5分間の短編集

相良武有

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第12話 骨まで削った愛

㉜骨まで削った愛(1)

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 福原正一には一緒に暮らしている井田奈津美と言う恋人が居る。
正一は二十六歳で広告会社の社員であるが、奈津美は二十三歳の新劇女優の卵である。
小さな劇団に通いながらアルバイトでバーに勤めていた奈津美を正一が口説き落した。
「人が安息する夜にまで、然も、酔客相手に作り笑いをする仕事なんて、君もやりたくは無いだろう。なあ、一緒に暮らそう、二人の生活は俺の給料で何とかやっていけるよ。そして、昼間は劇団に通ってしっかり演劇の勉強をすれば良いじゃないか、な」
二人が一緒に暮らし始めて直ぐに、奈津美はバー勤めを辞めた。
二十六歳の正一と二十三歳の奈津美とは年恰好も丁度良く、二人は此の侭真直ぐに結婚へと進む予定だった。
 
 その日、新企画についての会議をしていた正一に、突然、警察から電話が架かって来た。
「一時間前に井田奈津美さんが車に撥ねられて入院されました。あなたに連絡を、と言う本人の申し出でお電話しました」
事故の現場は二人のマンションの近くで、昼の買物に出かけた際にトラックに撥ねられたらしい、とのことだった。
正一は課長に事情を話し、直ぐに奈津美が収容されている病院に駆け付けた。
医師が症状を詳しく話してくれた。
「腰と脚を強く打って居られ、腰の方は打撲だけですが、右脚の方は下腿の下三分の一の処がバンバーに撥ねられて肉が抉られたうえに、大骨と小骨の両方が折れています。創が深いうえに骨が複雑に折れているので、今すぐ手術をしなければなりません」
手術は三十分後に行われた。難手術だったのか、二時間以上もかかった。
奈津美の右脚は股の処から足先まで白いギブスが巻かれ、折れた個所にはうっすらと赤く血が滲んでいた。
 
 それから奈津美の長い入院生活が始まった。
手術の直後、正一は最大限の時間を割いて奈津美の看護をした。
手術をした一週間後に、奈津美の脚は、一旦、添木の上に巻かれたギブスを外されて糸が抜かれた。創は端の方は合わさっていたが、中央部は未だ肉が露出したままで赤い血が出ていた。一部分の糸が抜かれた後、又、固いギブスが巻かれ、創の部分だけ丸くくり抜かれてガーゼ交換が繰り返された。
 
 そのまま一カ月が経過した。奈津美の足が痩せて細くなったので、再びギブスが巻き直された。一カ月で開いていた創口は幾らか肉が盛り上がって来たが、黄色い膿が出るようになった。中で少し化膿しているようだった。痛みはもう殆ど無かったが、骨のくっ付き方が不十分と言うことで、足を着くことは禁じられていた。
体重が四十五キロしか無かった奈津美は痩せて小さい顔が更に小さくなった。形の良かった脚はギブスで覆われ、転ばないように気を付けながら、松葉杖を突かざるを得なかった。
正一は毎日仕事帰りに顔を出した。
「早く家に帰りたいわ。ガーゼを交換するだけなら、家でも出来ると思うんだけど・・・」
正一も早く帰って来て欲しかった。一度び一緒に暮らし始めた後では、独り身の不便さが今更のように身に沁みた。
「わたしが居なくても、浮気しちゃ嫌よ」
「そんなことする訳ないだろう」
「でも、男の人って、アレ、我慢出来なくなることがあるんでしょう?」
「俺は大丈夫だよ」
実際に正一は、奈津美が入院してから一度も浮気はしていなかった。その気になれば、機会がない訳でもなかったが、然し、赤坂や六本木で深夜遅くまで飲み歩いても、病室で独り寝ている奈津美のことを考えればそんな気にはなれなかった。
 
 翌週の水曜日の夜、正一が病院へ行くと医師に呼び止められた。
「このままでは井田さんの骨は上手くくっ付きそうにありません。大体が、あの足首の少し上の処は肉が少なくて骨のくっ付き難い処なんですが、そのただでさえ難しい処に、彼女の場合は肉が抉られていて条件が悪いんです。おまけに周りが化膿して骨髄炎を起こしています」
「骨髄炎を?」
「膿は大分治まって来てはいますが、それが原因で、骨が一部腐って無くなってしまっています。今の状態で骨を接ぐには、間に新しい骨を植えなければなりません」
医師はレントゲン写真を見せながら続けて説明した。
「折れた骨の間がかなり開いているでしょう。これを治すには、間に、他の健康な骨を植えるしか方法が無いんです。それで、あなたの骨を頂きたいのですが・・・」
「えっ、僕の骨を?」
「植える骨は、本当は自家骨と言って、自分の骨が一番良いんですが、井田さんはあの通り小柄で居らっしゃるし、入院で更にお痩せになって・・・彼女から骨を採ると言うのはちょっと・・・」
「なるほど・・・で、僕の何処の骨を採るんですか?」
「何処でも良いんですが、一番理想的なのは骨盤の骨なんです。手術は局所麻酔で、三十分くらいで終わります。骨を採った後は、三日ほど入院して頂きますが・・・」
因みに、奈津美の方は創口を全部開いて、新しい骨を植え込む手術をするということだった。正一は、自分の骨を削って愛する奈津美の躰の中に埋めると言うことに、少し気持ちを昂ぶらせた。
 
 その数日後、正一は病院へ赴き、手術の前に血液と尿の検査を終えた。その後、奈津美の居る病室へ入って行った。
「正ちゃんの手術、もう始まるの?」
「うん、十時からだけど、君は?」
「午後の二時かららしいわ」
「じゃ、午前中に俺から骨を採って、午後に君に植えるって訳だな」
「ご免ね、痛い目に合わせて、骨まで採って」
正一にとっては生まれて初めての手術だった。麻酔が切れた後、どれくらい痛むのか、骨が採られた後、創口はどんな風になるのか、考えると彼は少し不安になった。
「正ちゃん、元気になったら、わたし、正ちゃんの為に一生懸命尽くすからね」
「良いってことさ、もう何も言うな」
正一は手術中、骨を叩き削るハンマーの音を聴きながら思っていた。
今、採られている骨が奈津美の脚に植えられる、これを我慢すれば奈津美が治る・・・
「終わりましたよ。後は創を縫って閉じるだけです」
正一はほっと一息吐いた。
運搬車に乗せられて病室へ戻ると、松葉杖をつきながら奈津美が近付いて来た。
「痛かった?」
「別に大したこと無いよ」
正一は笑ってみせたが、そろそろ麻酔が切れ始めて来たのか、創口がチクチクと痛んで引きつって来た。
「ありがとう」
奈津美の顔が近付いて来て、そっと正一の唇に触れた。眼を閉じ、口づけを受けながら正一は鈍い痛みの中で何か偉大なことをしたような満足感に浸っていた。
奈津美の手術もその日の午後、無事に終わって、完全にくっ付くまでにはまた一月半ほどかかると言うことだった。医師が見せてくれたレントゲン写真を見ると、開いた二つの骨の間に正一の骨がちゃんとはまって居た。それまでは両方の骨の先が細くなり、二センチ近い空間があったのが、今ではぎっしりと骨が埋められている。埋められた骨は全て正一の骨であった。
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