鄧禹

橘誠治

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第一章 北州編

柏人攻防

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「よし、よくやった」
 騎馬隊が李育軍を二度に渡って破撃する様子を後方から見ていた劉秀は、握った拳で乗馬の鞍を打った。それがやや強かったため愛馬が抗議のいななきを上げるのを、劉秀は笑ってなだめる。
 その表情は、騎馬隊が李育軍への追撃をやめ、柏人へ逃げ込むのに任せているのを見ても変わらなかった。これは当初からの予定だったのだ。
「前軍を奇襲で壊滅させられたところから主導権は完全に敵に握られていたからな。それをここまで挽回し、主導権も取り戻せたのだ。よしとせねばなるまい」
 理想を言えば李育軍も討ち果たしてしまえればよかったが、大きなマイナスの状況からプラスまで持っていけたのだから、確かによしとすべきだろう。


 騎馬隊を撃ち出した後、漢本隊も止まらず進軍を続けていた。騎馬隊が破撃し散らばった李育の兵を捕獲するためだ。抵抗されれば殺すしかないが、そうでなければ捕虜にできる。
 といっても人質として李育と交渉する材料にするためではない。味方の兵にするためだ。
 前述したとおり、兵=民の大部分に政治上の思想はない。また野心もない。ただ生きるため近くにいた陣営に入るしかなかっただけである。とすればその対象が王郎から劉秀になっても彼らには何の問題もない。劉秀も兵はいくらいても足りない状況なのだ。無駄に殺すなどありえなかった。


 また奪われた前軍の輜重を再奪取できたことも大きな戦果だった。李育が逃げるために捨てた輜重を劉秀が確保しないわけがない。
「いくら兵がいたところで彼らを動かす食糧がなければ話にならんからな」
「腹が減っては戦はできぬ」は古今東西の人類社会、それどころかこの星の生命体である限り、絶対の真理だった。


 こうなると劉秀の懸念は一つだった。
「仲華と元叔は無事だろうか」
 鄧禹と朱浮である。本隊へ向けて逃げてきた前軍の敗残兵を、劉秀は可能な限り拾い上げたが、その中に二人はいなかった。
 それでもあきらめるにはまだ早い。劉秀は戻ってきた騎馬隊に褒詞を与えてねぎらうと、全軍に柏人の包囲を命令し、また四方へ偵騎を放って、まだ回収できていない敗残兵と、鄧禹、朱浮の行方を探させ始めた。

 
 鄧禹と朱浮は生きていた。だが敗北直後は潰走する兵の激流に押し流されるだけであった。
 その激流がなんとか収まり、鄧禹も大きく荒く息をつくと、馬上から周囲を見回し茫然とする。鄧禹も含め激流から生還した兵たちは、傷つき、汚れ、疲れ果てた敗残の群と化していたのだ。


 それでも生き残ったからには指揮官として彼らに対する責任を果たさなければならない。
「こっちだ。全員北へ向かえ」
 彼らは北から南へ進軍に後ろから襲われた。兵たちはおのおのの状況や才知において、四方八方、自分が助かりやすいと考えた方向へ逃げたが、それでも大部分は南へ向かって逃げ出したことになる。
 鄧禹は李育が敗走する自分たちを深追いせず、輜重だけを奪って柏人へ帰って行くのを確認したあと、敗残兵をできるだけ北へ向かわせるよう努めはじめた。
 北からは劉秀の本隊がやってくる。そこへ兵たちを集めなければならない。劉秀陣営は他の群雄に比べてまだまだ寡兵であり、一兵とて貴重なことに変わりはないのだ。そうでなくとも生き残った彼らを一人でも多く生き延びさせることが、今の鄧禹が最優先すべきことだった。


 果たして、鄧禹と朱浮は柏人を囲む劉秀の本隊と合流できた。
「面目の次第もございませぬ」
 劉秀の前に平伏し、額を地面にこすりつけるように深謝する二人も、敗残兵と変わらぬほど砂塵に汚れ、疲労しきっていた。本隊に被害はなく、今回の敗北はいわば王郎陣営との前哨戦でしかなかったが、逆に言えば緒戦を落とし敵に勢いを与えたことは、単なる敗北以上の不利を味方にもたらしたことにもなる。まして劉秀が自分たちを破った李育を大破し、すでに雪辱を果たしてくれたあととあっては、鄧禹はもとより傲岸な朱浮も、さすがにおのれの不首尾に恐懼するのみであった。
 

 が、劉秀は二人を責めなかった。
「勝敗は運もある。かえりみるところは省みて、必要以上に消沈するな。雪辱の機会はいずれ与えてやるゆえな。それより兵の離散を防ぐに力を尽くしたこと、見事だったぞ」
 それは人道的な意味もあるが別の理由もある。敗北の後、生き延びた敗残兵を逃げるに任せ彼らが違う勢力へたどり着けば、そのまま吸収される可能性が高かった。それは味方の戦力減=敵の戦力増に他ならない。
 それだけに鄧禹も朱浮も逃げる彼らを引き留めるために「北の本隊へ行けば生き残れるぞ! 飯もたらふく食えるぞ!」と声をらし、他の兵にも叫ばせつづけた。これ以上に彼らを引き留め、その足を北へ向かわせる言葉はなかったからである。
 

