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叶わぬ願いと望んだ未来
二人の秘密
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……もうやだ。
それが真っ白になった頭の中で唯一残ったリリアの気持ちだった。
聖女として生まれ、周りからは恐れられる様に距離を置かれ、必死にみんなの役に立とうと前を向いてきた。
将来の夢も持たない様にして……自己研鑽を怠らないように幼初期は読書で知識をつけ、ハンターとしての実力も高めてきた。
もちろん悲しい時なんてたくさんあった。自分は人形ではなく人間である証拠だけど……辛かった。それでも聖女の使命を全うする為に頑張ってきた……なのに。大地に嘘がバレない様にと嫌われない様にと心からの願いすらこの世界は聞き入れてもらえない。
一度心の片隅で否定の言葉を考えてしまったリリアのその言葉が心を蝕んでいく。
嫌だ嫌だ嫌だ
もう頑張りたくない!こんな世界やだ!嫌われた……絶対に嫌われちゃった。
消えたい消えたい。もうやだよぉ。
何で。たった一つの願いすらダメなの?いけない事なの?
もっとダイチさんと一緒にいたかった。でも……もうダメ。
バレて嫌われて……もういや。いやぁ。
言葉がリリアの心を蝕めば蝕むほど感情の制御は出来なくなっていく。勝手に胸は痛くて苦しくなり、目が熱くなって涙が溜まってしまう。自分が向いている方向を気にする余裕すらなく俯いてしまう。立っているのもしんどくて……辛い。
リリアの瞳から小さな粒の水がポタリポタリと地面へ落ちて行く。次第にリリアからしゃくりあげる声が聞こえてきた。そんな彼女の近くにいながらも大臣は大地に向かってリリア自慢を続けているのだ。
現状をある程度理解した大地はそれに怒りが湧いてくる。
そして、大臣が一段と誇らしそうにと「リリア様はこの国の誇りです!」そう胸を張って言った瞬間、リリアの感情が爆発して大きな声を上げた。
「もおやだぁー!もう全部やだあぁ!嫌い!全部嫌い……!!こんな世界やだぁぁ……」
そう言って盛大に声を上げて泣きだしたリリアにアーデルハイドは「リリア!!」と名前を呼んで飛び出す様にして近づいた。アーデルハイドはすぐさまリリアを抱きしめる。立っている場合ではなかった。直ぐに大臣の口をふさがなければいけなかった。ただ、これを気にリリアの嘘を知った大地がすべてを受け止めてくれると思ってもいた。
失敗したのはリリアの心の弱さを見誤った事だ。大臣の話が終わり、大地が受け入れる話が始まるまでリリアが耐えられなければ意味が無かった。――違う。リリアの心が弱いのではない。聖女として色んなものを背負わせてしまった中で唯一の支えにした大地の存在。その大きさを見誤ってしまったのだ。
「な、どうされたのですか!リリア殿下」
急に泣きわめきだした様に見えた大臣は狼狽えながら大地へと再び視線を向けた。
「貴様!リリア殿下に何をした!?」
恐らくこいつが元凶だ。という目をしながら言う大臣に大地はそろそろ堪忍袋の緒が切れると言った様子だ。
「なぁ。爺さん。お前……リリアの事を見てきたって言ったよな?」
「お前……じゃと!?ふん。口の利き方もわからんやつめ……」
大地を見下す様に言う大臣だ。何時もなら適当にスルーでも決め込めばいいのだが今はそれどころじゃない。
「おい。俺の質問に答えろよ?リリアの事を見てきたって言ったよな?」
「当たり前じゃ!幼いころからワシが礼儀作法を教えていたんじゃから」
「なら!今リリアが泣いている理由を言ってみやがれ!!」
大地が大臣の胸ぐらをつかみ上げる。
「ぐ……何を!貴様が何かしたに決まっている!リリア様はワシが守るんじゃ!!」
大臣が苦しそうにしながら叫ぶ。だが、その言葉は大地の怒りを更に燃やすだけだった。
「ふざけんなっ!!リリアを守るなら……もっとちゃんとアイツの事を見てやれよ!!言葉を聞いてやれよ!!」
そう怒りを露にしながら大地は握った拳で大臣を殴り飛ばした。
手加減は勿論しているが、それでも殴られた衝撃で大臣の体は宙を舞い、大臣が地面に戻れたときには殴られた勢いによって数回転がった。
周りから驚きの声が上がる中、数人の兵士たちが大地を取り押さえようと槍を構えて突き出しながら向かってくる。だが……ガシャガシャと音を立てながら小走りで近づいてくる兵士たちに大地は掌を突き出してたった一言「待てっ!」と怒鳴る様に叫ぶと兵士達がたじろいでその場で止まった。
大地さん。少し落ち着いてください。
わかってる!!
