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第10話 思春期
③「面白い所が有るわよ、行ってみない?」
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それは中学二年生の秋だった。
「面白い所が有るわよ、行ってみない?」
昼休みが終わって教室へ戻る、どさくさ紛れの素早い耳打ちだった。聡亮がきょとんとしている間に香織はもう仲間の女生徒達と一緒に教室へ入って行った。
聡亮は香織の誘いが意外だった。悪戯好きの女生徒だったので揶揄われたのかとも思った。香織はその後、耳打ちしたことなど忘れたかのように素知らぬ態で振る舞っていた。帰り際になって、彼女は「落とし物よ」と偽って、丸めた紙切れを聡亮の手に渡した。紙切れには空き家の場所が書かれていた。
家に帰ると聡亮は直ぐに私服に着替えて空き家へ急いだ。好奇心に駆られても居たが、何しろ、女の子からの誘いである。心が浮き立っていた。
空き家は直ぐに判った。
それは大河と大通りが交叉する辺りから少し南へ下がった処に在った。
聡亮が空き家の庭に忍び込むと、古びた母屋の前に古びた物置小屋が在った。庭は荒れ放題で雑草が生い茂り、今が盛りの花々も野生の花のように猛々しかった。空き家は袋小路の奥に在って表通りからは眼につかなかった。香織の住む戸建て住宅は直ぐ近くであったが、よく此処を見つけたものだ、と聡亮は感心した。
母屋は部屋数の多そうな平屋建ての大きな邸宅で、玄関にも窓にも板が打ち着けられていた。が、物置小屋の方には板は打ち着けられておらず、物置にしては大きな中二階の小屋だった。階下には窓は無かったが、中二階には小さな南向きの窓があり、天気の良い今日は日の光が窓ガラスにきらきらと反射していた。
空き家で香織と落ち合うまでは、聡亮は不安だった。略図まで手渡されてはいたが、彼女にすっぽかされる懸念を拭い切れなかった。だが、香織はちゃんと先に来て、物置小屋の前で待って居た。
聡亮は物置小屋に近寄って戸を開けた。戸はガタガタであった。中二階の窓には陽が当たっていたが、戸口からは陽が差し込まず、内部は仄暗くて黴臭かった。
正面に中二階へ上る短い梯子があった。香織が先に立って梯子を上った。上部を固定した梯子であったが、殆ど垂直に架けられていた。彼女に続いて聡亮が上ると、スカートの裾からパンティが覗き、彼の心は落ち着きを失ってどぎまぎした。香織は手足の長い女の子であったが、太腿は思いがけぬほど肉付きが良かった。
上へ上がると、いつの間にか香織がきっちりと聡亮の手を握っていた。女の子と手を握り合うのは幼稚園に通っていた頃か或は小学校一年生の時以来であった。否、正確には手を握り合っていたとは言えない。香織の手を感じた瞬間、聡亮は爪先から肩まで棒のようにしゃちこばって、身動き出来ずに居たのである。彼女の手は冷たく汗ばんでいた。
それから、香織は聡亮の顔をじっと見上げて、不意にその唇にチュッと触れた。それはまろやかな少女の唇だった。
もしもその時、手を繋ぎ合い、唇を触れ合わなければ、聡亮は二度と空き家へは行かなかったかも知れない。それから二人は、その空き家の物置小屋で頻繁に逢うようになり、急速に親しくなった。
だが、冬になって聡亮はインフルエンザに罹り、熱を出して寝込んだ。
一週間休んで学校へ行くと、香織の態度がよそよそしかった。聡亮の顔など見たくもない、という態度で、プイと横を向いた。何度、彼女の顔を窺ってみても同じだった。聡亮には香織の変化が訝しかった。一週間もの間、物置へ行かなかったので、香織の機嫌を損ねたのだろうか?聡亮は彼女と話したかったが、学校では無理だった。
授業が終わると聡亮は真直ぐに空き家へ向かった。
雨雲が拡がっていた。今にも泣き出しそうな空であった。
聡亮は空き家の辺りまで来て、思わず立ち止まった。
空き家も物置小屋も見当たらなかった。土台のコンクリートだけを残して二棟の建物は跡形も無く消え失せていた。
一体、何日の間に取り壊されたのだろう?無論、この一週間の間に違いなかった。
香織もさぞ驚き、哀しんだことだろう・・・彼女は一人切りでこの事態に立ち向かわなければならなかったのだ!あの物置小屋は、二人にとっては、奥深い森の中の眩い城みたいな存在だったのだから・・・。聡亮は香織が不機嫌なのも解るような気がした。
