時代小説の愉しみ

相良武有

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第二話 やさぐれ同心

⑦暫くして、お艶は居直った

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 暫くして、お艶は居直った。
どうせ世の中、こんなもんだ。あたしの運命に神も仏も居るものか・・・
それからお艶は、男を手玉にとって金を貢がせ、面白おかしく、その日その時の感情のまま刹那的に生きた。もう先のことを、ああしたい、こうしよう、という思いは無かった。唯、妙に何かに刃向う逆立つ憤怒だけが在った。お艶はその滾る憤懣の赴くままに生きた。
 濡れた睫毛に妖艶な化粧を施し、白い豊満な肉体に姿を作って、よく笑いよく喋りよく呑んだ。金を持っている男なら、誘われれば何時でも何処へでも誰とでも出かけて行った。酌女の中での一番人気になった。誰もがお艶の酌を望んだ。だが、お艶の胸の中は何時も穏やかではなかった。乾いて干上がったり、涙が泳いでぐしょぐしょに濡れたりしていた。大声を挙げてばか騒ぎをしていても、堪えられない痛みに疼いていることもあった。周りの人間からは、お艶が何か破滅的なものへ向かって急降下に生き急いでいるように見えた。それは凄絶で凄惨でさえあった。お艶の美貌には凄艶ささえ漂っていたが、その生き方や暮らしは荒れていた。

「無理しちゃ駄目、ね」
お艶は男を説得した。
男は、近くに出来た仏具の大店に押されて、自分の店を畳むことになったローソク屋の若い主だった。
「そりゃ、あんたに逢えなくなるのは辛いけど・・・」
俯いてそう言ったお艶の目から涙が零れ落ちた。上手い具合にほろりと落ちた涙だった。勘どころで涙を零すなど造作も無いことだった、手馴れたものだった。
「あれこれ算段して苦労して集めたお金を使ってまで、来てくれなくて良いの。そんなあんたを見るのはとても辛いし、おかみさんや子供さんにも申し訳ないわ」
それとなく家のことを思い出させようとしたが、それは上手く通じなかったようで、男は暗い目でお艶をじっと見た。
「俺は真剣だった、遊びじゃなかったよ」
「勿論、あたしも、よ。唯の遊びなんかじゃなかった。お客と酌女の仲でも、あっ、この人だ!って思うことはあるのよ。あんたと初めて逢った時、胸がどきどきしたのを今でも覚えているわ」
「・・・・・」
「だから、あんたのことは大事にしたいの。商売も家も捨てさせるような野暮はしたくないの」
「・・・・・」
「また盛り返してお金が出来たら来て頂戴、ね。あたしは待っているから」
「お前、俺に金が無くなったんで、態よく追っ払う心算じゃないのか?」
懐が寒くなった男は疑い深く言った。
「何を馬鹿なことを言っているのよ!」
お艶は鋭く言い返した後で、男の手をそっと握った。
こんな愁嘆場は何度も踏んでいる、訳も無いことだった。
男と別れた後、お艶は、上手く切れてくれると良いが、と思った。
 銭の無くなった男には、もう用は無かった。そのことを解からずに帰って行った男の後姿が煩わしかった。男が初めてお艶の前に姿を現した時には、男の店は繁盛していて覇振りが良かった。お艶がその金を貢がせつぎ込ませて吸い上げた。もう用の無い男だった。が、用の無い男でも別れ際は大事だった。金を使い果たして愛想尽かしを喰った男が逆上して刃物沙汰になったりしては面倒だった。後腐れ無くけりを付ける必要があった。
また小金を持った男を探さなくっちゃ!
この世界では、多少の無理を言っても気前良く金をつぎ込んでくれる馴染客を掴まえることが大事なのだ。やっと工面した二分や一両の金を持って駆け込んでくる男達は、客とは言えない。金を持たない男には興味が無かった。好いた惚れたということには、お艶はもう気を惹かれなかった。
 
 数日後お艶は、手洗いに立った手水場の入口で、三十歳過ぎの背の高い男に出くわした。
「あらっ、若旦那、こんばんわ」
お艶は艶っぽい声で挨拶すると、男の眼をじっと見たまま、全身で精一杯の姿を作った。
男は、あぁ~、という顔付きで少し恥にかんだが、その眼は暫しお艶をじっと視ていた。
手水場に入りながら、お艶は声を立てずに笑った。ちょっとからかっただけなのに、可愛いじゃないの、あの男、と思った。男は呉服問屋を営む大店の後取りだった。今は未だ親が矍鑠としているが、いずれ近い将来は主人の座に就くだろう。商売の客をしょっちゅう店に連れて来て、お艶も二、三度その席に侍ったことがあった。
 ところがお艶が手水場から出て来ると、入口で同輩の富美が待っていた。富美は二十歳で、胸が大きく腰の括れた素晴しい肉体を持った今が旬の酌女だった。
「ちょっと、あんた」
富美はいきなり喧嘩腰だった。
「妙な真似はしないでよ」
「何のこと?」
お艶はしらばっくれた。
「ちっ、解かっているくせに。他人の大事な客に色眼を使って、ちょっかいなんか出さないで欲しいのよ。まったく油断も隙も有りゃしない」
「あたしはちょっと挨拶しただけよ、そんなこと、あたしの勝手でしょ」
お艶は嘯いた。新入りの若い女の物言いに腹が立った。
「そんなに大事なお客なら首に縄でも巻いて引っ張っときなよ!」
「何だって、この泥棒猫が!」
富美がいきなり掴み掛かって来た。
腕を掴んだ富美の手を外すと、お艶は思いっ切り富美の頬をひっぱ叩いた。
「こらっ、お前ら、其処で何しているんだ!」
番頭が慌てて此方へやって来た。
 翌日、帰って行く客を店の表で見送ったお艶が踵を返えそうとすると、丁度、昨日の若旦那が小走りに店の方へやって来るところだった。雨がしとしと降り続いている。お艶は直ぐに男に傘を差しかけた。
「ああ、あんたか、有難う」
「丁度良かったわ。若旦那と相合傘だなんて、あたし幸せですわ」
お艶は濡れないように出来るだけ身体を寄せて歩いた。男が身体を少し固くするのが解った。
歩きながらお艶が訊ねた。
「でも、今日は、富美ちゃんは非番ですよ」
「ああ、解かっている。今日はあんたに会いに来たのだ」
「まあ、あたしに?とっても嬉しい、有難うございます」
 店に入った二人は一番奥の小部屋に入った。其処は店の女たちが逢引部屋と呼んでいる二人用の仄暗い部屋だった。
何杯かの酌をしながら、お艶は何気無く素知らぬ振りで男の横ににじり寄って身体をくっつけて座った。
が、男はそれほど擦れてはいないようだった。手さえ握ろうとしない。初心な男だ、とお艶は思った。
お艶はぴったりと身体を寄せると、男の手を掴んで自分の胸の上に宛がった。
「若旦那と差しで気分良く飲んだものだから、ほら、こんなに酔っ払って胸がドキドキしているわ」
男の手はお艶の胸の上で、一度ぴくりと引っ込められそうになったが、やがて恐る恐る乳房を掴んで来た。するままにさせながらお艶は黙って男の眼をじっと覗き込んだ。男も眼を逸らさずにお艶の眼を凝視した。乳房を握る手に力が籠もった。
お艶には自信があった。もう半分手に入れたようなものだった。金に不自由しない新しい男が手に入るのだ。
お艶は甘え声で囁いた。
「富美ちゃんには内緒ですよ、ね」
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