脳内でフルネールの声が聞こえてきて反射的に大地は答えてしまった。そして、伝えてから自分が冷静ではないことに気づいた。
……悪い。頭に血が上ってた。
私にはいいです。けれど……今のリリアちゃんにはやめてあげてくださいね?
すまない……ありがとう。今度、何かで埋め合わせする。
ふふ。期待しないで待っていますね♪
大地は深く息を吸い込みゆっくりと吐き出していく。そうして自分を落ち着かせるとリリアへ体を向ける。
ずっと何かを隠している感じは前からあった。それが何なのかはよくわかっていなかったが……リリアの素性の話であるなら納得もいく。
「リリア。今、話せるか?」
リリアを抱き締めるアーデルハイドまで数歩。その距離を詰めた大地は片ひざをついてリリアへ視線の位置へ近づける。
今のリリアは泣きわめくことはないが、抱き締めるアーデルハイドの胸の中でしゃくりあげているままだ。
その様子にアーデルハイドは流石に無理だと感じて大地へ振り向いた。
「ダイチ。今は勘弁して――」
胸の中でリリアの手が動くのを感じてアーデルハイドは言葉を止めた。その手の動きは明らかに自分から離れようとしているものだったからだ。
抱き締める力をアーデルハイドが弱めるとリリアは彼女から離れた。何とかしゃくりあげる声を止め、目に溜まった涙や流れた跡を乱暴に擦ってから大地へしっかり向いた。
「はい……」
元気があるとはとてもじゃないが言えない声だ。しかし、リリアとしても逃げるわけにはいかない。
「リリア……俺はあの爺さんが嫌いだ」
大地が開幕口にした言葉はまさかの国の重鎮の悪口だった。
そんなこと城の中で呟くだけでも牢屋へご招待されてしまう。なのにダイチは真正面からそんなことを切り出すのだから……この男に怖いものなんてないのだろうか?と勘ぐってしまう。
しかし、大地のターンはまだ終わっちゃいない。
「だから……あいつが言っていたことを信じたくないし信じる気もない。だからリリアに直接聞くぞ?お前は王女なのか?」
真正面から向けてきた言葉。答えないといけないのに勇気がでなくてリリアは「あ……その……」と言葉を詰まらせる。瞳は大地に向けられているがその先へ進むことが出来ない。言わなくてはいけないという思いと、言ったら終わってしまう恐怖がリリアを縛る。
どうしても動けなさそうなリリアを前にして大地は再び声をかける。それも少し微笑みかける様に優しく。
「俺はさ。今から聞く今のリリアが言ってくれる事ならどんな言葉でも信じるから……リリアの事を教えてくれ」
それはリリアが『リリア・フローライト』と偽りの名前を言っても信じると、リリアが願った元の状態へと戻すと大地は言っている。それが分からないリリアではない。だから……視線を横に向けた。その先にいるのは自分を生んだ両親だ。
その視線を受けた王様も王妃様も頷いた。その二人の意図は『名前を偽れ』である。
兼ねてからリリアの意向は周知の事実である。普通なら家の名前を偽るなんて何を考えているんだと大目玉になってもおかしくない事柄だが、リリアには聖女として負担をかけてしまっているのだ。だから……娘の意思を尊重したい。それが王家の名前を捨てたいと言うのであれば、それすらもよしとするつもりである。
リリアは視線を動かしてクルスへと目を向けると同じように頷き、真上を見て後ろにいるアーデルハイドの顔を見ると彼女も優しく微笑みながら頷く。
家族全員が同じようにリリアが自由に生きる事を最優先に思っているのだ。それにただ『名前を偽る』だけなのである。別に家を出て行くとかという話ではない。だから、リリアが願っていた状態に戻すには嘘をついて望んでいた関係に戻るのがリリアの心にとって一番いいはず……なのである。
