人生の時の瞬

相良武有

文字の大きさ
上 下
43 / 63
第4話 大晦日の夜に

③妻の入院と子供たちの結婚

しおりを挟む
「わたしが脱子宮に罹って手術入院した時、あなたは真実に良くしてくれました。今でも心から深く感謝していますよ」
「あの時は、もう子供達も大きくなっていたし、それほど大儀なことでもなかったんだ」
「いえいえ、子供達の事だけでなく、毎日病院へ見舞いに来てくれて、とても心強かったですよ。わたしはあの時、出産以来の入院でしたから結構不安だったんです。あなたの元気な姿が見えるとホッとしたものです。面会時間の切れる十分ほど前に、慌てて駆け込んで来るあなたを見た時には、涙が零れそうになったのを覚えていますから」
「然し、あの時には、手術に踏み切るまでに相当悩んだんじゃないのか?」
「そうですね。婦人科の先生から、女の先生でしたけど、子宮にリングを填めて暫く様子を見るか、子宮を全部摘出するか、何方かを選択して下さい、と言われて・・・。結局、何れ摘出しなければならないのなら、思い切って今やろう、って決心したんです、あなたも後を押してくれましたし、ね」
「だが、退院後、お前はかなり落ち込んでいた」
「ええ。何だか女でなくなったような気がして。子宮が無くなって子供が産めない体になりましたし、女らしい優しさやしおらしさや可愛さが自分から失われてしまったように感じたんです。だから、それが哀しくて・・・」
吉井は、それは男の俺には解らぬことだった、俺は其処まで考えを及ぼすことが出来なかった、と改めて苦い悔やむ思いを胸に沸き立たせた。
「それに、その後あなたは、わたしが求めない限り、わたしを抱こうとはなさいませんでしたしね」
「それはお前の身体のことを第一に考えたからだよ、他に他意なんか無かったよ」
「外に女でも出来たのかと気を揉みましたよ」
「何を馬鹿なことを言っている!俺は生涯、お前ひとりだよ」
「どうだか解るもんですか」
妻は、貌は微笑いながら、上目遣いに吉井を睨む仕草をした。

「娘が結婚の相手を引き合わせた時は、複雑な気持ちでしたね、特にあなたはそうだったんじゃないですか?」
「嫁に行く日なんか来なけりゃ良い、と男親なら誰でも思うもんだ。俺だって人の親だし人の子だ、そう思っても不思議じゃないだろう。結婚式のあいつは綺麗だった、一生に一度有るか無しかの輝いた顔だった。あの輝きの何分の一かでも持ち続けることが出来れば、それはあいつの幸せと言うものだ、とあの時つくづくそう思った」
「挙式の前の晩には親子四人で細やかな祝膳を囲みましたね、祝い懐石をお取り寄せして」
「そうだったな。あいつは改まって、お父さんお母さん、二十数年間も大事に慈しんで育ててくれて有難う、なんて頭を下げるもんだから、俺もお前も涙をポロポロ溢して、な」
「おまけに、息子が、娘よ、なんて言うヒット歌謡を聴かせるものだから益々感極まって、あなたはもうメロメロでしたよ」
「その割には、息子の結婚の時は、それほどにも感じなかったな。やっぱり、男だから大丈夫、という安心感が在ったのだろうかね」
「わたしは寂しかったですよ。嫁になる人に息子を手渡すのは当然のことながら、ああ、これでもう私の手の届かない処へ行ってしまう、そう思うと複雑な気持ちでした」
「女親の息子に対する思い入れはそんなものなんだろうよ、きっと、誰でも」
「日本は、否、日本だけじゃなく、生き物はすべからく男社会、牡社会ですから、やはり、娘の方が心配になるんですね、ほんとうにしっかり自立して生きて行けるのかと」
吉井も、それはそうだな、と肯んじた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大人への門

相良武有
現代文学
 思春期から大人へと向かう青春の一時期、それは驟雨の如くに激しく、強く、そして、短い。 が、男であれ女であれ、人はその時期に大人への確たる何かを、成熟した人生を送るのに無くてはならないものを掴む為に、喪失をも含めて、獲ち得るのである。人は人生の新しい局面を切り拓いて行くチャレンジャブルな大人への階段を、時には激しく、時には沈静して、昇降する。それは、驟雨の如く、強烈で、然も短く、将に人生の時の瞬なのである。  

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

黒田茶花
現代文学
シリアスな現代小説。研究者である男性主人公が破滅していく話です。毒親やSNSなど、現代的要素も含みます。(あまり主人公に感情移入しすぎないのがおすすめです)。 2023/04/11追記① 「就職祝い」の話を分割し、「就職祝い」と「『雑草』」にしました。ご不便をおかけして恐縮です。 2023/04/11追記② キャプションを一部修正。また、読んでいただいた方、ありがとうございます!ライト文芸大賞にも応募させていただきました。

ルビコンを渡る

相良武有
現代文学
 人生の重大な「決断」をテーマにした作品集。 人生には後戻りの出来ない覚悟や行動が在る。独立、転身、転生、再生、再出発などなど、それは将に人生の時の瞬なのである。  ルビコン川は古代ローマ時代にガリアとイタリアの境に在った川で、カエサルが法を犯してこの川を渡り、ローマに進軍した故事に由来している。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

バーチャル女子高生

廣瀬純一
大衆娯楽
バーチャルの世界で女子高生になるサラリーマンの話

処理中です...