5分間の短編集

相良武有

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第4話 一寸の虫にも五分の魂

⑨一寸の虫にも五分の魂(1)

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 入社後十八年経って四十歳になった村木は、営業畑を一筋に歩んで来て、東京支店営業第一課の課長として業務の中心的役割を担う中枢に居た。そのポジションとこれまでの営業実績から、村木は将に営業のエース的存在だった。今日も得意先を精力的に廻って何件かの注文を獲得して帰って来たばかりだった。
「支店長が、課長が戻ったら直ぐ支店長室へ来るように、と仰っていました」
椅子の背凭れに掛けかけた上着に再び腕を通して、村木は支店長室へ向かった。
「只今帰りました。遅くなりまして申し訳ありません。何かご用がお有りだとか・・・」
「ああ、ご苦労さん。まあ掛け給え」
支店長はそう言ってデスクの前の応接セットに村木を誘った。
「話というのは他でもないが、㈱正昭工業との新規取引を直ぐに開始する活動を始めて貰いたいんだ。東証一部上場の㈱正昭との取引は当社の積年の課題、否、夢だったのだからな。それに、この話を具体的に前へ進められるのは君以外には居ない。善は急げ、だ。明日と言わず今日からでも早速に動いてくれ給えよ」
「そうですか、解りました。早速に信用調査を開始します」
「そんなものは必要無いよ。相手は一部上場の有名大手企業だ。取引を開始する行動が先決だ。良いな」
「ですが、信用調査だけは併行して・・・」
「くどい!そんなことをしている間に他社に先を越されたらどうするんだ!ウチが目論んでいるのは㈱正昭の新商品発売なんだ。それに、この話は営業部長と資材部長が原料メーカーを取り込んでお決めになったことだ。後は行動有るのみだ、解ったな」
それでも、公表されている決算書を見てから、と言いかけた村木を制して支店長が言った。
「大丈夫だ。責任は全て僕が取るから」
「承知しました。では、早速に」
 支店長が言ったように㈱正昭工業との取引は村木が按じたほどの問題も無くスムーズに進展した。早速にその月度から取引が開始され、月商は二千万円から三千万円ほどになったし、決済は九十日手形での支払ということで特段問題視することはなかった。
㈱正昭工業との取引が新たに加わったことで営業第一課の売上実績は飛躍的に伸びて、二ヵ月後には東京支店は営業部全体の最優秀支店賞を受賞した。支店長を初め支店全体が盛り上がって活気付いた。
 だが、村木は取引がスムーズに行き過ぎたことに一抹の不安と腑に落ちない思いを胸に抱いていた。村木は、念の為に、自社の契約調査会社に(株)正昭工業の信用調査を依頼した。
 一見超大手の優良企業に見えた(株)正昭工業の財務体質は脆弱だった。否、寧ろ一つ間違えば倒産の危険性さえ孕んでいるようだった。他人依存型の経営、景気任せの成り行き経営、外部要因任せの経営、銀行や商社への依存度が高い危うい経営、自己資本を食い潰して債務超過に陥る危険性が十分に有ると診断されていた。
村木は早速にこれらの見解を支店長に報告した。が、支店長は意外な反応を示した。
「誰がそんな余計なことをしろと命じた?そんなものは単なるデータに過ぎないだろうが・・・それも極く一部のものだろう。そんなもので取引を云々する根拠にはならんよ」
「然し、支店長、このデータは何処から診ても(株)正昭工業が危険な状態であることを示していますよ。ですから・・・」
「もう良い。君が何と言おうと僕はそんなものは信じないからね。そんなことよりももっと売上を増やすことを考え給え。いいね」
 事態は何事も無く推移するように見えたが、一年後に(株)正昭工業はあっけなく倒産してしまった。東京支店の引っ掛かりは、回収手形の三か月分が不渡りとなって、五千万円ほどの金額になった。
新規取引失敗の全責任は直接の担当課長である村木に追い被さって来た。あの時、迅速に手を打って取引を止めていたら、こんなことにはならなかったのに・・・仕事の手抜きは、時として、生命取りになる・・・村木の胸に後悔と怒りの思いが湧き上がった。
 
 一週間はあっと言う間に過ぎた。
今日は事業部長からの直接の聞き取りがある日だった。眦をキッと挙げて村木は会議室の扉をノックした。広い会議室の中央に大きな横長の机が置かれ、その前に事業部長が渋面で座っていた。下手の少し離れた場所には鉤型に長い机が配置され、其処に部長と支店長が並んで座っていた。村木は、聞き取りと言うよりも査問に近い形だな、と思った。
早速に、聞き取りが始まった。
「今回の新規取引失敗は、全て、担当課長である君の責任なのかね?」
村木は頭を下げたまま、上目遣いに事業部長を見やって、言った。
「責任の一端は私にもあります。が、あの取引は支店長に命じられ指示されて実施したものです。私が強引に推し進めた訳ではありません」
「君は失敗の責任を上司に押し付けるのかね。五千万円という大金を焦げ付かせたのは君だぞ!」
「確かに大きな損失を被りました。然し、実際に取引を決められたのは支店長と部長です。それに、私は暫くして、信用調査書と決算書を分析したその結果を部長と支店長に報告しましたし、取引を縮小したり、止めることも進言しました」
横合いから支店長が大きな声で怒鳴った。
「何を言うか!部長も僕も常に現場の意向を最優先して、現場がやり易いように動いているだけだ。一つひとつの案件に関していちいち責任を負っていられるか!」
村木は顔を上げ、眼を吊り上げて、反論した。
「それではあなた方は何の為に此処に居られるんですか?毎日汗水垂らして第一線の現場が獲って来た取引の契約に、責任を持たないような幹部なら、何の存在価値も有りませんよ!」
村木は怒りを抑えた眼で事業部長に訴えた。
「私にも当然ながら責任は有ります。然し、全責任を取るのは私ではない筈です」
村木は支店長と部長を睨みつけるようにして席を立ち、事業部長に一礼して会議室の扉を押し開いた。
 社長や専務、常務など経営陣の決断は早かった。三日後に関係者の処分が発表された。
事業部長は戒告、営業部長は三ヶ月の減給、支店長は札幌支店次長に降格、そして、村木には九州事業部福岡支店への転勤命令が下った。
村木は、こんなことで俺は負けないぞ、と憤怒の炎を胸に滾らせ、又、俺はあんな上司には絶対にならないぞ、と強く心に誓った。
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