でも――。
「ダイチ……さん。わたし。わたしね。本当はこの国の王女なんです。第二王女……リリア・ロウ・ホワイト。それが……私の本当の名前なんです」
家族の優しさはとても嬉しい。そしていつもの日常を願うなら偽ったほうがいいのもわかっている。それでも……リリアが感じた、たった一つの感情がそれらすべてを跳ね返して真実を口にする。
「そうか……」
大地は短くたったそれだけ言った。嘘をつく人だと失望させてしまった。完全に嫌われてしまったから……だから大地は何も言わないのだろう。
堪らずリリアは俯いてしまった。先ほどの大地に言った時の声も震えてなかっただろうか?泣いてはダメだとわかっている。でも……大地の目を見る事なんて出来ない。でも言わなければいけないのだ。
「ダイチさん。私の事、嫌いになりましたよね」
そんなふうに下を向いているリリアに大地は「リリア」と声をかけるがリリアには声が届いておらず口は止まらない。
「だって私は嘘つきなんですから嫌われてもしかたありません」
再び大地は「リリア」と声をかける。それも先ほどより強めにだが必死に話すリリアには届かない。
「ダイチさんを騙したその隣で笑っているなんて……私は嫌な人ですよね。だから……今までありがとうございました――」
「リリア!」
「ひゃい!」
最後まで話しきったリリアが最初に認識した大地の言葉は叫ぶように呼ばれた自分の名前だった。その勢いについリリアは顔を上げて大地の目をまっすぐ見てしまった。
「あっ……ダイチ……さん……」
リリアの目に映った大地の表情。それは怒っているとか呆れているとか悲しんでいるとかそんな不の感情に繋がる表情は一欠けらも無かった。
「俺はまだ……リリアの事を嫌っているわけじゃない」
「まだ……?何故ですか?だって私はダイチさんを騙していたんですよ!」
逆に怒るつもりが無かったはずのリリアがついそう叫んでしまった。叫んでから自分が感情をコントロール出来ていないと分かるのだが……止められるわけがない。
「そうだな。リリアが王女だという事は理解しているよ。それで?」
「それでっ……て、だからダイチさんは私の事を……」
「……確かにこの話をここで止めたらリリアの事を嫌いになるだろうな」
わからない。大地が何を言いたいのか。
いっそ早く嫌って私の目の前から去ってくれれば――いや、それは嘘だ。そんな事思えるわけがない。本当なら……はしたないけど今、大地に抱きしめてもらいたいと思ってしまっている。叶うなら大地に飛びついて泣きつきたい。でも、それは叶わないはずなのに……そう、もう戻れないのだ。
一気に考えるリリアだが結局の答えは『分からない』となりその表情は暗く、少しずつ視線は下がっていく。だから大地は「リリア」と呼び顔をあげさせた。
「俺が聞きたい言葉……わからないか?」
回りの者は大地が何を言いたいかわかるだろう。ただそれは『恐らく』と言った推測の域を決して出ることはない。大地の意図を完璧に理解しているのはたった一人、大地の目の前にいる少女だけである。だってその言葉はあの時の……氷の宮殿の中でリリア自身が大地に言った言葉なのだから。
でも大地がそこまで言ってくれる理由なんて分からない。だって自分は……自分、は……。
「ダイチさん」
……無意識にその名前を呼んでしまった。だから……大地があの時、私に言ってくれたように今度は私が大地に言う番なのだ。
「嘘をついて……騙しててごめんなさい!」
大地の優しさに目頭や胸が熱くなり、目尻に涙を溜めながらリリアは精一杯の声で大地に言った。
その大地は間髪入れずにすぐ答えた。
