5分間の短編集

相良武有

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第17話 新春への賜物

㊽良美、正月用品の買物に出かける

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 師が走る十二月は日にちの経つのが速い。あっと言う間に今日はもう三十日であった。
夫の亮介は日本中に散らばる神社仏閣の仕事で毎日忙しく立ち働いていた。特に年末の今は終い仕事に追われていた。島根へ泊りがけで出かけている仕事が一日延びて、昨日帰る筈のところが今日になっていた。
 亮介と良美は、母親の喪が明けた翌年の春、麗らかな桜花四月に結婚した。
昨年の夏に母親の三回忌も済ませて、今年は結婚して三度目の正月を二日後に迎えようとしていた。
 朝十時を回ったところで、良美は正月の飾り物を買い整える為にスーパーへ出かけた。鏡餅やゆずり葉、うら白やしめ飾、橙や干し柿、それに、祝箸や雑煮の具材、煮しめ物の材料など買物は結構に盛沢山になった。悪鬼を屠り死者を蘇らせる薬酒であると言われるお屠蘇も忘れずに買い求めた。
 良美が買い物をしていると、不意に後ろから声を掛けられた。筋向いに住む眼鏡を架けた中年の主婦だった。亮介と良美の住居は良美の生まれ育った広い家である。彼女の生まれる一年前に建てられて未だ築二十五、六年しか経っていない。家屋大工の父親が建てた木造住宅は流石に普請が頑丈だった。
「お若いのに偉いわねぇ、あなた。お正月のお飾りを毎年きちんとなさるのでしょう?
門松も一昨日綺麗にお飾りになったし・・・」
「主人の仕事が縁起を担ぐものですから」
歳の神を迎える目印とされる門松は、嘗ては松・竹・梅の三種類を組み合わせて整えられることが多かったが、今では一対の松の枝だけを飾るのが殆どになっている。松は神の依代と信じられ、歳の神や歳徳神が乗り移る木と崇められて、別名「お松様」或は「松飾り」とも言われている。一年中、緑の色が美しく青々として縁起の良い木であることが神の宿る木とされる所以なのである。良美は一昨日の二十八日に門松を玄関前の左右に飾った。向かって左側が雄松、右側が雌松である。二十九日は「苦立て」、三十一日は「一夜飾り」と言って避けなければならない。
「それにしても、お宅のご主人はご出張が多くて大変ね。今も未だお戻りにならないのでしょう?」
「でも、仕事も今日でお終いで、今夜には帰って来ることになっています」
「そうなの・・・いつもお留守勝ちだし、一度行かれると結構長いみたいだから、あなたもお留守を守って大変ね。お寂しい時もあるでしょうに・・・」
女の言葉には労いよりも嫌味や疑いの方が色濃く滲んでいた。
筋向いの主婦と別れた良美は、その後姿を見送りながら、嫌な女だわ、と思った。

 買物を終えたスーパーから少し離れた所に小さな雑貨店が在った。小物の家具や荒物、瀬戸物などを並べている重宝な街の雑貨屋さんである。良美は亮介と結婚した後、新所帯の足らない物を買い揃える為にこの店をちょくちょく訪れた。死んだ母親と同じ位の年齢のその店の奥さんと親しくなって可愛がられ、店に奥さんが出ている時には、買う物が無くても暫く彼女と話をすることがある。世話好きの奥さんは世帯のことにまであれこれとアドバイスをしてくれた。
良美は「山陰に仕事に行った夫が、昨日には戻ると言ったのに未だ帰らない」とついつい溢してしまった。そう言う愚痴も言える相手だった。すると奥さんがすかさず言った。
「あなた、それ、他の人には言わない方が良いわよ」
「あら、どうしてですか?」
亮介は全国でも数少ない宮大工である。仕事とあらば彼方此方と遠方まで出向く。その為に家を空けがちで確かに良美は味気ない淋しい思いをすることもあるが、それは止むを得ないことであり、どんな仕事に就いている誰にだって有ることである。
「何かと変な噂を立てる人も居るからね」
「えっ、何ですか、それ?」
「いくら宮大工でも、あんなにしょっちゅう家を留守にするのはおかしいとか、女が居るんじゃないかとか、挙句の果ては、亮介さんが車の中で女と一緒に居るのを見たとか、いろいろ言う人が居るのよ」
「誰ですか、そんなことを言うのは?」
良美は一瞬、不快な気分に頭が熱くなった。彼女はそういう話を笑い流すことが出来ない性質である。
「誰って、名指しは出来ないけど、ご近所には十分に気を付けた方が良いわよ」
奥さんはそう言って話を打ち切った。
 自分の知らない処で、夫に女が居る、などと変な噂が囁かれていることを知って、良美は嫌な気分になって落ち込みかけた。が、じっくり考えてみても思い当たることは全くなかった。亮介から女の臭いを嗅ぎつけたことは無いし、第一、自分は亮介に愛されている。夫婦の間に隙間を感じたことも無い。そう思うと不快な気持は次第に消えて、家に着いた頃には気分は元に戻っていた。
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