人生の時の瞬

相良武有

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第6話 忍ぶ恋

②営業アシスタントの瀬戸優子

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 清水は、優子が営業アシスタントとして初めて自分の眼の前に現れた時の印象を今もよく覚えている。彼女はふっくらとした色白の丸顔に涼やかな大きな瞳をしていた。凡そ刺々しさなど微塵も感じさせない円やかさがあった。そして、その外見とは裏腹に、仕事に対しては懸命に真摯に取組んだ。その姿は健気でさえあった。二人の所属した部門では、一人の営業マンに一人の女性アシスタントが付いていたので、清水は新規顧客の開拓と既存得意先からの受注活動に専念し、得意先や製造部門とのデリバリー或いは伝票処理や売掛金回収などの営業事務は全て優子にやって貰った。
 清水の営業活動が活発で受注が立込んだ時には、優子は居残り残業で手際よくその処理をしてくれた。そんな時には、偶には清水は優子を労って夕食に誘ったりした。最初は断わられるかと一寸逡巡したが、優子は「有難うございます。是非ご一緒させて下さい」と言って従いて来た。
「清水さん。わたしは未だ新米で余りお役に立てないんですけど、一生懸命にやりますから私に出来ることがあれば、何なりと言いつけて下さいね。未だ仕事の意義も良く解っていない未熟者ですけれど、宜しくご指導をお願いします」
何事にも真面目で謙虚な優子に、清水も、この娘が早く一人前に育つよう出来るだけの力を貸そう、と胸の中で思った。
「そうだな。いつの世にあっても仕事は一人で出来るものではないし、自分の仕事だけ出来れば良いという会社も無い。会社には、必ずやるべきことと絶対にしてはいけないタブーとが有る。別に難しいことではない、極く常識的なことだよ。然し、常識的なことが出来ない人間は、どんなに能力が有ろうと、一時は成功しても、結局は舞台から降りざるを得ないことになる」
「常識的なことと言いますと、日常の意識や習慣を変える、ということですか?」
「うん。会社で仕事をする人間には三地点主義が必要だと思う。会社と自宅の二点を往復するだけでなく、もう一点自分の場所を見つけ、偶には其処を通って帰る。それが生活全体にメリハリをつけるということになる」
「解かりました。アフターファイブに映画を観るなり、アスレチッククラブで汗を流すなりして、センスアップを図るということですね」
「企業を伸ばす要素が効率性から創造性に移行した現代では、自己埋没型のビジネスマンは要らない。そんな人間には、困難な時代を切り開く発想は期待出来ない。そして、独創的な発想に何より大切なのは、何事にも好奇心を持ち、一つ一つのことに熱中する心の態度ではないだろうか、脳を刺激し、感性を磨くには、日常では触れることの少ない自然の在り様や人間に対しての感情を、活き活きと働かせる心がけが大切だと思うよ」
「例えば、週末に海岸を歩くとか、野山を散歩するとかして、感情を豊にすることが大事なのですね」
「朝の時間活用にも同じことが言える。ゆっくり食事をし、朝刊にも眼を通しておく、そういう余裕を持って電車に乗る、そうすれば、乾いた心に水が浸み通るような朝が過ごせるだろう。だが、多くの人は、慌てて身支度をし、混雑のピークにある電車に小走りで駆け込む。これでは感性は閉ざされたままだよ」
優子は、膨大な仕事をこなしているのに悠然としている人と、せかせかと仕事に追われている人との違いは、案外この辺に秘密が有るのかも知れないわ、と思った。
「俺はビジネスマンとして良い仕事をしたいと思うから、よしやってやるぞ、という熱い闘志を胸の中に滾らせているが、君もこれからそういう気概を持って仕事に取組んでくれると嬉しいよ」
優子は真剣な眼差しで一つ一つ頷きながら清水の話に聞き入った。
 清水の話し振りは、固い仕事の話でありながら、飾り気が無く率直で謙虚であった。長身のがっちりした身体に似合わずその態度はもの静かであったし、自分をひけらかすことも無かった。それに、清水は有能な営業マンであるのに、仕事以外の話では口数もそう多くは無く、優子の話に誠実に耳を傾け、包み込むような包容力を感じさせた。
話を聞きながら優子は、この人は自分の信念をしっかり持った強い人なんだ、と好感を持った。
 清水も、飾らない率直な優子の言葉や態度や温かい人柄を好もしく思った。黒く大きな瞳と色白のふっくらとした頬の、表情豊かな優子の明るい容貌にも惹かれた。清水は、この娘は賢くて優しい娘だ、と思った。
優子は有意義で愉しい思いに浸りながら二人の遅い夕食を堪能した。
 そして、清水の持っている、何事からも逃げない、難題にも冷静に対峙していく芯の強さと、少々のことは飲み込んでしまう寛容さと優しさに、その懐の深さに、大きな信頼を寄せるようになった。
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