「よし!許す!」
あまりにもあっけない言葉だが……リリアの感情を激しく動かすには十分だった。
「なんで……だって私はダイチさんを騙していたんですよ!?何で怒ってないんですか。私はダイチさんが苦手な王族なんですよ!なのに――!」
そんな風に優しい笑みを向けないで。そう言った自分を卑下する感情が大地には透けて見えてくる。その考えを否定したくて大地は彼女の言葉を遮るように抱きしめた。
「あ……」
リリアはか細いその声を漏らす。
「リリア……嘘をついてて辛かったよな。気づいてやれなくてごめん」
彼女に出会った頃にはこんな事しようとも考えなかった。何時からここまで近づけるようになったのか……と考えればやはり勝手に腕枕をさせられた時だろう。
「なんで……だって……」
「リリアは騙して笑ってた何て言うが無理してそんなこと言わなくていい。そんなのが嘘だって俺でもわかるんだから……」
「でもでも……私は……」
大地の胸の中で誰にも見えない涙をこぼし始めたリリアの声は震えているが、それ以上に抱きしめている彼女の体を通して彼女が震えている事が分かる。
「俺が言った言葉でずっと苦しんでいたんだな」
言葉と共に大地は力を込めた。その温もりと力強さがリリアに安心感を与えてくれて……だからリリアは甘えるようにリリアからも大地へと体重をかけていった。
「ねぇダイチさん。私は王女ですけど……これからも仲良くしてくれますか?」
「もちろんだ」
大地のその言葉にリリアがそっと離れる。その顔には涙の痕が有りはしたものの表情は安心から来る柔らかい笑みを浮かべていた。
リリアはもう大丈夫だろうとわかる。本当ならこのまま食事でも誘ってわだかまりを完全に払拭したいところだがこの後の事を考えるとそれは難しい。
「それじゃあ俺はそろそろ行くけど、あの大臣に回復魔法は掛けてやってくれ」
「え?……行くってどこにですか?」
その返答に大地は何も言わず笑みだけ返すと振り返る。そして、今じゃすっかり槍先を上にあげてしまっている兵士へと近づいて行った。
「待たせたな。連れて行け」
大地は自身を取り押さえようとしていた兵士にそう言うのだが、その兵士は本当に取り押さえていいのか困惑していた。何せどう考えても、誰が見ても彼が動いた理由はリリアの為である事がわかるからだ。他にも王女、王子から聞いていた英雄譚の話まであるのだから……困った兵士は王様へと振り向くが、その王様は連れて行けというように頷いた。
そうして命令を受ける事が出来た兵士は大地を前と後ろで挟んで列を作るが、その時にリリアから大きな声で呼ぶ大地の名前が響く。だが、今は兵士に捕まったという身分だからこそ大地はそれに対して反応せず兵士に連れられて謁見の間から出て行った。
それが真っ白になった頭の中で唯一残ったリリアの気持ちだった。
聖女として生まれ、周りからは恐れられる様に距離を置かれ、必死にみんなの役に立とうと前を向いてきた。
将来の夢も持たない様にして……自己研鑽を怠らないように幼初期は読書で知識をつけ、ハンターとしての実力も高めてきた。
もちろん悲しい時なんてたくさんあった。自分は人形ではなく人間である証拠だけど……辛かった。それでも聖女の使命を全うする為に頑張ってきた……なのに。大地に嘘がバレない様にと嫌われない様にと心からの願いすらこの世界は聞き入れてもらえない。
一度心の片隅で否定の言葉を考えてしまったリリアのその言葉が心を蝕んでいく。
嫌だ嫌だ嫌だ
もう頑張りたくない!こんな世界やだ!嫌われた……絶対に嫌われちゃった。
消えたい消えたい。もうやだよぉ。
何で。たった一つの願いすらダメなの?いけない事なの?
