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第20話 誠実な真の男
60 夫が嘗て麗子のことを愛していた?
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「わたしの頼み方が悪かったの、ご免なさい」
「申し訳無いわね。私があんなお願いをしたのがいけなかったのね」
「ううん、そうじゃないの。私の話すタイミングと話し方が悪かったのよ。彼の気持は良く解かっていた心算だったけど、やっぱり考えが浅はかだったのね。だから、一度、ご主人に自宅へ来て頂いたらと思うのだけれど・・・」
その時、玄関のドアを手荒く開けて中条秀一が帰って来た。彼はふらついた足取りで部屋に入って来た。昼間から少し酔っているようであった。
「お帰りなさい。此方、私の学生時代の友人で佐藤由紀江さん」
由紀江は椅子から立ち上がって丁寧に頭を下げた。
が、中条は、あっそう、とでも言うような眼で由紀江を一瞥しただけで、初対面の挨拶も碌に交わさずに麗子の脇に座った。
「あなたに黙っていて悪かったけれど、私、この由紀江さんにあなたの再就職のお世話を頼みに行ったの。そしたらね、由紀江さんのご主人が、あなた直々に一度来て頂きたい、と仰っているんですって」
「勝手なことをするな!」
中条はいきなり麗子を叱りつけた。
由紀江は吃驚して眼を上げた。客の前で有無を言わさず妻を叱りつける無作法さに呆れた。
「失礼だが、君のご亭主は、あのK化学工業㈱に勤めているのではないかね?」
中条は見下ろすような眼で由紀江を見て、言った。
「はい。そうですが・・・」
「やっぱりそうか、多分そうだろうと思った。あの佐藤ですか、だから、自分自身で頼みに来い、なんて言ったんだよな。彼はさぞ得意なことだったろうよ、はっはっはっは」
「あなたは家の主人をご存知なのですか?」
「ああ、知っているよ。俺と佐藤は幼稚園から高校までずっと一緒だったんだ、同じ教育大の付属でね。俺は優等生だったが、あいつはずっと下の方だった」
「まあ」
由紀江は中条の失礼な物言いに呆れて言葉が出なかった。
「俺だけじゃない、この麗子も佐藤をよく知っているよ。端的に言うと、奴は麗子に振られたんだよ。麗子は佐藤を嫌って俺と結婚したという訳だ。あいつは随分と熱心だったらしいがね」
「あなた、そんなことを今、言わなくても」
「黙っていろ!お前もお前だ。わざわざ選りに選って、佐藤の所へなど再就職を頼みに行くこともないだろうが!恥を曝すだけだ、馬鹿者!」
中条が乱暴に喚いた。
「帰って佐藤に言ってくれ。俺はお前に憐れみを請うほど未だ落ちぶれては居らん、とな!」
由紀江は夢中で飛び出した。
中条の辛辣な言葉が胸を刺していた。が、それ以上に由紀江の心を刺したのは、夫・隆史と麗子のことであった。夢にも知らなかったことだった。まさか隆史と麗子が嘗て恋愛関係にあったなんて・・・そうだ、だから彼はあんなに不快な顔をして怒ったんだわ。そして、あんなに怒ったところを見ると、彼は未だ麗子のことを忘れずに居るんだわ、きっと・・・
由紀江は頭がくらくらした。今日までの信頼し合った落ち着いた幸せな生活が、その底に隠れている秘密で、砂のように崩壊して行くのを感じた。
夫が麗子を、あの麗子のことを・・・
静かに平穏無事に育って来た由紀江の心は、この大きな衝撃によってずたずたに引き裂かれた。世間の家庭で起こっている不幸な出来事は、自分達だけには起こるまいと信じていたその幸せが、同じように底深く不幸を孕んでいたのだ。今までの平穏な生活はもう二度と帰っては来ないだろう。
ああ!・・・ああ!・・・
由紀江は何度も低く呻き声を上げた。
「申し訳無いわね。私があんなお願いをしたのがいけなかったのね」
「ううん、そうじゃないの。私の話すタイミングと話し方が悪かったのよ。彼の気持は良く解かっていた心算だったけど、やっぱり考えが浅はかだったのね。だから、一度、ご主人に自宅へ来て頂いたらと思うのだけれど・・・」
その時、玄関のドアを手荒く開けて中条秀一が帰って来た。彼はふらついた足取りで部屋に入って来た。昼間から少し酔っているようであった。
「お帰りなさい。此方、私の学生時代の友人で佐藤由紀江さん」
由紀江は椅子から立ち上がって丁寧に頭を下げた。
が、中条は、あっそう、とでも言うような眼で由紀江を一瞥しただけで、初対面の挨拶も碌に交わさずに麗子の脇に座った。
「あなたに黙っていて悪かったけれど、私、この由紀江さんにあなたの再就職のお世話を頼みに行ったの。そしたらね、由紀江さんのご主人が、あなた直々に一度来て頂きたい、と仰っているんですって」
「勝手なことをするな!」
中条はいきなり麗子を叱りつけた。
由紀江は吃驚して眼を上げた。客の前で有無を言わさず妻を叱りつける無作法さに呆れた。
「失礼だが、君のご亭主は、あのK化学工業㈱に勤めているのではないかね?」
中条は見下ろすような眼で由紀江を見て、言った。
「はい。そうですが・・・」
「やっぱりそうか、多分そうだろうと思った。あの佐藤ですか、だから、自分自身で頼みに来い、なんて言ったんだよな。彼はさぞ得意なことだったろうよ、はっはっはっは」
「あなたは家の主人をご存知なのですか?」
「ああ、知っているよ。俺と佐藤は幼稚園から高校までずっと一緒だったんだ、同じ教育大の付属でね。俺は優等生だったが、あいつはずっと下の方だった」
「まあ」
由紀江は中条の失礼な物言いに呆れて言葉が出なかった。
「俺だけじゃない、この麗子も佐藤をよく知っているよ。端的に言うと、奴は麗子に振られたんだよ。麗子は佐藤を嫌って俺と結婚したという訳だ。あいつは随分と熱心だったらしいがね」
「あなた、そんなことを今、言わなくても」
「黙っていろ!お前もお前だ。わざわざ選りに選って、佐藤の所へなど再就職を頼みに行くこともないだろうが!恥を曝すだけだ、馬鹿者!」
中条が乱暴に喚いた。
「帰って佐藤に言ってくれ。俺はお前に憐れみを請うほど未だ落ちぶれては居らん、とな!」
由紀江は夢中で飛び出した。
中条の辛辣な言葉が胸を刺していた。が、それ以上に由紀江の心を刺したのは、夫・隆史と麗子のことであった。夢にも知らなかったことだった。まさか隆史と麗子が嘗て恋愛関係にあったなんて・・・そうだ、だから彼はあんなに不快な顔をして怒ったんだわ。そして、あんなに怒ったところを見ると、彼は未だ麗子のことを忘れずに居るんだわ、きっと・・・
由紀江は頭がくらくらした。今日までの信頼し合った落ち着いた幸せな生活が、その底に隠れている秘密で、砂のように崩壊して行くのを感じた。
夫が麗子を、あの麗子のことを・・・
静かに平穏無事に育って来た由紀江の心は、この大きな衝撃によってずたずたに引き裂かれた。世間の家庭で起こっている不幸な出来事は、自分達だけには起こるまいと信じていたその幸せが、同じように底深く不幸を孕んでいたのだ。今までの平穏な生活はもう二度と帰っては来ないだろう。
ああ!・・・ああ!・・・
由紀江は何度も低く呻き声を上げた。
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