三好清行の葬列がこの橋を通った際に、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた熊野で修行中の息子浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに一時生き返って父子が抱き合った、という伝説に由来している。
嫁入り前の女性や縁談に関わる人々は、嫁が実家に戻って来てはいけないという意味から、この橋に近づかないという慣習があるし、逆に太平洋戦争中は、応召兵とその家族は兵が無事に戻ってくることを願ってこの橋に渡りに来ることがあったと言う。
「渡ってはいけないということと渡らねばならないと言うことの二つの意味を持つ橋と言う訳ね・・・」
小高は此処に伝わる父と子の悲しい会話を洋子に語って聞かせた。
「お前の母はこの戻り橋を渡って行ったのに、お前のところには帰って来なかった」
「この橋を渡って、何処かへ、なんで、行ってしもうたんや?」
「父にもそれは解らない。母もお前のところだけへは帰ろうと思って、この戻り橋を重た
い心で渡って行ったんだろうよ」
「戻り橋やのに、なんで、戻って来いひんかったんや?」
「戻り橋を渡って行ったからと言って、戻って来ると決まっているものではない。人間は
どうにもならない時、暗い風の吹く向こうに光っている何かを見たいから、そうするだけ
なんだよ」
「みんな悲しいのんやなあ」
「そうだとも。みんな悲しいものだから、戻り橋を暗く重たい心で渡って行くのだよ。見
てごらんこの水の色を。真っ黒に空が映っているだけだよな」
話を聴き終わった洋子が小高の胸に顔を埋め、やがて、顔を上げた洋子の唇に小高の唇がそっと重ねられた。
「わたし、あなたを幸せにしてあげたいわ」
洋子が囁いた。切実な思いが籠められている声だった。
小高の部屋は最上階の大きくて陽当たりの良い角に在り、廊下を隔てて奥村が居たし、その直ぐ下の階には徳田洋子が居て、一階には田口繁雄が住んでいた。それは、ワインとアートとジャズを観たり聴いたり飲んだりする為に通ったあのショット・バー「フレンド・ハート」の全盛期の頃のことであった。
あの年の徳田洋子のような、細い眉に色白の瓜実顔、傷一つ無いすべすべの肌、表現力豊かな笑窪の刻まれる口元、見るからに一目で魅せられる女性、そんな女性にそれまで小高は一度も出逢ったことが無かった。洋子は岡山の広い山林田畑を有する資産家の家に生まれ、乗馬とアートが趣味の育ちの良い女性だったが、何故か安価な学生寮に住まっていた。
後で親しくなってから小高が訊ねると、彼女はいとも簡潔明瞭に答えた。
「先ず部屋代が安かったし、近かったし、それに住人が皆、同じ大学の学生ばかりだったから安全で安心で気易かったのよ。入居の許可を貰った時は、ラッキー!って思ったわ」
入学後の二、三か月間は、廊下で擦れ違う度に、高価そうな皮製の画帳を小脇に、片手には本を抱えて、洋子は忙しく足早に動き回っていた。
最初は、小高が「やあ」と声を掛け、洋子が「こんにちわ」と答えた。
次に、小高が「今、何時?」と時間を尋ね、彼女がデッサン用の木炭を貸して欲しいと言って来た。
それから、小高は洋子の食料の買出しを手伝い、彼女はクラスの先生について小高に質問して来た。夏休みに帰省した時には彼にも故郷岡山の名産「マスカットきびだんご」を手土産に買って来てくれた。
そして、前期試験の終わった十月初めに、小高は洋子に、絵のモデルになって欲しい、と頼んだ。
「良いわよ、解ったわ」
そう言って、洋子はある金曜日の夜に小高の部屋にやって来てバスルームで裸になった。彼女は、小高が画用紙に手早く、だが少し緊張しながらスケッチをしている間も、恥じる様子も無く全裸のまま歩き回り、椅子に腰を下ろして本を読んだり、彼に話しかけたりした。その時、小高が彼女とした話は、彼も読まなくてはならないことになっていた二人の著名な批評家の絵画論であった。それは、モダニズムについてであり、イメージの終焉についてであり、絵画の平面性の勝利といったことであり、また、肖像芸術の否定についてなどと言った説であった。芸術大学の学生と言えば、その頃は、誰もがそんな抽象的な話ばかりしていたのである。
そして、モンクのジャズCDを聴きながら洋子は初めて小高のことを訊ねた。
「あなたは何処の出身なの?」