もっとダイチさんと一緒にいたかった。でも……もうダメ。
バレて嫌われて……もういや。いやぁ。
言葉がリリアの心を蝕めば蝕むほど感情の制御は出来なくなっていく。勝手に胸は痛くて苦しくなり、目が熱くなって涙が溜まってしまう。自分が向いている方向を気にする余裕すらなく俯いてしまう。立っているのもしんどくて……辛い。
リリアの瞳から小さな粒の水がポタリポタリと地面へ落ちて行く。次第にリリアからしゃくりあげる声が聞こえてきた。そんな彼女の近くにいながらも大臣は大地に向かってリリア自慢を続けているのだ。
現状をある程度理解した大地はそれに怒りが湧いてくる。
そして、大臣が一段と誇らしそうにと「リリア様はこの国の誇りです!」そう胸を張って言った瞬間、リリアの感情が爆発して大きな声を上げた。
「もおやだぁー!もう全部やだあぁ!嫌い!全部嫌い……!!こんな世界やだぁぁ……」
そう言って盛大に声を上げて泣きだしたリリアにアーデルハイドは「リリア!!」と名前を呼んで飛び出す様にして近づいた。アーデルハイドはすぐさまリリアを抱きしめる。立っている場合ではなかった。直ぐに大臣の口をふさがなければいけなかった。ただ、これを気にリリアの嘘を知った大地がすべてを受け止めてくれると思ってもいた。
失敗したのはリリアの心の弱さを見誤った事だ。大臣の話が終わり、大地が受け入れる話が始まるまでリリアが耐えられなければ意味が無かった。――違う。リリアの心が弱いのではない。聖女として色んなものを背負わせてしまった中で唯一の支えにした大地の存在。その大きさを見誤ってしまったのだ。
「な、どうされたのですか!リリア殿下」
急に泣きわめきだした様に見えた大臣は狼狽えながら大地へと再び視線を向けた。
「貴様!リリア殿下に何をした!?」
恐らくこいつが元凶だ。という目をしながら言う大臣に大地はそろそろ堪忍袋の緒が切れると言った様子だ。
「なぁ。爺さん。お前……リリアの事を見てきたって言ったよな?」
「お前……じゃと!?ふん。口の利き方もわからんやつめ……」
大地を見下す様に言う大臣だ。何時もなら適当にスルーでも決め込めばいいのだが今はそれどころじゃない。
「おい。俺の質問に答えろよ?リリアの事を見てきたって言ったよな?」
「当たり前じゃ!幼いころからワシが礼儀作法を教えていたんじゃから」
「なら!今リリアが泣いている理由を言ってみやがれ!!」
大地が大臣の胸ぐらをつかみ上げる。
「ぐ……何を!貴様が何かしたに決まっている!リリア様はワシが守るんじゃ!!」
大臣が苦しそうにしながら叫ぶ。だが、その言葉は大地の怒りを更に燃やすだけだった。
「ふざけんなっ!!リリアを守るなら……もっとちゃんとアイツの事を見てやれよ!!言葉を聞いてやれよ!!」
そう怒りを露にしながら大地は握った拳で大臣を殴り飛ばした。
手加減は勿論しているが、それでも殴られた衝撃で大臣の体は宙を舞い、大臣が地面に戻れたときには殴られた勢いによって数回転がった。
周りから驚きの声が上がる中、数人の兵士たちが大地を取り押さえようと槍を構えて突き出しながら向かってくる。だが……ガシャガシャと音を立てながら小走りで近づいてくる兵士たちに大地は掌を突き出してたった一言「待てっ!」と怒鳴る様に叫ぶと兵士達がたじろいでその場で止まった。
大地さん。少し落ち着いてください。
わかってる!!
脳内でフルネールの声が聞こえてきて反射的に大地は答えてしまった。そして、伝えてから自分が冷静ではないことに気づいた。
……悪い。頭に血が上ってた。
私にはいいです。けれど……今のリリアちゃんにはやめてあげてくださいね?
すまない……ありがとう。今度、何かで埋め合わせする。
ふふ。期待しないで待っていますね♪
大地は深く息を吸い込みゆっくりと吐き出していく。そうして自分を落ち着かせるとリリアへ体を向ける。
ずっと何かを隠している感じは前からあった。それが何なのかはよくわかっていなかったが……リリアの素性の話であるなら納得もいく。
「リリア。今、話せるか?」
リリアを抱き締めるアーデルハイドまで数歩。その距離を詰めた大地は片ひざをついてリリアへ視線の位置へ近づける。
今のリリアは泣きわめくことはないが、抱き締めるアーデルハイドの胸の中でしゃくりあげているままだ。
その様子にアーデルハイドは流石に無理だと感じて大地へ振り向いた。
「ダイチ。今は勘弁して――」
胸の中でリリアの手が動くのを感じてアーデルハイドは言葉を止めた。その手の動きは明らかに自分から離れようとしているものだったからだ。
