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22話 無に帰する
しおりを挟む「立てるかっヴァレント!? おいっプルジャ! 治癒魔法もかけてやれ!」
悪魔に向かって矢を放ちながらアンクバートが叫んだ。光を帯びた矢が次々に命中するが悪魔は微動だにしなかった。
「くっそ! 破魔の矢が全然効かねえぞ!」
悪魔がくるりと顔を捻りアンクバートの方を向いた。わずかに生まれたその隙にセンシアさんの魔法でおれの怪我も少しだけ回復した。
「気休めかもしれないけどエンチャントもかける。剣を」
プルジャにそう言われ二本の剣を彼女の目の前に置いた。センシアさんはプルジャの背後に移動すると手を重ねるようにしてそっと小さな腕を掴んだ。母親から文字を教わる子供のようにプルジャの人差し指が動き出す。するとその指先が輝き始め光る文字を虚空に描き出した。
「邪を滅せよ」
プルジャとセンシアさんの声が重なり、現れた文字が剣に吸い込まれていく。淡く光る月のように二本の剣が輝き始めた。おれは立ち上がりながら剣を掴み取った。
「プルジャ、出来るだけ遠くに離れてくれ」
プルジャは頷く事もせず後退るようにその場を離れた。おれは剣を逆手で持ちながら両腕を交差させた。視線の先ではアンクバートが必死に矢を放っている。悪魔がじわりじわりと彼を追い詰めていた。おれは目を瞑り一度だけ大きく息を吸い込んだ。
「……無我」
周囲の音がすっと消えて無くなる。聴こえてくるのは心臓の鼓動だけ。
ドクッ――ドクッ――ドッ――ク
心音が次第に緩やかに凪いでいく。全身を流れる魔力が胸の中心へと収縮されるように集まり始めた。
いつしかおれは真っ白な世界にいた。幼い頃に一度だけこの世界を見た事がある。
山の中でレベリオと二人、魔物の群れに囲まれた時だ。無我夢中で戦い気を失った後、目を覚ませば泣いているレベリオがおれの手を握っていた。
そして今また、少しずつ意識が薄れ始めた。手足の感覚が失われていく。
ふと気付けば遠くに人影が見えた。
「レベリオ――」
彼女が振り返り、視線が交わる。
「なぜだ? なぜおれを騙し裏切った?」
彼女はなにも答えなかった。ただただ悲し気な目でおれを見つめていた。
「おれは君を愛していた……この世界の誰よりも」
彼女の目から涙が零れた。そしてわずかに微笑むと、ゆっくりと口を開いた。だがその言葉はおれには届かなかった。白い世界に光が満ち始める。やがてレベリオの姿が溶けゆくように消えていき、何もない世界が訪れる。
全てが無に帰したかのように。
気がつけば黒い靄の向こうでアンクバートが私に向かって矢を放っていた。さっきからずっと意識は途切れ途切れだ。体がふわふわとして力が入らない。すでにこの体は完全に悪魔に乗っ取られたのだろう。
突然、目の前に光を放つ剣が現れた。それを防ごうと私の右腕が形を変える。でもあっさりと私の腕は切り落とされた。
霞んだ視界の中にヴァレントがいた。真っ白になった髪は逆立ち、白濁したその瞳は輝きを失っている。昔一度だけ見た事があった。きっとこれは狂乱の最終形態。
こうなると彼には敵も味方も関係なくなる。目に映る者をただひたすらに屠っていく。その強さは悪魔さえも凌駕するだろう。
焦り始めた悪魔の様子が手に取るようにわかる。見境なく攻撃を放つがヴァレントはことごとく跳ね返していく。私を覆っていた黒い羽根が削ぎ落されるように散っていく。
――ようやく。これでようやく終われる。
安堵の言葉を心の中で呟いた。その時、表情を失ったヴァレントと視線が合った気がした。私は残された左手を彼へと差し伸べた。
「愛してるわ、ヴァレント……」
ずっと心を込めて言いたかった言葉。伝えたかった言葉。
でももう彼に届く事はない。
迫り来る剣が私の胸を貫いた。
差し出した指先に触れたのは彼の頬を伝う涙だった。
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