 その功を劉秀は見落としていなかった。
 とはいえそれだけが赦免しゃめんの理由ではない。
 そもそも人材が足りないのだ。鄧禹にしても朱浮にしてもそれなりの実力はありつつも、まだ実戦経験は多くない。鄧禹に至っては人生経験自体が乏しいのだ。彼はおそらく陣営一の俊才だろうが、それだけにできるだけ大事に育てなければならない。一度や二度の敗北や失敗で罰して遠ざけるような余裕は劉秀にはなかった。


 そのことを鄧禹は理解していた。自らの才に自信はあるが、劉秀の厚意にれることは慎まねばならない。
 それと同時にまだまだ実力をたくわえねばならぬ。今回の敗北は、鄧禹にも不備が多すぎたのが大きな要因なのだ。
「恐れ入ります。この不首尾、必ずや新しい功にてつぐなわせていただきます」
 鄧禹は全霊をもってそう答え、朱浮もそれにならった。


 柏人攻囲戦は続く。が、一向に落ちない。
「思った以上だな、李育という男は」
 劉秀も柏人を包囲するころには李育の名を知っていた。そして劉秀が李育の真価を感じ取ったのは、この攻囲戦のときかもしれない。
 李育は劉秀に敗れ、せっかく手に入れた輜重も失ってしまった。これでは兵の士気は下がり、彼に対する不満や不信を覚えられても仕方がないだろう。そうなれば柏人はさほどの困難もなく落とせると考えていたのだが、李育の兵は劉秀の予想あるいは期待をくつがえし、粘り強く抵抗を続けているのだ。
 これは李育が敗北からの短時間で兵の士気と信頼を取り戻し、再統率を果たしたからに違いなく、劉秀としては歯噛みしながらも感嘆を禁じ得なかった。


 そして柏人の李育らは援軍を期待できるところも大きい。李育軍はいわば王郎の前軍のようなもので、彼らの後ろには王郎本隊や彼の諸将軍がひかえている。その誰かが柏人攻略に手こずる漢軍の後背を撃てば、今度は劉秀たちが惨敗の憂き目に遭いかねないのだ。
「さて、どうしたものか…」
 劉秀も思案のしどころである。このまま柏人攻略に時を費やしていいものか。劉秀は側近や識者ブレインはかった。
「柏人にこだわっていても仕方ありませぬ。ここはあくまでも小城。それより鉅鹿きょろくを攻め落とし、平定することこそが肝要にございましょう」
 柏人は決して小城ではない。だがこの近辺の中心都市である鉅鹿に比べればやはり小さい。鉅鹿の方が交通の便もよく情報も物資も集めやすく、また周囲への心理的影響力も大きく、政略的にも戦略的にも有用であった。


「なるほど」
 劉秀もうなずく。考えてみれば攻囲をおこなうのは李育にも不利ではなく有利を与えている。彼らが自分たちと互角に戦えているのは籠城戦だからこそなのだ。兵数も少なく大敗した李育軍は、城から出ての野戦では勝ち目が薄いとわかっている。たとえ囲みを解いて去ったとしても追撃してくる可能性は低い。なにしろ劉秀にとって李育が調子に乗って城から出てくれば返って好都合なのだ。今度は準備万端整えて、迎撃・殲滅するのみである。奇襲などさせない。
 だが李育にそのような愚かさはなく、彼我の戦力差を考えれば漢軍が去るに任せるだけであろう。
 その後は王郎に復命するのみだが、漢の前軍を壊滅させたとはいえ結局は敗北した李育を王郎が厚遇するかは微妙なところである。李育をこの先どう遇するか。それにより王郎の器量はさらに明らかになるだろう。

 このとき、識者ブレインの一員である鄧禹は発言を控えていた。大敗直後の身の上では積極的な発言もはばかられる。まして首脳陣で最年少であり劉秀の昔なじみでもある鄧禹は、普段から嫉視や蔑視を受けやすい境遇にある。劉秀に目をかけられている自覚があればこそ、鄧禹は常に自重を忘れることは許されなかった。
 劉秀もそのことはわかっている。それだけに今回は意識して鄧禹へは視線をやらず、意見も求めなかった。これ以上公の場で鄧禹の立場を悪くするわけにはいかないのだ。
 といって鄧禹は、この件に関して自分の考えを表さなかったわけではない。無言でいることがすでに賛意の表明であった。鄧禹にはいかに他者の不興を買おうとも、言うべきときに言うべきことを言う覚悟はできていた。それができなかったため直近の戦いで惨敗を喫したのである。あのような無様で惨めな真似は二度と許されなかった。
 劉秀も鄧禹の無言の賛意は感じ取っている。それも参考にしつつ短く熟考すると、決断した。
「よし、鉅鹿へ向かう。柏人の包囲を解け」
 漢軍は撤退を決めた。


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