抱き締める力をアーデルハイドが弱めるとリリアは彼女から離れた。何とかしゃくりあげる声を止め、目に溜まった涙や流れた跡を乱暴に擦ってから大地へしっかり向いた。
「はい……」
元気があるとはとてもじゃないが言えない声だ。しかし、リリアとしても逃げるわけにはいかない。
「リリア……俺はあの爺さんが嫌いだ」
大地が開幕口にした言葉はまさかの国の重鎮の悪口だった。
そんなこと城の中で呟くだけでも牢屋へご招待されてしまう。なのにダイチは真正面からそんなことを切り出すのだから……この男に怖いものなんてないのだろうか?と勘ぐってしまう。
しかし、大地のターンはまだ終わっちゃいない。
「だから……あいつが言っていたことを信じたくないし信じる気もない。だからリリアに直接聞くぞ?お前は王女なのか?」
真正面から向けてきた言葉。答えないといけないのに勇気がでなくてリリアは「あ……その……」と言葉を詰まらせる。瞳は大地に向けられているがその先へ進むことが出来ない。言わなくてはいけないという思いと、言ったら終わってしまう恐怖がリリアを縛る。
どうしても動けなさそうなリリアを前にして大地は再び声をかける。それも少し微笑みかける様に優しく。
「俺はさ。今から聞く今のリリアが言ってくれる事ならどんな言葉でも信じるから……リリアの事を教えてくれ」
それはリリアが『リリア・フローライト』と偽りの名前を言っても信じると、リリアが願った元の状態へと戻すと大地は言っている。それが分からないリリアではない。だから……視線を横に向けた。その先にいるのは自分を生んだ両親だ。
その視線を受けた王様も王妃様も頷いた。その二人の意図は『名前を偽れ』である。
兼ねてからリリアの意向は周知の事実である。普通なら家の名前を偽るなんて何を考えているんだと大目玉になってもおかしくない事柄だが、リリアには聖女として負担をかけてしまっているのだ。だから……娘の意思を尊重したい。それが王家の名前を捨てたいと言うのであれば、それすらもよしとするつもりである。
リリアは視線を動かしてクルスへと目を向けると同じように頷き、真上を見て後ろにいるアーデルハイドの顔を見ると彼女も優しく微笑みながら頷く。
家族全員が同じようにリリアが自由に生きる事を最優先に思っているのだ。それにただ『名前を偽る』だけなのである。別に家を出て行くとかという話ではない。だから、リリアが願っていた状態に戻すには嘘をついて望んでいた関係に戻るのがリリアの心にとって一番いいはず……なのである。
でも――。
「ダイチ……さん。わたし。わたしね。本当はこの国の王女なんです。第二王女……リリア・ロウ・ホワイト。それが……私の本当の名前なんです」
家族の優しさはとても嬉しい。そしていつもの日常を願うなら偽ったほうがいいのもわかっている。それでも……リリアが感じた、たった一つの感情がそれらすべてを跳ね返して真実を口にする。
「そうか……」
大地は短くたったそれだけ言った。嘘をつく人だと失望させてしまった。完全に嫌われてしまったから……だから大地は何も言わないのだろう。
堪らずリリアは俯いてしまった。先ほどの大地に言った時の声も震えてなかっただろうか?泣いてはダメだとわかっている。でも……大地の目を見る事なんて出来ない。でも言わなければいけないのだ。
「ダイチさん。私の事、嫌いになりましたよね」
そんなふうに下を向いているリリアに大地は「リリア」と声をかけるがリリアには声が届いておらず口は止まらない。
「だって私は嘘つきなんですから嫌われてもしかたありません」
再び大地は「リリア」と声をかける。それも先ほどより強めにだが必死に話すリリアには届かない。
「ダイチさんを騙したその隣で笑っているなんて……私は嫌な人ですよね。だから……今までありがとうございました――」
「リリア!」
「ひゃい!」
最後まで話しきったリリアが最初に認識した大地の言葉は叫ぶように呼ばれた自分の名前だった。その勢いについリリアは顔を上げて大地の目をまっすぐ見てしまった。
「あっ……ダイチ……さん……」
リリアの目に映った大地の表情。それは怒っているとか呆れているとか悲しんでいるとかそんな不の感情に繋がる表情は一欠けらも無かった。
「俺はまだ……リリアの事を嫌っているわけじゃない」
「まだ……?何故ですか?だって私はダイチさんを騙していたんですよ!」
逆に怒るつもりが無かったはずのリリアがついそう叫んでしまった。叫んでから自分が感情をコントロール出来ていないと分かるのだが……止められるわけがない。
