延岑 死中求生

橘誠治

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第一章 関中編

第4話 意外な同盟

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 この年(建武二年・西暦26年)二月から数か月、延岑と劉嘉・李宝は戦いを繰り返してゆくことになる。
 それは主に劉嘉が延岑へ攻撃を仕掛ける形が多かっただろう。
 劉嘉は根拠地である南鄭を失いはしたが、あらたに河家・下弁を手に入れることに成功している。
 だが延岑が天水郡で新しい根拠地を手に入れたという記録はない。あったにしても、南鄭などの要地ようちとなり得るほどの城邑じょうゆうは得られなかったのだろう。
 だとすれば補給その他において劉嘉たちの方が有利になるのは当然だった。


 延岑は生かしておいては危険な男である。その認識が劉嘉にはあった。将としての有能さはもとより、自分にくみしてから二年もその叛意を隠し謀叛むほんを起こしたのだ。能力においても、執念深さにおいても、見過ごせるはずもない。
 またそのような事情を置いておいても、延岑の首をねねば劉嘉の気はすまなかった。私情であるといえばいえるが、雪辱のために相手を殺すことはこの時代の通念であり、他者から忌避きひされる考えではない。温厚な人柄で知られる劉嘉にとっても、これはごく常識的な心情だったのだ。
 

 だが延岑は、劉嘉が考える以上にしぶとい男だった。
 全体的に劉嘉が押していることは間違いない。だがどれほど叩き潰そうとしても最後には逃げられ、しかも遁走とんそう先で必ず再起してくるのが延岑だった。
 劉嘉の目的が延岑の滅亡である以上、これはなまじの将軍を相手にするより始末が悪かった。
「油虫のような男だ」
 と、温厚な劉嘉が珍しく吐き捨てるが、そこには延岑に対する恐れも潜んでいた。これほどしぶとい延岑が、もし充分な兵力と補給能力を手に入れればどうなるか。
 様々な事情から、劉嘉は延岑への追撃を収めることはできなかった。


 劉嘉は延岑にとどめを刺せないことにあせりと苛立いらだちを感じていたが、延岑に余裕があったわけではない。
 むしろ圧迫され敗勢気味の延岑の方が常に苦しい。
「しつこい男だ」
 同時代人ゆえに劉嘉の心情を理解できる延岑だったが、苦々しさを覚える気持ちの方が強いのも、この状況では仕方がない。
 ゆえに延岑は、一時劉嘉たちから距離を取ることにした。
三輔さんぽへ入るぞ」
 三輔とは長安周辺の、前漢における真の首都圏である。
 この時期、長安は赤眉に抑えられているが、彼らとてその周辺まですべてを領有できているわけではない。


 延岑は散関という、関中と漢中を結ぶ古い関から三輔へ侵入した。天水郡から一度は奪った漢中へ戻ってきていたのは、それだけ延岑が劉嘉から逃げに逃げたということもあるだろうが、王を号した土地への未練もあったのかもしれない。
 だがどちらにしてもここはすでに候丹(の主君である公孫述)の支配下にあり、延岑にとどまることを許さなかった。
 

 ゆえに延岑はあらためて隘路あいろである散関を抜けたのだが、なんと劉嘉たちも彼を追って関中へやってきてしまった。
「しつこい!」
 と延岑は怒号を発したかもしれない。
 それは無理からぬ感情の発露はつろだったが、劉嘉としては延岑追撃だけでなく、彼自身が関中へ入ることも目的だったのであろう。
 やはり天下の状況は三輔を中心に展開することが多い。
 武都郡にいても展望が開けるわけではなく、劉嘉も争乱の中心地で自身の今後を見据えたかったのだろう。あるいはこれは劉嘉ではなく、野心の大きさでは主君を上回る李宝の案だったかもしれない。
 どちらにせよ、延岑は陳倉でまたしても劉嘉に撃破され、敗走していった。
 

 延岑は敗走したが、やはり滅亡はせず、それどころか新たな根拠地を手に入れていた。
 杜陵とりょうである。場所はなんと長安の南東すぐ近くであった。三輔でもほぼ中心地の一部である。
「なぜこのような場所が空いているのだ」
 敗勢続きだった延岑は喜々として駐屯したのだが、なぜこれほどの土地に誰も進駐していなかったのか、理由はすぐにわかった。
 長安に近すぎたのである。
 長安は変わらず赤眉が支配している。自然、長安の周辺も彼らの勢力圏となるのだが、杜陵はその圏内に入るのだ。
 それでも小規模な勢力が寄生するだけなら赤眉もさほど気にすることはなかったかもしれない。
 だが劉嘉と転戦する延岑の名はすでに三輔では知れ渡っている。また敗勢気味であっても滅亡せず、常に復活して勢力を途切れさせることのない延岑は、一種独特の脅威として周辺の群雄に認知されていたのである。


 その延岑が本拠地(長安)の近くへやってきた。これだけで赤眉にとっては討伐の理由となった。
 建世二年九月(建世は赤眉が擁立した皇帝の政権における年号。西暦26年。建武二年)、赤眉の有力な武将である逄安ほうあんが杜陵を攻めるため、十余万の軍勢を率いて出撃した。


 これにはさすがの延岑も表情を硬くした。
 十余万はこの近辺の群雄では赤眉以外に動員することはできない。あるいはこの時期の中華全土も赤眉にのみ可能な兵数だったかもしれない。当然、延岑にも不可能である。
 またこの兵を率いる逄安も突出して有能というわけではないが、この大軍を過不足なく使いこなす程度の器量は持っている。
「……」
 延岑も思案のしどころだった。
 戦うにしても兵力が足りない。あるいは奇策ならこの大軍をしりぞけるすべもあるかもしれないが、延岑はもともとその手の戦法が得意ではなかった。彼の性格は開けっぴろげで、それがゆえに人を引き寄せ、何度も復活を果たしているのだが、策を考える力は、どちらかといえば陰に属する頭脳の持ち主が得手とするものだ。
 そしてまた、延岑には参謀と呼べる部下がいなかった。


「逃げるか……」
 正面から戦っても勝てず、奇策も思いつけないとなれば、それ以外の道はないかもしれない。
 だがもともと「このままでは将来の展望が見えない」と三輔へやってきたのだ。
 逃げてどうするのか。どこへ逃げるのか。その先に新たな展望はあるのか。
 今の延岑にそのようなものはなかった。


 八方がふさがった感のある延岑だったが、ここで思わぬ助け船がやってきた。
 まったく思わぬ相手からの救いの手で、延岑も思わず声をあげてしまうほどだった。
「李宝が同盟を申し出てきただと!?」
 その相手は、不倶戴天ふぐたいてんの敵である劉嘉の相、李宝であった。
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