雨がポツリと聡亮の項に落ちた。彼は肩を窄めて空き家の在った辺りを後にした。
「面白い所が有るわよ、行ってみない?」
昼休みが終わって教室へ戻る、どさくさ紛れの素早い耳打ちだった。聡亮がきょとんとしている間に香織はもう仲間の女生徒達と一緒に教室へ入って行った。
聡亮は香織の誘いが意外だった。悪戯好きの女生徒だったので揶揄われたのかとも思った。香織はその後、耳打ちしたことなど忘れたかのように素知らぬ態で振る舞っていた。帰り際になって、彼女は「落とし物よ」と偽って、丸めた紙切れを聡亮の手に渡した。紙切れには空き家の場所が書かれていた。
家に帰ると聡亮は直ぐに私服に着替えて空き家へ急いだ。好奇心に駆られても居たが、何しろ、女の子からの誘いである。心が浮き立っていた。
空き家は直ぐに判った。
それは大河と大通りが交叉する辺りから少し南へ下がった処に在った。
聡亮が空き家の庭に忍び込むと、古びた母屋の前に古びた物置小屋が在った。庭は荒れ放題で雑草が生い茂り、今が盛りの花々も野生の花のように猛々しかった。空き家は袋小路の奥に在って表通りからは眼につかなかった。香織の住む戸建て住宅は直ぐ近くであったが、よく此処を見つけたものだ、と聡亮は感心した。
母屋は部屋数の多そうな平屋建ての大きな邸宅で、玄関にも窓にも板が打ち着けられていた。が、物置小屋の方には板は打ち着けられておらず、物置にしては大きな中二階の小屋だった。階下には窓は無かったが、中二階には小さな南向きの窓があり、天気の良い今日は日の光が窓ガラスにきらきらと反射していた。
空き家で香織と落ち合うまでは、聡亮は不安だった。略図まで手渡されてはいたが、彼女にすっぽかされる懸念を拭い切れなかった。だが、香織はちゃんと先に来て、物置小屋の前で待って居た。
聡亮は物置小屋に近寄って戸を開けた。戸はガタガタであった。中二階の窓には陽が当たっていたが、戸口からは陽が差し込まず、内部は仄暗くて黴臭かった。
正面に中二階へ上る短い梯子があった。香織が先に立って梯子を上った。上部を固定した梯子であったが、殆ど垂直に架けられていた。彼女に続いて聡亮が上ると、スカートの裾からパンティが覗き、彼の心は落ち着きを失ってどぎまぎした。香織は手足の長い女の子であったが、太腿は思いがけぬほど肉付きが良かった。
上へ上がると、いつの間にか香織がきっちりと聡亮の手を握っていた。女の子と手を握り合うのは幼稚園に通っていた頃か或は小学校一年生の時以来であった。否、正確には手を握り合っていたとは言えない。香織の手を感じた瞬間、聡亮は爪先から肩まで棒のようにしゃちこばって、身動き出来ずに居たのである。彼女の手は冷たく汗ばんでいた。
それから、香織は聡亮の顔をじっと見上げて、不意にその唇にチュッと触れた。それはまろやかな少女の唇だった。
もしもその時、手を繋ぎ合い、唇を触れ合わなければ、聡亮は二度と空き家へは行かなかったかも知れない。それから二人は、その空き家の物置小屋で頻繁に逢うようになり、急速に親しくなった。
だが、冬になって聡亮はインフルエンザに罹り、熱を出して寝込んだ。
一週間休んで学校へ行くと、香織の態度がよそよそしかった。聡亮の顔など見たくもない、という態度で、プイと横を向いた。何度、彼女の顔を窺ってみても同じだった。聡亮には香織の変化が訝しかった。一週間もの間、物置へ行かなかったので、香織の機嫌を損ねたのだろうか?聡亮は彼女と話したかったが、学校では無理だった。
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雨雲が拡がっていた。今にも泣き出しそうな空であった。
聡亮は空き家の辺りまで来て、思わず立ち止まった。
空き家も物置小屋も見当たらなかった。土台のコンクリートだけを残して二棟の建物は跡形も無く消え失せていた。
一体、何日の間に取り壊されたのだろう?無論、この一週間の間に違いなかった。
香織もさぞ驚き、哀しんだことだろう・・・彼女は一人切りでこの事態に立ち向かわなければならなかったのだ!あの物置小屋は、二人にとっては、奥深い森の中の眩い城みたいな存在だったのだから・・・。聡亮は香織が不機嫌なのも解るような気がした。
雨がポツリと聡亮の項に落ちた。彼は肩を窄めて空き家の在った辺りを後にした。
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