「そうだな。リリアが王女だという事は理解しているよ。それで?」
「それでっ……て、だからダイチさんは私の事を……」
「……確かにこの話をここで止めたらリリアの事を嫌いになるだろうな」
わからない。大地が何を言いたいのか。
いっそ早く嫌って私の目の前から去ってくれれば――いや、それは嘘だ。そんな事思えるわけがない。本当なら……はしたないけど今、大地に抱きしめてもらいたいと思ってしまっている。叶うなら大地に飛びついて泣きつきたい。でも、それは叶わないはずなのに……そう、もう戻れないのだ。
一気に考えるリリアだが結局の答えは『分からない』となりその表情は暗く、少しずつ視線は下がっていく。だから大地は「リリア」と呼び顔をあげさせた。
「俺が聞きたい言葉……わからないか?」
回りの者は大地が何を言いたいかわかるだろう。ただそれは『恐らく』と言った推測の域を決して出ることはない。大地の意図を完璧に理解しているのはたった一人、大地の目の前にいる少女だけである。だってその言葉はあの時の……氷の宮殿の中でリリア自身が大地に言った言葉なのだから。
でも大地がそこまで言ってくれる理由なんて分からない。だって自分は……自分、は……。
「ダイチさん」
……無意識にその名前を呼んでしまった。だから……大地があの時、私に言ってくれたように今度は私が大地に言う番なのだ。
「嘘をついて……騙しててごめんなさい!」
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その大地は間髪入れずにすぐ答えた。
「よし!許す!」
あまりにもあっけない言葉だが……リリアの感情を激しく動かすには十分だった。
「なんで……だって私はダイチさんを騙していたんですよ!?何で怒ってないんですか。私はダイチさんが苦手な王族なんですよ!なのに――!」
そんな風に優しい笑みを向けないで。そう言った自分を卑下する感情が大地には透けて見えてくる。その考えを否定したくて大地は彼女の言葉を遮るように抱きしめた。
「あ……」
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「リリア……嘘をついてて辛かったよな。気づいてやれなくてごめん」
彼女に出会った頃にはこんな事しようとも考えなかった。何時からここまで近づけるようになったのか……と考えればやはり勝手に腕枕をさせられた時だろう。
「なんで……だって……」
「リリアは騙して笑ってた何て言うが無理してそんなこと言わなくていい。そんなのが嘘だって俺でもわかるんだから……」
「でもでも……私は……」
大地の胸の中で誰にも見えない涙をこぼし始めたリリアの声は震えているが、それ以上に抱きしめている彼女の体を通して彼女が震えている事が分かる。
「俺が言った言葉でずっと苦しんでいたんだな」
言葉と共に大地は力を込めた。その温もりと力強さがリリアに安心感を与えてくれて……だからリリアは甘えるようにリリアからも大地へと体重をかけていった。
「ねぇダイチさん。私は王女ですけど……これからも仲良くしてくれますか?」
「もちろんだ」
大地のその言葉にリリアがそっと離れる。その顔には涙の痕が有りはしたものの表情は安心から来る柔らかい笑みを浮かべていた。
リリアはもう大丈夫だろうとわかる。本当ならこのまま食事でも誘ってわだかまりを完全に払拭したいところだがこの後の事を考えるとそれは難しい。
「それじゃあ俺はそろそろ行くけど、あの大臣に回復魔法は掛けてやってくれ」
「え?……行くってどこにですか?」
その返答に大地は何も言わず笑みだけ返すと振り返る。そして、今じゃすっかり槍先を上にあげてしまっている兵士へと近づいて行った。
「待たせたな。連れて行け」
大地は自身を取り押さえようとしていた兵士にそう言うのだが、その兵士は本当に取り押さえていいのか困惑していた。何せどう考えても、誰が見ても彼が動いた理由はリリアの為である事がわかるからだ。他にも王女、王子から聞いていた英雄譚の話まであるのだから……困った兵士は王様へと振り向くが、その王様は連れて行けというように頷いた。
そうして命令を受ける事が出来た兵士は大地を前と後ろで挟んで列を作るが、その時にリリアから大きな声で呼ぶ大地の名前が響く。だが、今は兵士に捕まったという身分だからこそ大地はそれに対して反応せず兵士に連れられて謁見の間から出て行った。
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