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第三章 敗残編
遠征の終わり
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鄧禹は人馬の流れの中にいた。
彼の意思はもうどこにも届かない。彼も潰走の大波の一滴に過ぎなかった。
馮異の言う通り、鄧禹の兵は赤眉に木端微塵にされていた。
赤眉の将の能力は予想以上で、鄧禹が彼の部隊へたどり着く前にすでに兵を集めきり、それどころか布陣まで終えていたのだ。そのような精強な将にひきいられた兵に、疲労と飢餓とにさいなまれた鄧禹の兵がかなうはずもなかった。
鄧禹は逃げた。
ただ逃げて、駆けて、駆け抜けて、そして止まった。
彼は生き延びた。そのことに気づいたのは馬から降り、呆然と西を眺めて立ち尽くす自分に気づいたときだった。
「ぁ……」
彼の顔も、身体も、服も、すべてが砂塵にまみれていた。彼は緩慢に首だけで後ろを振り向いた。そこには彼につき従い、彼に劣らぬほどの黄砂にまみれた部下たちがいる。
その数、わずか二十四騎。
この敗走で鄧禹は三千余の兵を死傷させた。その罪は重く、そして彼は、自分がすべてに失敗したことを知った。
「お…おおお…おおおおおっ!」
彼は膝から崩れ落ちると、地にうずくまって泣き始めた。
号泣だった。これほどに声を挙げ泣いたのは、彼が物心ついてから初めてだったかもしれない。
鄧禹は正気に戻っていた。
曇っていた目は晴れ、すべてを見通す明晰さも復活していた。
その目から見た自分は――近過去の鄧禹は信じられないほど愚かだった。
湖に着いたときからではない。長安を奪取する前、樊崇が死に、すべてを自分でやろうとした頃からである。
今の鄧禹にならわかる。あの頃の自分がいかに無謀だったか。
一人で何もかもできるはずがなかったのだ。いや、様々なことを他の将や部下に任せてきたつもりだった。だがやはりすべてに自分で目を配らなければ安心できない気質があった。
それでは潰れる。自分だけではない。すべてが潰れるに決まっていた。
その帰結がこれ、このありさまである。
鄧禹はすべてを失った。
劉秀が与えてくれた兵も、一時は百万を号するほどになった勢力も、その勢力をもって手に入れた長安も、培ってきた自負も、自信も、名誉も、誇りも、すべてをである。
劉秀になんと言って詫びればよいのか。馮異にどれだけの損害を与えたのか。朝廷(王朝)にどれほどの害を為したのか。幾万人の兵(民)を死なせ、幾十万の遺族を作り出したのか。
「おおっ、おお…おお…おお…」
死んで詫びる程度ではすまない。それどころか今の段階での死は鄧禹にとって救いでしかない。
「おおおお…おお…おお…」
鄧禹の号泣はいつしか止みつつあった。
泣いているわけにはいかなかった。せめて劉秀に会って、罪を詫び、罰を賜らなければ、それこそ死んでも死にきれない。
「……」
泣きやみ、鄧禹は静かに立ち上がった。
今度は身体ごと振り向くと、兵はその場に変わらず立っていた。古代人は現代人より感情を素直にあらわにすることを自然と感じている。むしろこの状況で泣かない男の方が異常かもしれず、それだけに彼らに鄧禹に対する心配はあっても不信はなかった。
「…陛下のもとへ向かおう」
泣きはらした痕はそのままに、表情は常のものに戻った鄧禹は、彼らに静かに告げると、再度愛馬にまたがり、馬首を東へ向けた。
劉秀はその方角にいる。
部下たちも鄧禹に従い、東へ向けて馬を歩ませ始めた。
劉秀の命により北州より出撃して二年余。
完全なる失敗をもって、鄧禹の長安遠征は終わった。
彼の意思はもうどこにも届かない。彼も潰走の大波の一滴に過ぎなかった。
馮異の言う通り、鄧禹の兵は赤眉に木端微塵にされていた。
赤眉の将の能力は予想以上で、鄧禹が彼の部隊へたどり着く前にすでに兵を集めきり、それどころか布陣まで終えていたのだ。そのような精強な将にひきいられた兵に、疲労と飢餓とにさいなまれた鄧禹の兵がかなうはずもなかった。
鄧禹は逃げた。
ただ逃げて、駆けて、駆け抜けて、そして止まった。
彼は生き延びた。そのことに気づいたのは馬から降り、呆然と西を眺めて立ち尽くす自分に気づいたときだった。
「ぁ……」
彼の顔も、身体も、服も、すべてが砂塵にまみれていた。彼は緩慢に首だけで後ろを振り向いた。そこには彼につき従い、彼に劣らぬほどの黄砂にまみれた部下たちがいる。
その数、わずか二十四騎。
この敗走で鄧禹は三千余の兵を死傷させた。その罪は重く、そして彼は、自分がすべてに失敗したことを知った。
「お…おおお…おおおおおっ!」
彼は膝から崩れ落ちると、地にうずくまって泣き始めた。
号泣だった。これほどに声を挙げ泣いたのは、彼が物心ついてから初めてだったかもしれない。
鄧禹は正気に戻っていた。
曇っていた目は晴れ、すべてを見通す明晰さも復活していた。
その目から見た自分は――近過去の鄧禹は信じられないほど愚かだった。
湖に着いたときからではない。長安を奪取する前、樊崇が死に、すべてを自分でやろうとした頃からである。
今の鄧禹にならわかる。あの頃の自分がいかに無謀だったか。
一人で何もかもできるはずがなかったのだ。いや、様々なことを他の将や部下に任せてきたつもりだった。だがやはりすべてに自分で目を配らなければ安心できない気質があった。
それでは潰れる。自分だけではない。すべてが潰れるに決まっていた。
その帰結がこれ、このありさまである。
鄧禹はすべてを失った。
劉秀が与えてくれた兵も、一時は百万を号するほどになった勢力も、その勢力をもって手に入れた長安も、培ってきた自負も、自信も、名誉も、誇りも、すべてをである。
劉秀になんと言って詫びればよいのか。馮異にどれだけの損害を与えたのか。朝廷(王朝)にどれほどの害を為したのか。幾万人の兵(民)を死なせ、幾十万の遺族を作り出したのか。
「おおっ、おお…おお…おお…」
死んで詫びる程度ではすまない。それどころか今の段階での死は鄧禹にとって救いでしかない。
「おおおお…おお…おお…」
鄧禹の号泣はいつしか止みつつあった。
泣いているわけにはいかなかった。せめて劉秀に会って、罪を詫び、罰を賜らなければ、それこそ死んでも死にきれない。
「……」
泣きやみ、鄧禹は静かに立ち上がった。
今度は身体ごと振り向くと、兵はその場に変わらず立っていた。古代人は現代人より感情を素直にあらわにすることを自然と感じている。むしろこの状況で泣かない男の方が異常かもしれず、それだけに彼らに鄧禹に対する心配はあっても不信はなかった。
「…陛下のもとへ向かおう」
泣きはらした痕はそのままに、表情は常のものに戻った鄧禹は、彼らに静かに告げると、再度愛馬にまたがり、馬首を東へ向けた。
劉秀はその方角にいる。
部下たちも鄧禹に従い、東へ向けて馬を歩ませ始めた。
劉秀の命により北州より出撃して二年余。
完全なる失敗をもって、鄧禹の長安遠征は終わった。
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