「僕は人家の屋根が混み合う街並みの低い京都西陣で生まれ育ったんだ。両親は僕が生まれる二年前に石川県の小松から京都に移り住んだ。親父は大工職人で母親は病院の看護師。弟も妹も何方も絵が巧いから僕と同じように美大に入りたいと言っているよ。でも、家は金が無いから僕は奨学金を貰って通って居るけどね」
洋子の方も彼女が育った岡山の街や金持の暮らしとかについて語った。小高にはピンと来ない世界の話だった。
「ねえ、絵が描き上がったら、一度あなたの街へ連れて行ってくれない?」
「ああ、良いよ、そうするとしよう」
小高は洋子をモデルにして合計二十枚のドローイングを完成した。そして、二人はベッドを共にした。
翌日の夜、二人は西陣の街を訪れた。
応仁の乱で西軍総大将の山名宗全らが堀川よりも西の土地に陣を構えたことから「西陣」の名が始まった。京都では大昔から織物作りが行われ、平安時代には現在の西陣の南側に織物職人が集まっていた。平安後期には「大舎人の綾」「大宮の絹」と呼ばれる織物が作られ、独自の重厚な織物は寺社の装飾に用いられた。応仁の乱の後、各地に離散していた織物職人が京都に戻って来て、西陣と呼ばれる地で織物づくりを再開したのである。
西陣の入り口で小高はタクシーを停め、洋子と連れ立って一緒に降りた。
西陣の屋根は一面に暗い色をして沈んでいた。が、屋根の所々が四角に光っていた。その光っているのは、西陣の家々の電燈の下の生活が空へ流れて行く窓口となっているのだった。昼はその屋根のガラスの窓から陽の光が零れて入り、夜は其処から西陣の夜の生活が空へ向けて黄色く輝くのである。それは“天窓”であった。
星がきらきらと輝いている今夜も、その四角な窓は二つ三つと消えて行って、西陣の屋根は一面に暗い色で深く沈んでいた。
路地が三方に分かれて続いていた。紅殻格子が隣り合って並ぶ間を、屋根と屋根とが隣り合って並ぶ間を、生活の風の吹いている路地が続いていた。吹き溜まりには石の地蔵が在って寺の門に続いていた。
小高が屋根の犇めく路地の奥を見やって言った。
「屋根と屋根との接近している間の路地は、西陣に生き続けて来た音を封じ込め、生活の風の吹いている路地は曲がって、歴史の奥へ通う風の道に続いているんだ」
洋子は思った。
西陣で生まれ育った彼の心の中には、歴史の流れる風が吹いているのではないか、それが彼の絵画の原点ではないか・・・
西陣を後にした二人は堀川の一条に架る橋の袂で足を止めた。
一条戻り橋・・・
「戻り橋」の名は、大昔、漢学者三好清行の葬列がこの橋を通った際に、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた熊野で修行中の息子浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに一時生き返って父子が抱き合った、という伝説に由来している。
嫁入り前の女性や縁談に関わる人々は、嫁が実家に戻って来てはいけないという意味から、この橋に近づかないという慣習があるし、逆に太平洋戦争中は、応召兵とその家族は兵が無事に戻ってくることを願ってこの橋に渡りに来ることがあったと言う。
「渡ってはいけないということと渡らねばならないと言うことの二つの意味を持つ橋と言う訳ね・・・」
小高は此処に伝わる父と子の悲しい会話を洋子に語って聞かせた。
「お前の母はこの戻り橋を渡って行ったのに、お前のところには帰って来なかった」
「この橋を渡って、何処かへ、なんで、行ってしもうたんや?」
「父にもそれは解らない。母もお前のところだけへは帰ろうと思って、この戻り橋を重た
い心で渡って行ったんだろうよ」
「戻り橋やのに、なんで、戻って来いひんかったんや?」
「戻り橋を渡って行ったからと言って、戻って来ると決まっているものではない。人間は
どうにもならない時、暗い風の吹く向こうに光っている何かを見たいから、そうするだけ
なんだよ」
「みんな悲しいのんやなあ」
「そうだとも。みんな悲しいものだから、戻り橋を暗く重たい心で渡って行くのだよ。見
てごらんこの水の色を。真っ黒に空が映っているだけだよな」
話を聴き終わった洋子が小高の胸に顔を埋め、やがて、顔を上げた洋子の唇に小高の唇がそっと重ねられた。
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