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印象

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どれもこれも薄味で確かに普通の人には物足りないだろうが、味気のない糊状の病人食さえ口に運べなかったルエナは、ほんのわずか入れられた白胡椒の薬効でほんのりと体が温まってきた。
しかし飲み過ぎはまた身体に毒だから、部屋に持ち込んだ一杯以上は飲ませられないとシーナ嬢に止められているポリエットは、彼女の予想通りもっと欲しがるお嬢様に向かって、諭すように首を振る。
「今はお休みください。シーナ様によると、お粥はまだ食べられなくてもけっこうですと……栄養があってもお嬢様が拒否される物は与えてはいけないと言われていますから」
「え?」
穀物の甘みすら破壊されて、無味というにはえぐみのある糊を食べる苦痛を逆に『与えてはいけない』などと言われるとは思わず、ルエナはわずかに目を見開いた。
「……美味しかったですか?お嬢様」
「……ええ」
答えたくないように抵抗しながらも、ルエナはやはり乳母の前では子供に戻ってしまい、素直になれない様子で頷く。
糊状お粥をスープボウルで二杯は平らげないと普通食に戻してもらえないのが今までだったのに、まるで赤ん坊に離乳させるような食事をお嬢様に与えることに不安があったが、ポリエットは目の前でお嬢様がスープを飲み切るのを見て考えを改めた。

そのスープはいい香りがするものの本当に色が薄く、かといって毒味役の代わりにポリエット自身がスプーンひと匙分をもらったがほとんど野菜と貝の風味がするぐらいしかわからなかったのに、それでも少しだけ塩と胡椒が入っていると聞いて驚いたのである。
「ずっとお白湯を飲ませてもらって、もうそろそろ舌の感覚もリセットされていると思うんです。だからひとつまみの塩でも美味しく感じてくれるはずですよ」
「りせ……っと?」
「あ~……えぇと……元に戻るというか……お茶の変な味を忘れてくれているはずだと!アハハハ~……」
つい前世の感覚で話してしまうがどうやらシーナの話す言葉はきちんと通じているようで、『意味の分からない単語』として認識されているのはわかっているのだが、ついカタカナ英語や日本語に混じってしまって通常使いしていた英語が出てしまう。
アルベールはさすがに『またか』という顔だが、ポリエットは気味が悪そうに乾いた笑いを立てるシーナから少し距離を取った。
「……気を付けてはいるんだけど」
「リオン殿下も気にされていたから、気にしなくていいんじゃないか?」
「……うん。慰めになってない慰め、ありがとう」
「そうか?」
子供の頃からずっと自分を律するように同世代以下の令嬢を避けまくっていたアルベールが逆にシーナに寄りそって会話をするのを見ながら、ポリエットは「いよいよ次期様にも…」と気付いた。
しかし肝心のシーナ嬢の態度が曖昧で、アルベールの気持ちに応えるつもりがあるのかどうかがわからない。
公爵家での乳母業だけでなく、一応は上級使用人として働いてきた末に伯爵夫人となったポリエットは人の機微に敏感なのだが、そんな彼女でもシーナ嬢は少し不気味で今まで培ってきた観察眼が利かなかった。

普通は侍女に下げさせるのだが、自分で空になった食器を持って厨房に戻ると、ポリエットの目には信じられない光景が広がっている。
元平民であるとは聞いていたが、シーナ嬢は綺麗に切り分けたリンゴの皮を剥いていわゆる『ウサギ型』にしていた。
「ちょっと手間だけどねぇ……で、この皮も美味しいし香りもあるからお湯で煮出して、このお湯で紅茶を淹れると……」
「うわぁ!これ……」
ハーブティーはこの世界でもあったが、果物の皮を煮出して紅茶を淹れるということをする人はいない。
いわゆるフレーバーティーをシーナ嬢は作ってしまったのだが、本人は気付いていなかった。
そこに蜂蜜を入れると少し色は黒ずんでしまったが、ふわりと香りがさらに甘くなる。
「あ!ポリエットさん。お帰りなさい。ルエナ様、スープを飲んでくれました?くれましたね!ああ、よかったぁ~!」
空の食器を皿洗いの使用人に渡すと、すかさずアップルティーをシーナ嬢に押しつけられる。
「まだルエナ様には紅茶は早いと思うけど、これならどうかしら?ルイボス葉があればいいんだけど……あれは異国の物だから」
飲ませられたのは確かに紅茶の香りはしつつも、味はほとんどリンゴの薄い香りと蜂蜜の甘みがする飲み物だ。
「これ…は……?」
「紅茶も身体に悪いわけではないけれど、ルエナ様には悪い作用を起こす可能性があるから、かなり薄~くした紅茶です。でもそれじゃやっぱり美味しくないから、果物の皮で香りと味を足して……いずれお茶を飲めるようになったらどうかしら?」
目の前にいるのはどう見てもお嬢様から婚約者を奪おうとする悪女ではなく、ただただひたすらにルエナを気遣う優しい少女だった。


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